言うまでもなく世代的に元祖はみていない。
たしか小学校終わりくらいか、中学生になったあたりのリメイクで見た。
リメイクだから、ある程度は現代っ子ウケするようにアレンジしてあるだろうと
子供ながらに思ったが、それでも、かつて一世を風靡したアニメがどんなもんかと
放送開始日にテレビの前で楽しみにしてた記憶がある。
細川たかしが歌うOPとEDがとてもイイ味を出していたのだが、さりげなく風刺が
効いていることは当時でもわかり、大人になるのが怖かったが、実際になってみたら
やっぱり、細川師匠の歌ってるとおりだったりする(笑)
ヤッターマンもそうだが、このテの昔の名作のリメイクというのは
かつてリアルタイムで見ていた世代を懐かしくさせ観させるという狙いと
同時に新世代もとりこむという狙いがあると考える。
うまくいけばリアルタイムで見てた親が、子供に勧めて一緒にみれば局やスポンサー様と
してはウハウハで一石二鳥だろう。
放送開始の第1話はしっかりみたが、この放送から数日後の朝日新聞に、
同じく第1話を観たご老人の投書が載っていて読んだのを今でもよく覚えている。
そのご老人は、昔、初代の「おそ松くん」を見てた世代で、再び「おそ松くん」が
放送されると知り、楽しみにして観てたらしい。ところが、その投書には
「楽しみにして観たが、30分まるごとギャグのカタマリのようでストーリーがない」
と書いてあった。
実は俺も第1話を観て、そう思った。「なんじゃこりゃ」って。
30分の中で、イヤミがなにかとシェーッって叫んだり、ヘンなオッサンがダヨ~ンとか
言ったり、でっかいパンツはいたオッサンが「○○だす」って言ったり、そうかと思えば
毛虫が喋ったり。
「中身もなんにもないギャグフレーズ陳列じゃん」と俺も思った。当時は。
でも、少しあとになってよく考えてみたら「おそ松くん」の第1話はアレでよかった……
というか、ああいう構成にするべきだったのだ。
おそ松くん――
もっと正確に言えば、赤塚不二夫センセの描くナンセンスワールドというのは
バラエティに富んだキャラがあちらこちらで跳ね回るというのが魅力である。
それぞれが独特な動きをしたり、変わった顏つきをしていたり、ヘンな口癖があったりと。
まずは、その世界の住民の個性を知ってもらうための自己紹介的なエピソードを最初に
もってこないと、観てるほうがあとで混乱する。
第1話でなにもふれずに、普通のストーリーとなる2話目でいきなり「ダヨ~ン」と叫ぶ
口の大きいオジサンが出てきたところで、「アレは何だ?」ということになる。
だから個性豊かなキャラが溢れる作品の初回は、ああすることが正解だったと思う。
もう何年もアニメとかドラマを見ていない。
夜とか、なんとなく点けたテレビでドラマとかやってても、惹かれるモノがない。
惹かれるモノが無くなった理由は、やはりキャラや役者の乏しさだろうかねえ。
観ていないわけだから、なんとなくでしか言えないが
今のアニメのキャラとかってのは、主人公も悪役も、みんなビジュアルがスリムで
かっこよなりすぎて、なんかダメだ。
ドラマも同じく。主演俳優女優だけでなく、脇役とかもみんな今風のキレイ顏。
「おそ松くん」ワールドみたいに、兄弟こそ6人量産型タイプの外見だが、
実は正確はバラバラ。
脇を固めるキャラも、デカパン、だよーんのオジサン。ちび太。ハタ坊、
おまけに毛虫のケムンパスとか、名前忘れたけど、ウィンクしてるカエル。
それぞれ個性が強く、全員が美系とかいうこともなく、ダブるキャラが
いないから、すぐ覚えることが出来る。
舞台となる街も得意繁華街とかオシャレではなく、どこにでもある下町または都下の
ようなそれほど活気無い町だけど、そんな町でも個性的なキャラはみんな楽しそうに
はじけてるから、町もすごく楽しそうな町にみえる。
ドラマやアニメの中の世界だけでない。
現実の世界も、みんな右にならえの個性を潰す世界になってきている
十人十色よりも十人一色とでも言おうか。
そう考えると、この「おそ松くん」の住む世界はもっとも理想なのかもしれない。
固いオチになったな(._.)
あ、そうそう、俺の好きな「叫ぶ詩人の会」というロックバンドが、おそ松くんの
登場人物のハタ坊をモチーフにした「ハタ坊のおでん」という歌がある。
おでんのカタチを人生に例えて、僕の人生に○や△はあったけど、×はなかったとかいう歌詞。
それはそれでスバラシイんだけど、歌の最後の歌詞の大オチで当時笑った。
「言われてみれば、そうじゃん!」って。ヤラレタって思った。さすがドリアン助川(当時)
思い込みって怖いな。