昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今回もちょっとブレイク記事。

 

先日、「リング」「らせん」の原作者である作家の鈴木光司氏が

亡くなったというニュースがYahoo!からスマホに飛び込んできて

驚いた。まだ68歳だったらしい。

 

記事に書いたか忘れたが、何年も前に国分寺丸井の上階にある

ホールに鈴木光司氏が無料講演会に来ていたので話を聞きに行ったことがある。

 

でもそのときは、小説とかホラーについて語るのではなく、子育てについて

の講演だった。

 

今目の前で、ほのぼのとした子育てについて語っているこの男性が

あの有名なジャパニーズモンスター「貞子」を生み出したのかと思うと

そのギャップがすごかったのと同時に、貞子の生みの親を生で見られた

と思うとちょっと感動した。

 

「リング」は原作も読んだし映画も観た。

世界に誇れるジャパニーズホラーだ。

そう思うと鈴木光司氏が亡くなったのは実に残念である。

 

亡くなったといえば、鈴木光司氏のすこし前に、漫画家のつげ義春も

亡くなったのでそれも驚いた。

 

つげ義春といえば、有名なのはやはり「ねじ式」。

ねじ式については、15,6年前にちらっと記事で書いた。

 

当時の記事「ねじ」

 

つげ義春を読むデビューは実は遅くて35歳。

友人から教えてもらって読んだ。

 

つげの漫画で一番最初に買ったのが「ねじ式」。

そして次は「紅い花」だった。

 

 

 

ねじ式同様、シュールなんだけど、つげ作品にはどこか日本の土の匂いがする

懐かしさが漂って好きだ。

 

画の感じも内容も古いので、ダメな人にはダメな作風ではあると思う。

オレも最初つげ作品を読んだときは、「ねじ式」以外は?だった感じだが

読んでいるうちにハマってきた。

噛めば噛むほど味がでるスルメのように、読めば読みほど味がでてくる。

 

つげ義春は昔、町で女性から「あんたの漫画、エロいわ!」といわれた

ことがあるらしい。

たしかにつげの漫画にはエロ描写もあるのだが、それもどこかいい意味で古臭い

味があり、哀愁、愛嬌のあるエロなのである。

だから女性ファンも多い。

 

単行本は「ねじ式」も「紅い花」も持っているのだけれど、今は片付けて

どこかにいってしまった。たぶんダンボールとかに入っていると思う。

なので、収録されている話はけっこう忘れてしまって、見ないとわからない

のだが、「紅い花」にも温泉を訪れた話はあったと思った。

 

つげ義春は温泉旅が好きだ。

「つげ義春の温泉」という本も出していたと記憶する。

 

オレもそんなつげ義春の足跡を辿るように、彼にいった温泉にひとりで

足をのばして泊まりにいったことがあった。

テルマエロマエの撮影地にもなった栃木の北温泉とかもそうだ。

「紅い花」に収録されている話では、どこの温泉が登場しただろうか?

うーん、思いだせない。

とりあえず温泉の話はあったはず。

 

つげ義春の漫画は、読むと自分が日本人なんだなあと改めて感じる

ことができる。

複雑なストーリーもない。

古き良き、といってもオレがまだ生まれる前だが、貸本屋で漫画を借りていた

ころの時代の漫画である。

 

最近も漫画も漫画でとても良いのだろうけど、本当に漫画好きを名乗る人で

つげ作品をまだ読んだことない人は一度読むべし漫画家だ。

 

鈴木氏とつげ氏のおふたりのご冥福を祈る。

 

役立たずリク○ートエージェント。

柳楽優弥と高橋一生がCMやっているけど、何言ってやがるんだと

観るたびに思わずにいられない。

 

もう16、7年前の話だが、当時働いていた会社で異動になった先の

トップがパワハラや横領をやっていたので、オレはもう辞めたくなり、

一足先に転職した同じ会社の違う部署の仲いい人にいろいろ

転職の仕方にかんするノウハウを受け、まずは転職サイトのリク○ビNEXTに

登録した。

贅沢いったら転職先は見つからないと思い、希望の勤務先や年収等はとくに

こだわらないとアンケートには記入して送信した。

 

