ダザイズムは鳴りやまない | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

誰かが本に書いていた。


入水の件で、太宰治は自殺しようとしたんではなく、自殺未遂しようとして失敗し、

本当に死んでしまったのではないかと。

太宰は何回も自殺や心中しようとして失敗し、相手だけ死んだりして自分は生き残っている。

これはやはりどこかに潜在的に「生」への執着があるからかもしれない。

そんな太宰の人間性を考えると、上の説を唱えた人の言いたいことはわからないようで、

なんとなくわかる。


太宰の命日でもある来月19日は「桜桃忌」だ。

未だに行くことが出来ないがいつか行ってみたいもんである。

みなさんは太宰治が好きだろうか?


最近はなにかとこのコラムの中で三島由紀夫について語っているが、オレはもともとダザイストであり、ミシマニア(←今オレが考えた言葉)ではない。

て、ゆーか、太宰と対照的な存在であり太宰を攻撃し、読者層も体育会系というイメージが

強かった三島由紀夫に関しては読まず嫌いであった。正確には1,2冊過去に読んだが

その本に関しては特に印象に残っていない。


だが、ちょっと歳を重ねてから、また少し読んでみようかと思い読んでみたらこれが面白い。

困った。つまらんこだわりからするとダザイストとしては三島文学のファンにはなりたくなかった

のだ、正直。


今でこそ本当に好きならそれは十分アリだというオトナな考えに落ち着いたが、当時は

太宰と三島の両方を好きだということは、巨人と阪神の両方の熱狂的ファンだというようなもんで

あってはイケないと思っていたから。また、メジャー作家2人好きだというと逆に単なるミーハ-

みたいに見られるのではないかと思ったから。


カッコつけでなく、本当に好きなのだからしょうがない。

上には上のファンがいるし、オレごとき、まだ2人に関して知らないことも多いが

太宰も三島も好きであると公言しよう。


だが、2人の作品に対しては「好きになり方」が違う。


三島作品に関しては、あくまで客観的に読んで、自分とはまったく別の世界の別の人物の

生活や行動を見てるというような視点で面白いが、、太宰作品は、まるで自分のことを書かれて

いるような錯覚と共感に陥る。

なんでこの人はオレが思っていることや世間に対して言いたい事を分かっているのだろうと。

ピースの又吉も言っていたが、これはほとんどのダザイストが感じていることだ。


暗くて重いながらも、そういうエヴァンゲリヲンに乗り込んだ時のシンクロのような一体化感覚

があるところが、三島作品よりも太宰作品のほうがオレの中では少し上をゆくポイント。


太宰作品の真骨頂は登場人物の弱さにある。

だからこれだけ有名な作家なのに教科書に載る作品はほぼ「走れメロス」だけ。

「走れメロス」に関しては太宰作品の中でも数少ない友情に関する「アツい」「感動モノ」だからだ。

間違っても「斜陽」とかは教科書に載らない。

このヘンが教育関係者やお上の体裁第一というツマランところを多いに感じる。


太宰作品は暗いのが多いからこの「走れメロス」と、絶望すんなよ!という〆で終わる

「津軽」は比較的珍しいと思う。教育関連資料で使うなら無難レベル。

津軽 (新潮文庫)/太宰 治
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「斜陽」なんか教科書載せたら、当時ならクレームとかくるんだろうな。

ナントカ団体とかが、自殺賛美だとか言いがかりつけてきたりして。


正直オレは今まで読んだ太宰文学の中では「斜陽」が一番好き。

「人間失格」よりも好きだ。


ピースの又吉は講演でも言ってたけど「ヴィヨンの妻」に収録されてる『親友交歓』という

話が好きだとか。読んでみたけど、シチュエーション的には‘あるある’みたいな感じで

オレもきらいじゃない。

ヴィヨンの妻・桜桃・他八篇 (岩波文庫)/太宰 治
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でも、思い切り共感したのは話は「桜桃」

