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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

ペルーでも近年、中南米からの旅行者が増加してきている。

しかし、アルゼンチン人の中は街頭で行商、横断歩道でジャグリングをして、生活費を稼ぎ、コロンビア人のなかには行商をするものもいれば、もっと悪徳の犯罪を行っている。

実際、コロンビア人とであっても、個人的には友達にはあまりなりたくない。

http://larepublica.pe/sociedad/876011-cusco-prestamos-gota-gota-amenazan-comerciantes-video

 

ペルーで観光ビザで滞在しながら商売人から恐喝を行うことを生業とするコロンビア人を警察が逮捕した。

 一滴ずつ」と知られる方法で、恐喝に従事してきた外国人による犯罪集団のメンバーコロンビア人のエベリオ・アレナス・フランコ(30歳)が、挙動不審の様子の中、逮捕された。恐喝の被害者はクスコの商売人である。

アレナス・フランコは旅行者という在留資格には不適格な活動、商業アーケード「パライソ」に店舗ブースで販売している人々に、「一滴ずつ」と呼ばれる方法で貸金を行っていた。

少ない返済支払い回数で商売人たちに即座に金を貸すが、後で法外な利息を支払わせる。これがコロンビア人たちが従事している恐喝の新しい方法である。取り立てを効果的にするために身体への暴力や脅迫も行っているだろう。

警察の提供した情報によると、帝国都市で違法な商売に従事している30人近いコロンビア人が捜査の対象になっているという。

 逮捕された容疑者からは480ソーレスと、住所や電話番号がいくつも書き留められた紙が発見された。住所や番号は被害にあっている考えられる人々ものと推測される。

 
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El Comercio紙5月14日付に掲載されたIpsos社の5月期の世論調査

ペドロ・パブロ・クチンスキー大統領の支持率は4月と変化なし。 

しかし同社の世論調査で先月分で出てこなかった項目。

それはフジモリ、ガルシア、ウマーラ元大統領たちに関する問題に関する国民の感想。

あくまでも国民の気持ちであって、それが正しい判断だというわけではない。

 

収監中のフジモリが、恩赦か自宅で刑期を終えるべきか

  大統領は人道上の理由からフジモリに恩赦を与えるべきである 

賛成 59%

反対 38%

 

フジモリに関して何をすべきか、

テロリストでない高齢の受刑者は自宅で刑を終えることができる法律をつくるべきである。  37

恩赦か釈放をすべきである。 36

刑務所に留まるべきである  24

 

オデブレヒト事件

ブラジルの総合建設会社がラテンアメリカ各国で多額の贈賄を行いながら入札に成功してきた件

ブラジル・オデブレヒト社長の電話帳に出てきたAGのイニシャルとアランガルシア元大統領の関連

AGはアラン・ガルシアのイニシャルを指す  74%

   別人のイニシャルである       18

 

ウマーラ元大統領と妻エレディアのカップルは政権時代にオデブレヒト社に便宜をはかった

 便宜を図った 92%

便宜を図らなかった 4%

 

 オジャンタ・ウマーラ元大統領とマードレ・ミア 村人行方不明事件

マードレ・ミア事件

1992年、ワヌコ州、マードレ・ミア基地の兵士たちががテロリストとみなした二世帯を誘拐、女性二人が行方不明になった事件で、当時軍人だったオジャンタ・ウマーラがかかわっていたというもの。

誘拐され・拷問を受けながらも脱走することに成功したホルヘ・アビラが兄弟の嫁と、祖母が行方不明になったと警察に訴えたが、その後、届けを引き下げた。しかし、今年4月、ウマーラ側から4500ドルが支払われたために訴えを引き下げたと告白。

行方不明事件と殺人に関してウマーラは有罪か否か? 

有罪である 69

無罪    15

 ウマーラはマードレ・ミア事件で証人に金を払ってだまらせた。

有罪  75

無罪  13%  

 

検察はオジャンタ・ウマーラを予防拘禁を請求することが必要か?

予防拘禁を請求すべき 73%

予防拘禁は必要ない

 

 

セサル・サンマルティン最高裁判事

フジモリに25年の禁固刑の判決を下したことは

客観的に行った。38

厳しすぎる   54

 ウマーラを起訴したマードレ・ミア事件を棄却したことは

ウマーラの捜査に関して客観的であった 17

ウマーラを放免にすることで便宜を図った 75%

 

 

 

 

 

 

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日本に帰国して、滞在していた3か月の間に、スペイン文部省認定スペイン語検定試験DELE(Diploma de Español como Lengua Extranjera)を受けた。

日本の西語検定は、受験申込締め切りが私が日本に到着した日の前日で、出願できずに終わった。

 

では、DELEはどうだろう?