登録したらすぐにリク○ートエージェントの人からメールが届き、相談を

受けるので支社まで来てくださいといわれ、仕事のない土曜日に立川まで

いってきた。

 

出てきたエージェントの人は若い女性だった。

数十分さんざん話したあと、

「○○さんから頂いたアンケートをもとにこちらでもいろいろ探してみた

のですが……ありません」

といわれた。

挙句に果てにオレはそのときの会社を辞めたくて辞めたくてしょうがなくて

相談にきたのに

「○○さんの場合、まだ今の会社に在籍されているので、辞めないでください」

だと。

 

たしかに仕事がないこの時代。働く場所があるだけラッキーだと思え、

今は他に仕事なんてどこもない、といいたかったのだろうかと思うが、ないなら

ないで、わざわざ休みの日に立川まで呼び出すなよ、と憤ったのを憶えている。

まあ昔も今もそうだが、仕事がない寒い時代だからしょうがないといえば

しょうがないのかもしれないが。

 

しかし、この不景気な氷河期時代。世の人々は現状を本当にわかっているのだろうか。

 

冠婚葬祭の場などに多いが、初対面の人と話すとき、人に

「お仕事は何しているんですか?」

と当たり前のように訊く人がいる。

 

感覚大丈夫だろうかと疑問に思う。

今の寒い時代、これってとても失礼な質問なのだ。

 

このご時世、倒産やリストラあるいは障害者差別などで、働きたくても働かせて

もらえない仕事のない人もたくさんいる。

そういう人達の存在をないがしろにしているように映る。

 

いきなり「お仕事は何しているんですか?」と訊くということは、

‘人は働いてて当たり前’という前提の概念があったうえで、そういう訊き方を

しているというふうに捉えられる。

つまり、本人は無意識だろうが、働くことができない人のことを上から見ている

わけである。

 

訊くならば、順序としてはまず

「今こんなご時世ですが、お仕事や会社のほうは大丈夫ですか?」

と訊くべきだろう。

 

そうすれば、

「いやあ、実は会社が倒産しまして」とか

「仕事辞めてからなかなか転職先が見つからなくて」

とか言えるのである。

訊かれた側からしても、心配してくれてありがとうございますという気持ちになれる。

 

だけど、いきなり何か仕事してて当たり前みたいな前提で「仕事何してますか」と

訊かれたら、仕事がない人からすれば腹が立ち嫌味に感じるだろう。

同時に深く傷つくに違いない。

自分は人間のゴミだと。

実際、当時オレが弟の結婚式の場で嫁さん側の親戚だという女性から

「お兄さん、お仕事はなにされているのですか?」

と訊かれ、すごく嫌だった。

一応転職活動中とかいえ、バイトはしていたが、アルバイトだと言いたくなかった

のと、腹が立ったことがあり、そのときは

「フリーライターで文章書く仕事やっています」

と普通に答えておいた。もちろん嘘だが罪悪感はなかった。

いきなり仕事を訊くなんて失礼なことをするほうが、嘘をつくよりも

悪いと今でも思っている。

 

まずは仕事や会社の状況が大丈夫か訊いて、そこで相手が大丈夫と答えたら

次に「お仕事は何してるんですか?」

と訊くのが最低限の礼儀である。

 

あと、経済的な理由とかで風俗とかで働いている人もいる。

そういう人はあまり仕事のことを人に言いたくないと思う。

そのへんの事情も考えてほしい。

 

だからオレは人にたいして基本、仕事を何しているかはこちらからは訊かない。

働きたくても働く場を与えてもらえない立場の人や、言いたくない仕事をしている

人に失礼だ。

 

女性だってみんな平等に1年に1歳、年をとるのだから、女性に年齢を訊くことは

別に失礼ではないと以前記事で書いて共感を頂いたが、女性に年齢を訊くよりも

人にいきなり仕事を何しているか訊くほうが100倍失礼だ。

 

今、このブログを読んでいただいている方々にもお願いしたい。

もし、優しさがちょっとでもあるのならば、合コンや結婚式などの場で初対面の

人にあっても、相手が仕事できている状況なのかの確認もせずに、いきなり

「お仕事何しているんですか?」

などと訊かないよう、気をつけて頂きたい。

 