この中で太宰が、議論して勝ったことがないということを書いている。

下に1部引用


「私は議論をして勝ったためしがない。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、

自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する。しかし、だんだん

考えてみると、相手の身勝手に気がつき、ただこっちばかりが悪いのではないのが

確信せられてくるのだが、いちど負けたくせに、またしつこく戦闘開始するのも陰惨だし、

それに私には言い争いは殴り合いと同じくらいにいつまでも不快な憎しみとして残るので、

怒りに震えながらも笑い、沈黙し、それからさまざま考え、ついヤケ酒となるのである」


この部分を読んだ時、ものすごい衝撃をうけた。

まさにオレのことを書いてるんじゃないかと思ったくらい。


太宰は弱い。優しい。

そして自分の確固たる「論」というモノをもっている。

確固たる自己の論を持っているのに、相手が目上であれ友人であれ、いつも討論で負ける。


だが、これは文章でわかるように決して「論の内容」で負けてるワケではないのだ。

論でなく、論を語る時の相手の迫力というか威圧に負けて、引いたり黙ってしまうのだ。


そん時の太宰に関しては単純に相手がコワモテの場合、委縮して沈黙するということも

あるかもしれないが、平和主義で優しく相手を気遣ったり人間関係を壊したくないために

自分が正しいと思っていても、一歩引いて作り笑いで相手を認めたフリをして、その場を

まるくおさめる。


でも、やはり自分は間違っていないというジレンマがあるから、後に酒で紛らわす。

・・・


これほど共感する文章はない(ー_ー)!!


太宰はおとなしいタイプであるが、その反面、非常に負けず嫌いなのだ。

でも優しさが邪魔したり、争いを好まないことからいつも討論で相手に譲ってしまう。

不器用で今の社会じゃ生きてゆけないかもしれないが、オレはそんな太宰や太宰のような

人が大好きだ。 これぞ日本の無形文化財にしてもいいダザイズムであると思う。


ダザイストは俗に言う「世間の意見」や「世間の常識」に媚びない傾向がある

だから独特の世界観を持っているが、けっこうガンコだったりする。

譲れないとこはテッテーして譲れないのだ。

それが自慢であり、また自己嫌悪だったりする。

絶えず対極を抱えているのがダザイストである。


オレもよくガンコだとか、ひねくれてるとか言われる。

たしかにソレも認めるとこだが、それでも一般論を押しつけられたり、自分の論を持っていない

人間から説教されると反発したくなるのだ。


よく

「オマエのための思ってるからこそ…」とか

「厳しいこと言うようだけど、誰も言ってくれないだろうから言うが・・・」


とかいう始まりで有難いオハナシをしてしてくれる人もいるが、それも反発してしまう場合が

多い。


たしかにオレのためを思ってくれてるというキモチは十分感じたり、嬉しくは思うが

言ってる論はどう考えても正しいと思えないというケースが多く感じるのだ。

それをさも正解言ってるような言い方されるのが納得いかずついつい反論してしまうのだ。


そういう切り出し方されると、ついついオレもこう言い返すか、また口には出せなくとも

心の中でこう反論してしまう。


「今言われたことをそっくりそのまま返すようだが、それこそ誰も言ってくれないと思うから

あえて言わせてもらう。『厳しいこと言うようだけど誰も言ってくれないと思うから言うが』って

いう言い方はやめた方がイイよ、それこそキミに厳しい事を言うようだどさ」

と。


嗚呼、オレもなんだかんだで太宰と同じ負けず嫌いなんだなあ。

てか、単なるヒネクレ者でせうか?(笑)


嗚呼、罪なダザイスト・・・・てかオレだけだったりして?



ダザイスト  正直者


ダザイスト  頑固者


ダザイスト  不器用


ダザイスト  弱虫


ダザイスト  優しい


ダザイスト  努力をしない努力する。


ダザイスト  「邪悪の匂い」に敏感


ダザイスト  酒が好き


完璧な人間なんていないとよく言うが、完璧な人間がいないのではない。

「完璧」だったらそれは既に「人間」ではないのだと思う。

カフカ曰く、人間なんて所詮はただの血が詰まった袋である。


太宰は「人間失格」という作品をあれだけ長い文章で書いて、さらに世間に知らしめた。

弱さこそ人間の崇高な美の核をなすものだということを世にアピールする執念の作品かも

しれない。



弱さこそ人間の崇高な美・・・


言い方が難しいけど、太宰は「人間失格」になることこそが合格だったのではと思う。


この世の中における「人間合格」になることこそ世間の飼い犬になるようなもので

事実上の失格だと思っていたのではないだろうか。そんな気がする。


ダザイストは、不器用にしか生きれない。

ダザイストは感受性が豊かなところがネックになってしまう。


だけど


ダザイストたちの根底にあるダザイズムは鳴りやまない。