【全ての思惑は一致した…オレは文学賞出陣をあえて表明する】 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今回はいつにもまして長いかもしれないです。真剣なんで。

クレイジーケンバンドの歌ではないが、オレの話を少しでも真剣に聞いてくれる人は

読んで頂ければ幸い。


記事タイトルにもある通り、以前から色々思うところがあり、結論から先に言ってしまうと

メジャー出版社が主催する文学新人賞に出撃、まあ作品を応募することを決めました。


言ったとおり、思う事というのがたくさんありすぎて、何から書いていいのか自分でも混乱するが

とりあえず伝えたいことから書いてゆきます。もし、書き損じたことをあとから思いだしたらそれはいつか追記で書きます。


さきにひとつだけ断っておきたいのは、つい先日、芥川賞直木賞の発表があったから、それに

触発されて、ここ2,3日で決断したとかではないです、数か月前からだけど、芥川賞の話題もあったから、記事にするにはちょうどいいかと。


記事でも何回か書いたけど、もう長い付き合いをさせて頂いている、良き理解者の先輩がいて、

その人は十年くらい前に、オレに対し「オマエ、本書けよ」と言っていました。

おそらく、オレがヘンな事考えたり、周りを笑わす独特な事を言うタイプだということを判断して

そう言ってくれたんだと思います。


オレは今まで30数年生きてきましたが、様々な人と出逢い、色んな貶し言葉や褒め言葉を掛けられました。まあ、貶し言葉はこの際置いておいて、人生で今まで掛けてもらった褒め言葉で一番

嬉しかったのは、その先輩の

「普通の奴が100本の本を書いても100本外すけど、オマエが100本書いたら、1本大当たりが

出そうな気がしてならないんだよな」

という言葉でした。


なぜ嬉しかったか……それは実際にオレにそんな才能があるかないかは別として

その先輩はお世辞でもなんでもなく、その先輩なりの本気で言ってくれたから。


オレは何回も書いてるように不器用で運動もスポーツも誰よりも時間を掛けて習っても

なかなか上達せず、むしろ何もやっていない人間よりも劣っていた。

そんなオレに対し、周りは「○○なんか意外と向いてるんじゃないの?」とか助言をしてくれた。

それはそれでアリガタイことかもしれない。

だけど… その言い方は「ほとんどの事に向いていないけど、これなら比較的出来るんじゃないの」というニュアンスだということも気づいていました。

逆に自分が哀れになりました。


でも、その先輩の言葉は、比較的とかいうニュアンスではなく、他の人よりはアタマひとつちょっと抜けているという視点で言ってくれるのを感じました。


自分でも発想力や着眼点に関しては、ほんの少しだけ自信はありましたが、その先輩も気遣って

いってくれた部分は大きいとは理解し、その時だけの先輩の意見かなあと捉えている自分がいました。

その先輩とは年に数回電話で話したりしますが、先日、電話した時、互いの近況報告してる

途中で 「てか、オマエ!いつ本書くんだよ!」 というお叱りを頂きました。

最初に言われた時から、もう10年以上たってます。本当にオレが執筆始めるのを期待してくれて

いたようでした。それがキッカケのひとつです。


ここで補足させて頂くと、別にその先輩に言われたからというだけで、小説を書こうという気に

なったわけではないです。ここは重要。


本……というか小説自体は、ずっと前から書きたいと思っていました。

実際は、その先輩以外の人や、ブログを観た人から本格的に小説を書いてみればという

声を頂きました。


でも、小説を書くということにあたり、最もひよってたのはオレ自身。

書くことは好きだけど、どうせ応募しても落選。その前に一作品の中編すら書ききれるかも

わからないと思っていたのは誰よりもオレ自信です。


でも、周りの人が客観的にみて、オレに対してこれだけ、挑戦してみる価値があると言って

くれているのに、それに対してやらないのはどうかと……。その思いがひとつ。

以下、タイトルの「すべての思惑」を書いてゆきます。



あとはオレ自身が単純に「やりたい」と思ったのと「オレがやるしかない」と思ったという事の一致。

これに関しては、目標だとかいうことよりも、オレの強い思想の問題。


まず「オレがやるしかない」のほうから。


あ、一応先に言っておきますが、「オレがやるしかない」と言うといかにも国やみんなのため

みたいに聴こえるけど、これはオレが勝手に「オレがやるしかない」って思いこんでるだけだから

批判は受け付けません(笑)


