ひとしずくの勇気 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

学級文庫の本棚の上に置いてあった白い花瓶を落として割ったのは僕じゃなかった。

でも、その当時、花瓶が落ちたことにより、濡れた床を拭いていたのは小学校低学年の気弱な僕だった。


誰かが、僕が落として割ったというデタラメな報告をユキコ先生にしたからだった。

誰だかはわからない。ただ自分の責任を誰かになすりつけて罪を逃れるために。

ユキコ先生はいきなり僕に向かって「ダメでしょ。ちゃんと拭いて皆に謝りなさい」と言った。

本当にアナタが落としたのかという質問はなかった。

すでに嘘の密告者の報告が正しいという前提のもとで、いきなりの「拭いてあやまりなさい」だった。


僕は黙って植物の根っこの匂いがする水を雑巾で拭いた。何故自分が拭いているのかわからなかった。

僕は、この休み時間、ずっと机に座って、大好きな鮫の絵を自由帳に描いていただけだ。

花瓶を落とすどころか、本棚のほうにすら行っていない…どうしてだ?

本当にこぼしたのは僕じゃない。ただ「僕じゃない」と先生に言えば済んだ。ただそれだけのことだった。


でも、その当たり前の事が出来なかった。いきなり訳のわからないヌレギヌを着せられて頭の中が

マッシロになったということもあったが、誰よりもおとなしく、気が小さかった僕は、やっていないものを

やっていないという誰もが普通に出来る当たり前のことが出来ずに、阿修羅のような顏をして怒っていた

ユキコ先生と、そんな状況を見て笑っている周りの級友の前に委縮して黙ってしまい、そして床を

拭いていた…。この性格で僕はずっと損をしてきた。周りの人間にとって、僕という存在は人間関係の

天候が荒れてきた時に、かわりに落雷を受けてもらう避雷針のような存在になっていた。


そんな僕の性格を知っている一部の人は、僕に対し、叱咤と助言の2つの意味でこう言った。

「オマエは勇気が無さ過ぎるんだよ、もっといろいろ言ったり、やったりしてみろ」 と。


あれから、その意味をずっと考え続けてきた・・・「勇気」という言葉の意味するものを。

そうだ・・・僕はいつもおとなしくて、自分が何も行動出来ない人間だと思ってきた。

もっと自分から言うべきことは言って、自分から提案して、なんでも自分から行動に移す勇気という

ものが足りなかったんだ・・・。悪いのは僕だったんだ。


そう考えてるうちに月日は流れ、僕は中学、高校を卒業して大学生になった。

同級生たちも同じく大学に進学した者や、就職した者、早くも結婚したものなど様々だ。


僕はみんなが久々に再会する「同窓会」を企画した。

今までは、誰かの企画に乗っかったりするばかりで、自分から進んでこういう企画とかしたことは

なかった。自分からそんなことをやる勇気がなかったんだ。まずそこから始めようと思った。


だから「勇気」を出して、主催者および幹事として同窓会を企画した。

そして、昔あれだけ勇気がなかった自分がこれだけ計画したり、仕切ったり出来る「勇気」をつけた

この自分を、見違えるようになった自分の姿を旧友たちに見てもらいたかった。


ひとクラスは男女数十人もいるんで、なかには苦手な奴、嫌いな奴、話したことないから気まずい奴も

いる。だから、まず本人の現住所に辿りつくために卒業アルバムから実家へ電話を掛けるのも勇気が

いったし、家の人から現住所聞いて辿りついた番号に掛けて、本人と十数年ぶりにつながってから話す

ことだってかなりの「勇気」を必要としたのだ。


地方に行った者、多忙の者もいるので、さすがに全員は集まらなかったが、それでもクラスの半分以上は

久々の再会を楽しみに集まった。今では白髪のオバサンになってしまったユキコ先生も。

高円寺駅からほど近い商店街外れにあるクーポン雑誌で見つけた料亭。そこには20代の大勢の男女が

まるでプールの排水溝に落ち葉が吸い込まれるようにどんどん入っていった。


同窓会開始1時間前だが、もう会場にはほとんどの人が座りこんで、昔話に華を咲かせている。

