全員主役やら順位ナシやら論 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

2回もモデム交換して、とりあえずネット使えるようになった。

前回書こうと思ってたコトたっぷり書こう。

あ、今回長文&おもいきり個人的主観なんで・・・。



来年からだっけ?中学校でダンスが必修になるの。

「ゆとり教育」で失ったぶんの奪回みたいなカンジなのか?


でも実は安倍晋三内閣の時からの企画だったみたいだけど。

良かったわ、遅れて生まれないで。

今、中学生だったらかなり息詰まる憂鬱な学校生活を送るとこだった。


他でも「徒競争でも順位廃止」とか「学芸会で全員主役」とか学校行事疑問が沢山出てますなァ。

大多数の人がほぼ同意見のようで、オレも「学芸会で全員が主役」とか「徒競争で順位つけない」という事柄に関しては全くもって滑稽だと思うが、その議題について根底の泥を攫うと、もともと突っ込むとこはそこじゃないだろと思うのだ。



人により主役から脇役までいていいと思うし、順位もつけていいだろう。だが…、それに関して

競争意識を持たせるだの勝った時の喜びを知るだのという考えには大反対である。

その考えおおいに嫌い。それは違う。いい人ぶった多数派理論にして詭弁である。


人間は生まれ持ってきた才能も個性もバラバラである。

どんなにやっても運動が出来なかったり、演技等がヘタな者だっているのだ。

でも学校では昔からの習慣で運動会や学芸会、または演奏会などのイベントがテッパンで悲しくも存在してしまっているので強制的に参加しなければならない。文部科学省はじめ教育者は「みんなそれぞれ得意分野がある」などといかにもというような意見言うが、学校でやるのはそういう「スポーツ」とか「音楽」とかいう無難でポピュラーなジャンルばかり的を絞る。


「偉大なる文化系」にはこれがタマらなく腹立たしくつらいのだ。

いっそ茶色い制服きてハチマキ捲いて日本刀もって文部科学省乗り込みバルコニーで演説でも

やってやろうか!?おう!?


なぜ、「それぞれ得意分野がある」とわかってながらスポーツや音楽ばかり授業や大会でやり、

やっと新しいジャンルも開始するかと思ったら何故ダンス??

いや、ダンスはダンスで別にいいんだけどさ。でも他にもジャンルはあるだろう。

「落語」でも「クイズ」でも「ものまね」でも「オセロ」でも「カルタ」でも! 

「嗅覚」でも「駅名全部言える」でも!マイナーだから消去ってことなんだろうけどさ。


たぶん共感してくれる人はわずかでもいると思うから書くが、オレは昔から球技や楽器がカラッキシで

授業や大会のたびに憂鬱だった。よく登校拒否にならなかったもんだと我ながら国民栄誉賞モノだと

感心するww。


小学校での運動会での運動音痴披露や球技大会の時のチームワケは公開処刑だったね。

例により得意なやつ2人くらいがキャプテンになって順番にメンバーをとって行くワケ。


そん時のオレはいわば「ファミリー向け回転寿司のシメサバ」のようなモノ。

実際には深いイイ味を持っているのだ。だけど子供等が多いそういうとこでは「地味」で苦い

シメサバは人気がなく、なかなか皿をとってもらえず、何周も回転する。

当然時間が経てば乾いてきて鮮度や光り具合も落ちてくる。

それと同じで選んで取ってもらえないから心も乾いてきて、覇気もなくなるわけよ。

で、最後のほうでやっと取ってもらえるか、もしくは取ってもらえず廃棄かってゆーとこ。


オレの他にも地味で運動に苦手な「シメサバポジション男子」は数人いたが、

やはり皆、鬱オーラ全開であった。


そんなトラウマからもともと苦手だったスポーツがさらに嫌いになった。

でも西武ライオンズの試合を観戦したキッカケから遊びの草野球はちょっと好きになって、

もし野球選手になれてたらなァなんて妄想した時期もありましたよ。あくまで妄想だけね。

経験も実績も何もないのにw。

ドラフトで全球団から1位指名受けて、マスコミから「どこの球団に入りたいですか?」と聞かれ

「巨人以外ならどこでもいいです!」というのがオレの叶わぬ夢でした。



そんな流れでオレにとって学校での「運動会」やら「合唱コンクール」などは暗黒時間の

公開処刑以外の何物でもなかった。でも、それは経験しておいて良かったと思う。


ここでブログの最初の話に戻るわけだが、成長して社会に出ると理不尽なことや参加したくない

イベント、どう考えても意味をなさないイベントに嫌でも参加しなければいけないことも多く、

また心にもない意気込みをそういう場で言わざるを得ない状況の連弾である。

それに対しての予備練習というか免疫をつけるために運動会でのビリの旗の前に座ったり、

学芸会で竜宮城に生えてるワカメの役をやったりにも耐えておかないとならんのだ。

ちなみにオレは「こぶとり爺さん」で村人Cという役だったが。セリフは「もしもしお殿様」これだけw。


つまりだ!