偉そうなこと言ってるかもしれませんけど、今の周囲を観ているとね、

多くの人が「魂の死んだ電卓」になりそうな気がするんですよ。


活字離れだとこんなに騒がれているのに、ビジネス書や自己啓発書のコーナーは拡大し、

バカなマスコミが、こういう大人がデキルとか煽ってるでしょう。


何度も言うように、別に参考程度にそういう本を読むのは否定しないし、オレが小説や哲学書や

エッセイが好きだからって、そういうの読めよとか言うつもりはありません。


でもね。オレはそういう一部の成功者の自慢話のエッセンスを抽出したような本をむさぼり読んで鵜呑みにしたような人が、多くの小説や資料をみて自分で独特の発想を生み出した人に対して

一般論やマニュアルを基準にして「考え方がおかしい」とか言ったり、社会のシステムに疑問を持ってそれを糾弾するような人に対し、大人のフリして「そんな意見は幼稚だ」とかいうのが我慢できないんですよ。


「魂の死んだ電卓」っていうのは、自分独特の変わった発想も何も生み出せず、ただただ

儲けや出世術だけに長けた計算だけが早くて、面白味もない人間ばかりになってしまう

のかという危機感。オレはね、そんな人間にはなりたくないんです。

たまに笑いをとる動きに出たかと思ったら、自らの発想力を活かすとかいうわけでもなく

とりあえず他人をいじって傷つけて、笑いをとって、自分は面白いとか思ってるような人には。

高度な電卓よりかは、低性能な人間として死んでゆきたいんですよ。


でも、こういう考えを持論としていっても、通用しないんです。悲しいけど。

もし、オレがそれなりに講義とか出来るようなエライ立場になっても、それは否定されるし

幼稚、反社会、現実逃避だと、とらえられるんです。

分かっていると思われても、今の日本でそういう考えしてたらダメだと。


オレが新書とか書ける立場だとしても、啓発的な本で、そういうのはまず却下されるでしょう。


だったら…


自分の思想が正面から持論または正論として通じないんなら、それを一回文学というカタチに

調理して小説内で繰り広げられる世界の中でアピールしてゆくしかないと。


文学には別に正義も悪もないんです。そこにあるのは表現だけなのです。

物語というフィルターを通じて潜在的に自由にメッセージを発することが出来るのです。


例えばそれが、教科書だったら反社会的なことは載せれないでしょう。

ビジネス書なら、まず、「こういう時は部長を殴れ」なんて書けません。


でも小説は自由なのです。なぜなら小説は教育書でも啓発書でもないから。


ビジネス書みたく、その人の考えをズバリそのまま、こうしろと語るのではなく

物語の中で、あえてメッセージ的なシーンを作り、それを読んでいる人にどういう意味かを

考えてもらう。


小説の世界は何でも出来ます。教科書とかに載せたいとか言っても断られるような思想も

小説の中の世界なら、発信出来ます。

だから、そっちから入って、オレの言いたいことを広げたいと。

別にオレの言いたいことが正しいなんて決めちゃいないです。

ただ、今の風潮って、真実を言ったらいけないとかいうような息苦しいとこがあるから

そこは打破したい。

太宰治の小説はネガティブで重いのが多い。でも中途半端にやらず、突き抜けて重く興味深く

大衆から認知されれば、たとえネガティブであろうが死の賛美であろうがホンモノになる。

核の無いポジティブ論や弱者をただ否定するポジティブ論はネガティブよりも悪に値すると

オレは思っています。明るさや元気と言うのは押しつけられると、それはもう暴力なんですよ。


それと本格的にその世界に挑むことで、真剣度を持ちたいのと、発言する資格を持ちたいというのがあります。

いくら言っていることが自分では間違いないと思っていても、その批判をただSNSでつぶやいたり

仲間内の飲み会で叫んでるだけでは、ただの愚痴とされます。悲しいけど本人は真剣でも

今の社会だと周りは、そうとってしまうんですよ。

また、オレ自身も社会に対し、何か言いたい事があっても、デモにもいかず、手軽にSNSで

ひたすらつぶやくだけのようなタイプにはなりたくないんです。何か自分なりに世間に向けて動かないとと思うんです。だから世間に向けて、こういう価値観を持つ人間もいるということを発信できる場に挑むことにしたのです。