相手は働きたくても働けてない状況にあるかもしれない。

人にはあまり言いたくない仕事をしているかもしれない。

そのへんの優しさを大事に。

1週間ぶりの更新だけど内容的にはちょっとブレイクの記事。

 

去年の10月以降、記事内に登場するワード及び内容の多さとしては

なんとなくキャバクラブログになりつつあるこのブログ。

だけどずっと昔のこととはいえ、ハマったことの経験がある

人間のオレが書くからこそそれもいいだろうとは思っている。

高校のとき同じ部活だった同級生の女の子にこのブログのことを

おしえたら読んでくれているみたいで、この前会ったとき

「『ケンジくん、キャバクラなんて行くんだ!?』って思った」

といわれたが、そうです。行っていたんです。

 

今日の昼、TBSで放送されている「週刊さんまとマツコ」を観ていたら

平塚のキャバクラの女の子たちが出ていた。

みんな若いな。

働いている女の子のお母さんとかがもはやオレと同年代。

今、キャバクラいったとしても同級生の娘みたいなのが出てきて

つくんだろうなと思うとやはりあまり行く気がしない。

音楽の話題でゴダイゴの話とかしてもわからないだろうから。

百歩譲って今ゆくとしても熟女キャバクラがいい(笑)

 

いやあ、でも今改めて思いだしてみてもキャバクラにハマっていた23.4歳の

ころは楽しかった。

小中学校と女の子とまったく話したことがなかったオレにとっては、キャバクラ

というのは女の子と話せるようになるためのリハビリの場所のようなものだった。

キャバクラに通っていなかったら、オレは20歳過ぎても女の子と話すことが

できない男になっていただろうとつくづく感じる。

 

新宿歌舞伎町のキャバクラは何軒もいったけど、はじめてハマって何回も友人と

行ったキャバクラは区役所通りにあった「小娘紀行」というキャバクラだった。

前に記事でちらっと書いたときはイニシャルで「K」という店と書いたが、店はもう

とっくにないのではっきりと店名をいってしまう。

 

この店、独特のコンセプトがあって、東北出身あるいは東北に住んでいたことがある

女の子しか働いていない。

 

で、女の子の衣装が浴衣。

誤解のないようにいっておく。キャバクラだけに浴衣の丈が短くて足の露出が多めなのだが

セクシーパブではなく、純粋にしゃべるだけのキャバクラ。

 

とくに女の子のレベルが高かったとかいうわけじゃないんだけど、きさくでしゃべりやすい

女の子が多かったのがよかった。

いくらだか忘れてしまったが料金もたぶん、1時間3000円とか安かった気がする。

 

別に東北出身の女の子が好きだとか、浴衣フェチだとかいうわけじゃないんだけど

この店は居心地が良くて通ってしまったのだった。

 

過去記事「思い出に残る3人のキャバクラ嬢」でも書いたが、この小娘紀行で指名してた

女の子がひとりいたのだが、その娘も今はもう46歳なんだなと思うと感慨深い。

 

今はわからないけど、25年くらい前はいろんなキャバクラがあって、どの店も独特な

コンセプトを必死に考えていた。

そんななかで東北出身の娘ばかりを揃えたキャバクラというのもなかなか面白かった

なあと思った。

あの店、いつの間にかオレらも行かなくなって、店も無くなっていたようだけど、

今の時代に復活してもウケるんじゃないだろうか。

 

そうだな。今はあまりキャバクラに行きたいとは思わないとさっき書いたが、

逆におじさんとして、若い娘にいろいろ教えるという意味では十数年ぶりに

ちょっとまたキャバクラにいってみたい気もするかもしれない。

 

「小娘紀行」、ネットとかで名前入れて検索してみてもまったくヒットしないから

今となっては完全に忘れられた遺産になってしまったんだろう。

楽しくていい店だったんだけれども残念。

 

書くことがあれば、今後もキャバクラブログやります。

31歳のとき、27歳のある女性にデートに誘われて上野に一緒に映画を観にいった。

映画はその女性の希望で、「蝋人形の館」という作品だった。

原題はたしか「ハウス・オブ・ワックス」だっただろうか。

昔の映画のリメイクだったのかもしれない。

 