まだ揃ってもないし開会挨拶もしていないのに持参したチューハイを飲んで出来あがってる奴もいる。


僕は主催者だから、開始までは裏や廊下で店の人と料理の打ち合わせや、運搬の手伝いだ。

何かと段取り・・・そう、いろいろ準備することがあるのだ。


会場の座敷のほうの旧友の会話の中から時々僕の名前が聴こえてくる。

あの大人しくて無口で、いつも目立たなかったアイツが、まさかこんな同窓会を企画してくれるとは・・・

という声が。どうやら驚いているようだ。


嬉しい。

どうやら僕が昔に比べて、なんでも実行したり言ったりする「勇気」を身につけて生まれ変わったという

ことに気づいてくれたようだ。


そうだ、あれだけ気が小さく引っ込み思案で損ばかりしてきた僕だけど、まず勇気を出して、この会を

企画して、勇気を出して旧友ひとりひとりに連絡して、勇気を出してお店の予約をして、そして今日の

開催までもってこれたんだ。勇気をほんの少し…ひとしずくずつでも絞り出して少しずつ進んでゆけば

僕にだって、このくらいの計画は出来るんだ。みんなもこの日を楽しみにしてたのが表情でわかるじゃ

ないか。


やはり世間が言う「勇気」とは大事なことだったのだ・・・。


臆病者だった僕が一滴の勇気を重ねて行動して計画した同窓会がもう数十分後に始まる。

みんなは料理や酒が運ばれる前から、もう盛り上がっている。


さて・・・


言ってきたように、ある意味今回の「同窓会」の企画開催は僕の「勇気」の結晶のようなモノである。


だが、僕の「企画」と「ひとしずくの勇気」の遂行はまだ完全に終わったわけではない。

むしろ、これからだ。今回、勇気を出して先頭に立ってこの会を企画した理由・・・

今からがもっとも重要なんだ。


今、廊下の隅で店の人の手伝いをしてる僕の前には会場に搬入する前の人数分のお膳と、その上に

小鉢がある。



そして、僕のポシェットの中には水に溶かした「ヒ素」が入っている。

人数分の数滴の量を数本のスポイトの中に分けて入れて。



僕が最後の「勇気」を振り絞る時が来た。この液体を一滴ずつ全ての小鉢に落としてゆく勇気・・・

落としてしまったらもう後戻りは出来ない。


でも それでも自分で決めたこと。自分で決めた計画・・・


恐れずに最後まで実行してやりとげてこそ、

真の「勇気」だ。



僕は店の人の目を盗み、‘愛情’いや‘愛憎’をこめて一滴ずつ垂らしていった。


みんな、勇気という言葉を教えてくれてありがとう。

そのおかげで、僕はずっと引きずってきた「花瓶」の件でケジメとなる行動を決心することが出来たんだ。

やはり「勇気」って大事だね。


みんなへの「一滴」は僕からの卒業証書さ・・・そう、過去からの卒業、そして僕は苦悩から卒業・・・

大丈夫。つらいのは数時間だけだよ。



明日になれば、またみんなも僕も天国で同窓会の続きが出来るさ・・・。





-完-







【あとがき】


この作品は数年前に起きた「同窓会大量殺人未遂事件」をモチーフにし、

『短編自作ノワール小説』の第6作目として書きおろしたものです。

モチーフは実在した事件ですが文章内容は完全オリジナルです。


ずっと書いてUPしようと思っていたのですが、実在事件がヒントとはいえ

内容がちょっとアブナイかと思ってアップを自粛してました。

ですがやはり、現代のいじめ問題などをみると、「した側」は軽い気持ちで憶えて無いような

ことでも、「された側」はずっと傷を引きずり、それが忘れたころに悲劇を生む可能性だって

あるという警鐘を込めた意味で執筆と記事アップに踏み切った次第です。

そして文学賞選考委員関連の皆さま、早く僕のブログを見つけてください(笑)


ではまた次回のノワールをお楽しみに。

いや、プレッシャーになるから期待はやっぱいいや。


重く暗い記事や短編を書くと、読むのをやめてしまう方もいると思いますが

それでも今回も最後まで読んで頂いた読者様には心より感謝致します。


ケン74