正直、文学のようなカルチャーと思想をミックスするのは抵抗があります。

でも、個人の正直な意見が、幼稚だとか中二病だとか反社会だとか利益につながらないとか

言われて門前払いされる限りは、自分にどういう可能性があるかと考えると文章しか残っていないのです。 

そのヘンに関してオレの世界観をブチこんだ物語をつくれればなあと。

年間自殺者3万人を生産している長寿大国についての風刺的な物語を……。


それを発信するにはブログだけでは守備が狭すぎる……。


ちょっと、まだまだ「オレがやるしかない」のところはあるけど、書ききれないから

思い出したら後日追記(笑)



あとは……単純に「やりたい」理由


最初に書いた通り、小説自体はずっと前から書きたいと思っていました。

でも、自分でムリだと決めつけていたということと、なんとなく書きたいストーリーはボンヤリと

脳内にあったが、その物語の核となるキーが思いつかず踏み切れなかったワケです。


たとえば村上春樹の「ノルウェイに森」なら、タイトルの通り、ビートルズの曲「ノルウェイの森」。

そういうのがなかった。いわば、そのままタイトルにはめてもいいようなやつです。


でも、そのキーとなるワードが、いきなり舞い降りてきたんですよね。

それで、柱となる背骨が出来あがったんで、あとはそこに肋骨をはめて、さらに細かい肉付けを

すればもう物語が出来る状態になったわけです。

それで執筆に踏み切りました。


それとですね、文学関係の報道見ていると、まあ、これは後付けですけどこの前の芥川賞受賞の

女性、それに前回の直木賞の朝井リョウ……。2人ともオレより若いんですよ、まあオレも、オッサンだけど。

また作家以外にも、最近は芸人やジャ○ーズとかの人も小説出したりして……

なんかね、なんて表現したら言いかわからんですけど、もういても立っても書かずにもいられなく

なってきたんですよ。オレは何やってんだって。

早くしないと、誰かに構想、先にやられるぞって。自惚れだと思われるでしょうけどね。


名誉とか人気とか印税とかじゃなく、そういう利害とかじゃなくて、なんかクヤシイんですよね。

自分が本を出していないのは当然だけど、それ以前にまだまともに書いてもいないことが。


受賞するしない、売れる売れないとかでなく、これは早くしないといかんという焦りが、もうかなり

前からあったんです。


オレもまだまともに長編とか書いたことないから、いわば素人です。でも宝くじと同じで

買わないと当たらない。

また、宝くじと違うのは、宝くじは買った人間がセレブだろうがホームレスだろうが運だから

当たる確率は同率です。

でも文学はある程度のセンスで、どこまで勝ち進めるかが大きく違う。

もし、ほんの少しでもオレのセンスがあるとするなら……とりあえず挑む価値はあると思いました。


本の虫と言われる人に比べたら全然甘いですが、多少は本を読んできたつもりです。

それにより、積もった知識とか表現方を、今度は書く方向に活かすことが出来ればイイと思います。

これまで読んだ小説、エッセイ、哲学書で、印象に残ったフレーズや比喩はノートに書き写して

来ました。帰宅電車の中で読んでて発見した場合は、ページ数をメモり、家についてからまた開いて書き写しました。


昭和80年代クロニクル-ノート1

昭和80年代クロニクル-2

これはパソコンに打ち込むとかではなく、自分で書いた感覚を憶えるために、あえて手書きで

ノートに書いています。中途ハンパにヒマな時に、自分で書いたこれらを読み返しています。

このヘンから叩きこんだ知識や表現法も作品の中で生かせたらと思っています。

ノートも、もう4冊目になり、一冊あたり100作品くらいは入ってますね。


オレは理系でもないしバカなんで、複雑なミステリーとかオシャレな恋愛小説とかは書けません。

やるのは純文学。


純文学はストーリーはそれほど重要ではないですが、主人公の心情を詩のように綴ったり

細かい風景描写が大事です、そこが腕の見せ所となります。


オレは明るい話や、前向きな話は書けません。はっきりいってしまうと暗い話にしぼってます。

それしか書けませんから。でも純文学は基本暗いほうが読者を引きこむと思ってますし、

文学は「ハッピーエンドに名作なし」というのが有名なんでまさにオレ向きかなと(笑)