ホラー映画だったのだが、その女性は公開前から気になっていたようで

誘われて観にゆくことになった。

監督や主役は知らない人だったが、出演者のひとりに唯一しっている

パリス・ヒルトンがいたのでおぼえている。

 

これが過激な映画だった。

観ていて「怖い」というよりも「痛い」。

指を切断したり、顔の皮を剥がしたりなど残酷でとても観ていられなかった。

誘った女性にたいして「なんちゅー映画に誘ってくれたんだ!」と思いながら

人を誘うくらいだし、世間的に女性は男性よりも血に強いというから

その女性はこの映像が大丈夫なんだろうと思い、ちらっと横目で横に

座っている女性の様子を見たら、思い切り目を瞑っていた。ダメなんじゃん!

 

こんな映画だとわかっていたら、観に行くのを断っていた。

苦手だ。痛いのや残酷な描写は。

 

でもオレ、ホラーは嫌いじゃないのだ。

ただ、ホラーといっても血が飛びちったり、斧で頭を割るような残酷な

アメリカ映画でいうところのいわゆるスプラッター映画ではなく、雰囲気で

怖がらせるようなホラー映画が好きなのである。

 

ジャンルでいうと、ここ数年いわれる和製ホラー、つまり「Jホラー」とか

が好き。有名なところでいえば「リング」のような。

 

血が飛び散ったり、肉体を切り刻むような残酷描写はいっさいないけれど

映像がおどろおどろしくて不気味な映画が好物。

 

Jホラーはいまや日本のホラー映画の十八番である。

 

でも外国人は激しいのが好きだから、ホラーといったら残酷で痛い映画しか

つくらないのかなと思ったが、1990年代のオレがまだ20代のころ、

ある洋画が怖くて斬新だと公開前に話題になった。

 

それが

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』

 

当時、情報番組とかで紹介されているのを観て、とても興味を持って

ひとりで新宿の映画館に観にいった。

 

 

 

――

ドキュメンタリー映画を撮るために魔女伝説の残る森に入った3人の学生たちは、

キャンプを張る。

しかし、彼らはそのまま消息を絶ち、1年後に撮影されたビデオだけが見つかった。
「行方不明になった学生たちが残した映像」という設定で展開されるホラー映画。

現代に残る魔女伝説を、彼らの視点を通じて再現する。キャンプ地に残るナゾの道しるべ、

夜になるとテントの周囲で騒ぐ「何者か」。ホラー映画のお約束を繰り返しながらも、

画像の粗いハンディカメラで撮影された実験的な作品だ。極限状態の中で、追い詰められ、

ヒステリックになる学生たち。具体的にモンスターや血のりが出てくるわけではないが、

主人公たちの会話や周囲の雰囲気からジワッと恐怖がにじみ出てくる。低予算、少人数の映画を

宣伝効果で大ヒットさせ、インディーズ映画界にも大きな影響を与えた作品。

(amazonから引用)

 

内容は上に引用したとおり。

 

映画館で通してみて、結論からいうと最後退屈で終わった映画だった。

上のレビューにも書いてあるとおり、モンスターとかが出てくるわけでもない。

ロケ舞台は森だけで、おおがかりなセットとかもなければ特殊メイクとかもない。

正真正銘の低予算映画だ。

 

でもアイデア自体はすごく面白いと思った。

こういう企画、構成だったら、フレコミとかでみんなが面白そうだなって

思うだろうと。

映画の企画者や監督には脱帽である。

本当に少ない予算を逆手にとって上手くやった映画だと思った。

 

宣伝で流れていた、ビデオカメラに向かって怯えてつぶやく

女性のアップの映像は今でも脳に残っている。

 

 

 

ドキュメンタリータッチで進行するのが臨場感あって面白い。

魔女伝説が残る森に撮影のために足を踏み入れる学生のグループが消息をたち、

その後、その記録が残されたビデオテープが発見され、その映像が流されるという

構成。

斬新だし、普通の映画みたいにカメラが何台もいらない。

ビデオカメラ1台あれば映画がまるまる一本撮れるのだ。

斬新で節約。一石二鳥である。

 