「競争社会意識」だの「成功や勝利の喜び」だのそんなもんは‘得意なやつ’と‘這い上がれたヤツ’

の意見に過ぎない。


ただ、そういう系統のイベントが苦手な者はそれを経験しておけば大人になってからの

忍耐力や疫力は付くはず!

少なくともチヤホヤされて主役やリレーアンカーをやったヤツよりかはずっと!。

どん底の経験者が言ってるんだから間違いない!長井秀和です。


芸能界の役者を見ろ!ずっと長い下積みでやってきて中年くらいで世に出た人はそれ以降

業界で長く生きてるが、子役時代でチヤホヤされてブレイクしたやつが生き残ってるか?


だから、順位はつけろ!主役以外もつくれ!忍耐力あるオトナを増やすために。

でも、意外と子供本人は気にしてないのに親が五月蠅いのかな?

もんすたぁぺあれんと とかいう奴。


オレが学校の授業で身に付けたものは「忍耐力」

授業や大会ごとで気付いたことは「日本はくだらない多数派主義だからメジャーな企画ばかり

やって、マイノリティ企画は学校授業でも催し物でもやらない。

だから稀少特技の持ち主は活躍する場(授業・大会)が与えられない」という現実。


確かに全員の得意ジャンル取り入れてたら時間足んないのはわかるが、数年に1度くらいは

そういうのやってやれよ。モノマネ大会でもクロスワード大会でも。

体育会系のやつにも大勢の前で屈辱する感じを少しくらい知ってもらったほうがそういう人たちの

将来のためにもなるのだよ。


だからダンス必修に関してはそれはそれでいいだろうと思うが、子供の少数派意見もきいてやれよ。

何に興味があるとか何が好きだとか。

子供の価値観わからんオトナが勝手にこれをやるのがいいと決めることほどアサッテの方向見た

ナンセンテポドン発射はないわ。文科省はアホだな。

全くもってボケモン(ボケ文科省)である。 ボケモン!DEADだぜ!イエイイエイイエイ遺影・・


スポーツも音楽も演技も勉強も出来ないけど、マニアで個性的なジャンルでスバ抜けた才能を

もってる子供もきっといるはず。そういう子が発揮できる場や自信を持てる場を作って欲しい。

これは自分が小学校、中学校の時に叶わなかった希望である。


蛇足であるがマツコ・デラックスがこの「全員主役」や「順位無し」などの滑稽平等議題について

順位などはつけたほうがいいと言っていた。でも、本人も学校行事は好きでなかったらしく、


「私が活躍できるジャンルは学校でやるようなイベントではないと思った。

もっと後、オトナになってからのジャンルだと思った」と。


見事にオレの言いたいことを代弁してくれてスッキリした。

オレ自身も強いてどちらかといえば、マツコタイプである。

学校行事ではやらないジャンルで表現とかを出来るタイプであると思う。

稚拙で未熟ではあるがこうして文章書いたり表現したりとかとか。


とりあえずオレは学校の運動会のリレーなどでは人生について重要なことを教わった・

それは決して「運動」や「競争」は素晴らしいということではなくむしろ逆。

世の中にはなんだかんだで個性が大事とかいいながらそういう運動と勤勉が先行して素晴らしいという偏見がある。それに耐えて付き合わないとやってゆけないという事実。そして、そういうふうに

少数派の嗜好などは学校イベントでは却下されるどころか提案すらされないという不条理。

そのような「現実」を学んだ。


だから・・・

繰り返し言う!


勝利や成功の喜びのためなんてのは詭弁である!不条理と多数派に対する免疫と忍耐力をつけるために順位はつけるべし!


今回はあえてちょっと個人意見強調に書いたけど、まあ今まで読んでくれてる人なら
あえて演出も盛ってる芸風だと解ってくれてると思うから批判は受けつけません(笑)


はー、全部言ってスッキリした・・・。