文章や内容の上手い下手に関係なく、オレにしか書けない1行、オレにしか思いつかない比喩

は必ずあると思っています。

そういうのをフルに活かして書きたいなと思ってますね。


たった2色の毛糸でも、見てくれにこだわらなければ、いろんなデザインの編み物が出来ると

思うんです。

物語のベースとなる色の意図に、オレが経験してきた事を表す色の糸をどう編み込んでいくかで

他の人と違うデザインはいくらでも完成出来ると思うんです。ただ、それをどう編み込んでゆくか

はセンスですよね。オリジナル性と発想力が問われます。

ハンバーグを作るにして、1種類のひき肉とパン粉だけしかないとしても、割合を調整するだけでも

それなりにパターンが作れると思います。そんな感じ。


そんなところで「書きたい」「オレが書かなければならない」「物語の軸となるキーが舞い降りた」

という要素がすべてそろったんで、書くなら今しかないと決断しました。


本格的に小説書こうと思ったとたん、今まで受けてきた裏切りとか酷い目も、もしかしたら

この時ために、小説に登場させる極悪人のネタとしてのプレゼントだったのかななんて変に

前向きになったりしてね(笑)


と、いうことでオレは文学界に本気で出撃します。


何年前から小説を書いている人からは、文学はそんな甘くないという厳しい意見もあるでしょう。

また、小説やブログを1行も書けない人が、無謀な行動に出たと嗤うかもしれません。

ま、そのへんは中島みゆきサンの歌じゃないですが、「書けない奴らが嗤うだろう」くらいの

気持ちで冷静に見てますから。


でも、これはオレの中で、認められる認められないとか、有益、無益とかそういうのではなく

ただ、純粋にやらずにいられないからやるだけです。


今は、多くの人が、誰かかが何かをやろうとするたびに「それやってどうするの?」とか

「それってカネ生むの」とか言う発想に繋がります。

オレはなんでもカネや利益みつながることしかやらない発想が既に精神の貧困で、それこそ

「魂の死んだ電卓」の考えだと思うんです。

利益にならないことはやらないって人多いから。


だから、そういう面でも、まずオレが切り込もうかと。

もう、三流表現者の意地です(笑)。


これから貧弱な戦闘機に思想と表現と世界観という破壊力の弱いたった3発の自家製ミサイルを

搭載して、文学という大空に出撃します。

ずっと前から小説を書いて新人文学賞を目指しているベテランの方々が、強力兵器を搭載した

大型爆撃機だとしたら、オレなんかは量産型の弱小戦闘機。


1次予選を突破出来る応募作品は全体のわずか1割りだけです。

下読み(選考委員)の心をうまく打ち落とせる可能性があるのはあきらかに大型爆撃機の

先輩方。


普通に考えて、弱小で初出撃のオレなんかは、敵軍の機銃掃射、ようするに予選突破の厳しさの

洗礼を全身に受け、予選も通過出来ず、海上へと撃墜されるのがセオリーでしょう。


それでもいい。何もやらず自分の世界をただつぶやくだけよりかは、公に向けて発信出来るなら。

洗礼を受けることも大事です。


ただ、いくら機体とミサイルが弱小でも、オレにわずかな操縦能力、いわば文章センスがあると

すれば……。撃墜されたり、したりすることはなくとも、なんとか第一次の掃射はうまくかわして

生き残れるかも……とわずかな期待をかけたりしてます(汗)