さっきも書いたとおり、退屈ではあるのだけれど、退屈ななかにも映像を観ていると

そろそろ何かが起きるのではないかと、ドキドキした映画なのである。

 

ストーリーにお金を払ったというよりも、企画にお金を払ったという印象の作品だった。

雰囲気的に怖いといえば怖かったし。

 

残酷描写に頼らず、こういった雰囲気、シチュエーションで怖がらせるホラー映画は

こてからも増えていってほしいと思う。

 

ちなみにこの「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」、さっきも言ったが新宿の

映画館にひとりで観にいったんだけど、鑑賞が終わって席をたち、ドアをあけて

映画館のロビーにでたら、どこかのテレビ局の取材部隊がオレのほうにだだだっと

駆けてきて、オレは囲まれて驚いた。

 

インタビューみたいな人からマイクを向けられて「映画どうでした!?」と訊かれ

「まあ、よかったです……」

とか答えた気がする。

テレビカメラが2、3台オレの顔のほうに向いている。

 

「この映画、事前でネットで話題になっていたんですけどしってます?」」

とか訊かれた。

オレは当時パソコンも持っていなければネットのことなんてしらないので、

「いや、ちょっとしりません……」

とひとことだけ答えたら、インタビュアーの人が

「……ああ、そうですか。わかりました。ありがとうございます……」

と答えた。

うしろのほうにいたディレクターらしき人は、いかにも

「つまらねえやつだな。使えねえよ。無駄なテープ回させやがって」みたいな

顔をしていて、スタッフ一同オレの前からぞろぞろと退散していった。

 

あのとき、なにか面白いことひとことでもいっておけば、ちょっとテレビにでて

いたかもしれなかった。おしい。

教訓 映画館で映画を観終わったら、なにかひとこと考えておこう。

 

 

 

初恋はいつだっただろう。

おぼえていない。

初恋といえるほどの恋はしていないかもしれないが

本当にこの女を好きになってしょうがないといえる状況に陥ったのは

25歳かもしれない。

 

でも、なんとなく好きになったというか、いいなあと思ったことは

ずっと前からあったのは憶えている。

 

小学校2年生か3年生のとき。

祖父に連れられて東京湾のはとバスツアーにふたりでいったことがあった。

そのときのバスガイドのお姉さんがたしかクマガイさんという人で子供ながらに

「綺麗な人だなあ」と思い、好きになった記憶がある。

船の博物館かどっかで集合写真を撮って、移動時間中にクマガイさんがその写真を

「1枚どうですか?」といいながら席を回っていて、1枚たしか3000円くらいして

高かったんだけど、オレはクマガイさんが一緒に写っているその写真が欲しくて

祖父に「買って!」と無理をいい、3000円もする写真を買ってもらったことを

おぼえている。あれは祖父に申し訳なかった。

 

あと、中学3年生の14歳で京都に修学旅行いったときは、京都での移動先での

バスがマエダさんという当時18歳のバスガイドさんでその人のことも好きになった。

丸っこい顔で可愛らしくて他の男子生徒にも大人気だった。

 

別にバスガイドフェチというわけじゃないんだけれども、正直オレは小さいころから

年上の女の人が好きだった。今もそうかもしれない。さすがに人によるけど。

叶わぬ夢だったけど、19歳のときは31歳くらいの女の人と付き合いたいと思っていた。

ちなみに過去記事にも書いたが、そのとき好きだった女性有名人は山咲千里。

セクシーな写真集も買った。

 

はっきりいって25歳までは年下の女性にほとんど興味なかった。

 

……んだけど、今思い出してみるとひとりだけ25歳までの期間で例外がいた。

年下で可愛いと思った女性。

観月ありさ。

 

年齢的に観月ありさは2コ下。

たぶんそのへんを歩いている2コ下だったら、興味なかったと思う。

芸能人だったからというのも大きい。

 

あと、今の観月ありさははっきりとした美人だけれども、デビュー曲を歌っていた

ころの観月ありさって恐れずはっきりいうと、「個性派美人」と「ブ○」の

ギリギリ境界上ではあったのだ。

でも、そのキワドいところが逆に惹かれたし、「そんなキワドいところの女が好きな

オレってちょっとイケてるだろう!?」みたいなところに酔えたりしていた。

観月ありさってそういう魅力が今でもあると思う。

 