ちょっと、かっこよく言ってしまえば、「神風特攻」です。

予選突破すら、とんでもない倍率の戦場に、それなりの時間をかけてゼロ戦を作り乗り込もうって

いうわけですから。2か月アタマ悩ませて考えて執筆した作品が、ダメだったとわかる時は瞬間

ですからね。でもやります。変なとこでオレはハートと意志が強いから。


でもね、実際の戦争は一回撃墜されたら、もう終わりだけど、この特攻は一回撃墜されても

アイデアさえあれば、何度も出撃できるんです。重要なのは継続ですよね。


出撃……と書いてきたけど……

実は……



もう、すでに先月末に1作品、2か月で書きあげた原稿用紙108枚分の処女作を最も有名な

某文学賞に送っています。

ほんとはもっと時間掛けて推敲して仕上げたかったけど、一番近々で申し込める賞が6月末だったから、なんとか書きあげて、出来る限りで見直しして、郵送。

ひとりの友人に一部抜粋した文章見せたら、後日、梶井基次郎の「檸檬」ぽい作風だと嬉しい

感想を言われました。

予選通過者の発表はちょっと先ですけど。


もし(間違って)2000作以上の応募作品の中から予選突破して、雑誌に作品名と筆名だけでも

出るようなことがあったら、簡単にここで報告しますよ(笑)。


今は、またその次の賞に向けて2作目を執筆中です。

400字詰め原稿用紙で30ン枚目まで書いたかな。ワープロ原稿で。


昭和80年代クロニクル-原稿


書いててわかったこと。400字詰め原稿用紙100枚って少ない。

最初は枚数多いかと思ったけど、規定の100枚前後に物語を納めるのは難しいわ。

とりあえず書くだけかいて、あとから比較的不要なとこを間引きます。


小説のほうの内容は陽か陰で言えば、明らかに陰。

でもオレは自分の中で、バカで明るい部分と、ダーク部分をバランスよく維持していたい。

だから、このブログでは比較的バカなことを、小説は重くダークな世界を書くことで表現力と

文章力の均衡を保ちたいと思います。


だから、ここ数カ月前から、アホアホなブログと、ダークな小説の執筆二刀流。


こういうプライベートなことは本当は黙って進めようかと思っていました。


でも、先日も、先程の先輩がわざわざ、オレの執筆活動の進み具合だけを気にして

電話をかけてきてくれました。もう一人別の友人も。


1作品送って、もう書くのやめたではなく、まだ書き続けてくれたら嬉しいと思って

それを確認するためだけに電話してきてくれたらしいです。嬉しかったです。

10年前から言ってくれているだけあり、その先輩は本当にオレが何かしら文学賞を獲る事を

期待してくれるようで嬉しいです。実際獲れる獲れない別として。


物語を考え、それを紡いで編んでつくってゆくというのは、けっこうしんどいです。

はっきりいって趣味の延長なんかじゃありません。酒飲みながらなんてとてもじゃないけど

書けません。

時間と精神が許す限り、執筆は続けてゆきたいと思いますが、仮にどうしてもつらくなっても

最低3作品はけじめとして送り出したいと思います。それで様子と自分の能力をだいたい

探りたいです。


だから、黙ってすすめてもよかったんですが、先輩その他、オレの動きにホントに期待して

くれてる人もいるので、そういう方々に対する報告という意味と、あえて表明することで

途中で投げ出さずに残りを書ききるというプレッシャーを己に課すために、この場を借りて

発表した次第であります。


あと、直結のカネにもならず、報われる可能性にもならないことに特攻する、こんなバカも

いるんだなということを知ってもらうために(笑)


でも日本人はほんとに、なんでも儲けに繋がる話でなく、たまにはムダなことや可能性の

低いこと、どうしようもないことに首をつっこむことが大事だとは切に思う。

その余裕が新しい発想や、やさしさを生むんじゃないかな……。ギスギスしすぎだよ。


そんなとこで、暗い創作は全部、応募小説に集中するために、ここでのノワール短編は

しばらく完全に休載します。

思いついた話は全部、そっちにまわすから。



近い将来、いつかオレの作品が、紙の状態で皆さんに読んでもらえたらいいななんて

夢見ながら、今日はこんなとこで。

言い忘れたことあったら、後日また書きます。


長々とご静聴ありがとうございました。


さあて、寝よ。