この前、BSで「ケンコバのほろ酔いビジホ泊」を観ていたら、ケンコバが大浴場に

入っている映像のBGMで観月ありさの「伝説の少女」が流れていた。

なので懐かしいなあと思い今回記事にしてみた。

 

この曲が入っている観月ありさのCDアルバムも昔買ったなあ。

オレが高校生のころだからもう30年以上前の曲になるのか。懐かしい。

観月ありさといえば、後半は小室哲哉ファミリーになって、「TOO SHY  SHY BOY」とか

リリースしててそれとかも好きだったんだけど、どちらかといえば初期のころに出してた

尾崎亜美が作ったこの「伝説の少女」とか、岸谷香とかが作った「エデンの都市」とかの

ほうがオレが時代を感じられて好きだった。

高校生のとき、伊集院光のラジオ番組で観月ありさのコンサートチケットプレゼント応募

やっていて、ハガキだしたら当選して、中野サンプラザまでコンサートも観にいったことが

ある。

「伝説の少女」は生で聴いて良かった。

観月ありさの曲のなかでオレは「伝説の少女」が一番好きだ。

 

いや、でも正直当時、観月ありさのファンをやることはかなり疲れた。

男でオレだけかもしれないけれど、「女性芸能人のファン」をやることはかなり疲れるのだ。

 

今は「推し」という言葉がある、

オレはよくわからないけれど、たぶん「推し」と「ファン」は微妙に違うようだ。

 

「推し」というのは自分以外の人にも、その人あるいはグループをいいですよ!とすすめる

ようである。でもファンというのはあくまでも個人でその人あるいはグループを好きになる

形態だといえる。

 

オレの場合、今までファンになったことはあるけど、推しになったことはないのだ。

 

もう、中学生から高校生くらいの自分のことを思い出して書くと、すごく気持ち悪いけれど

「ひとりのファンとしてひとりの女性芸能人のことを好きになる」

のではなく、

「ひとりの男としてひとりの女性にことを好きになってしまう」

という、ヒジョウに悪い癖があった。

 

普通、自分の好きな異性芸能人とかが、ドラマとかにどんどん出たら嬉しいのかもしれないけれど、

オレは嬉しくなかった。

 

それどころか、恋愛ドラマとかに出れば出るほど、どんどん共演する男性俳優とかとも親密

になってしまうんじゃないかと心配で心配でしょうがなかった。

 

オレが観月ありさのファンだった高校生のころ、「放課後」という男女が入れ替わる設定の

ドラマで、観月ありさがいしだ壱成と共演していた。

そのとき、観月ありさがいしだ壱成と共演することにすごく嫉妬していただが、そのドラマ自体が

5話完結という短いシリーズだったのでとても安心してたのだが、そのあとすぐ同じフジテレビの

月9で「じゃじゃ馬ならし」というドラマが始まり、そちらでもまた観月ありさといしだ壱成が

共演するということをしり、製作スタッフにたいして、

「また観月ありさといしだ壱成を共演させるのかよ!ふざけるんな!ふたりがくっつたら

どうすんだよ」

と憤ったのを憶えている。

 

そうなんだ。

オレの場合、普通の人と感覚がちょっと異なるのだ。

普通の人の場合、好きな異性有名人がドラマとかテレビにどんどん出たら嬉しいのかもしれないけれど、

オレの場合、嬉しくない。

というか、新しいドラマとかに出れば出るほど、その共演者と親密になってしまうんじゃないかと心配

してしまっていた。

だから、きっとそのへんの感覚は今これを読んでいただている皆さんと違うかもしれないけど

オレの場合、好きな女性有名人がでたらまず、「すぐに芸能界を引退してほしい」と思う感じだった。

芸能界にいて下手にイケメン芸能人と出逢って、その人と結ばれるくらいなら、芸能界から

いなくなってくれと。

 

「オレのものにならなくていい」

そのかわり、

「他の誰のものにもならないでほしい」

そんなところだった。

 

いや、あくまで過去の価値観なので。

 

ここ30年以上は好きな女性芸能人がいないので、思いつめることもなく気が楽である。

人を好きになるって、かなりパワーがいるのだ。