アマゾンでも楽天でも過去問題集は在庫切れで、対策のたてようもわからなかった。

なんとかAdelanteという大阪のスペイン語専門学校で在庫があるというので、着払いで対策本を購入し、

http://www.adelante.jp/deleinfo.html

 

ようやく受験申込。

 

はじめてのDELE受験で

B2(中上級)レベル。このレベルは

「複雑な内容や抽象的なテーマ、スペイン語の多様性を認識し、既知の専門的内容を理解することができる。流暢かつ自然で、聞き手に困難を与えない会話能力を持ち、明瞭かつ詳細な文章を作成し、推論的分析、ディベートなどができるレベル。」

http://tokio.cervantes.es/jp/dele_diplomas/information_diplomas_spanish.htm

 

まあ、かつて英検もいきなり2級から受験し始めた人間だが・・。


仕事でつかえそうなレベルはB2かららしい。

申し込み締め切り前日に、速達で受験申込書を送付。

受験料振り込みのために行った銀行で同じ銀行でも振込手数料がかかることを知って愕然とした。ペルーでは同じ銀行同士なら手数料無料なのに!

 

 

しかし、申し込み後も姉家族宅の居候の身で勉強はろくにできなかった。

他に買ったばかりの

>極める! スペイン語の接続法ドリルスペイン語作文の方法 構文編

をスタバやファミレスのガストに籠って勉強したが、身に着いた実感もなく・・。

対策問題集も??

リスニング特訓のためにペルーやスペインのラジオを聞こうとしたが、電波が途切れがちだった。

 

 

で神戸は西舞子の実質的に明石市の姉宅から、枚方の関西外大に2時間以上かけて2日間通ったが、筆記は時間配分を失敗し、面接はスペイン人面接官の白い外見とそのスペイン語に緊張させられ、かなり落ち込んで帰宅した。

 

試験開始前から、周りが皆賢く見えて。

私は外大で勉強したわけではない。ほぼ独学だ・・。

 

私にはケチュアニョールしかできない・・。

 

また同じレベルを目指して勉強しなければならないか・・。

かなり落ち込んだ・・。

 

ペルーで受けるか?とも考えた。

 

姉宅に合否がとどいているか訊くのも恥ずかしかった。

 

そして今日二日前に姉のメールに添付されていた画像。

 

 

たぶん。姉にとっては何を言っているのかわからない文面だったのだろう・・。

 

何も書かずにセルバンテス文化センターの標題と、Diplomaの画像が添付されているだけだった。

 

とりあえず、ホッとした。

 

しかし、まだ次のレベル、C1,C2に向かって勉強を続けなければならない。

 

 

 

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ペルーの金銭的貧困報告書が発表され、ラジオで「あなたの生活は改善されたか」という電話を募っていた。電話インタビューの実態は、報告書と現実が一致していないことをさらけだしていた。

しかしながら、報告書を読むことも重要だ。

記事はDiario Correo紙のフニン州ワンカヨ版で、フニン州のことについて注目している。ちなみに貧困層が最も少ないのはイカ州である。

 

http://diariocorreo.pe/edicion/huancayo/junin-la-region-donde-se-redujo-la-pobreza-749170/

 

2007--2016年度の金銭的貧困の技術的報告書にある数値で、フニン県は貧困層が減少した4州に入る。

2016年に264000人が貧困状態から脱したと、国家統計情報局(以下INEI)の局長のアニバル・サンチェス・アギラルが報告した。

特別なグループ

フニン県はランバイェケ州やタクナ州と並んで、金銭的貧困が14%から18%の間にある第4カテゴリーに入っている。

国家統計情報局の州局長のコンスエロ・ガルシア・ゴドス・アラルコンは、州の経済成長は、社会プログラムとともに、たくさんの企業家が貧困の減少に貢献していると述べた。

課題

「フニン県では平均的生活レベルが改善したが、アンデスへ地域農村地域とアマゾン地域で格差が拡大したことを無視してはならない」と、フニン州の貧困対策事務局の代表のフレッド・ゴイテンディア・マトスが述べた。

フニンにはとくに、上水、下水といった基本的必需品や適切な住居状態や教育へのアクセスが欠けているアンデス農村部とアマゾン地域の住民の生活レベルを改善するという課題ががある。と

比較:INEIの報告によると、貧困が最も減少したのは海岸都心部で(2.4%ポイント)、次いでジャングル農村部(1.8%ポイント)、海岸農村部(1.7%ポイント)、山岳農村部(1.2%ポイント)ジャングル農村部(1.1%ポイント)、それに比べ、山岳都心部とリマ都心部では数値に目立った変動は見られなかった。

金銭的貧困の問題がもっとも大きい州はカハマルカ州とワンカベリカ州で、貧困は43.8%と50.9%の間にある。

 

国家統計情報局は、貧困格差とは一人のにある人物が、貧困ラインに達するるために必要な費用の割合で、これは5%であった。最低生活費

ペルーにおいてINEIが行う絶対的客観的金銭的貧困の測定は、一人当たりの平均月間支出と、貧困線と言われる食料費と非食料費を合わせた最低生活費を比較。この貧困線は2016年には一人当たり328ソーレスで、4名の世帯なら、1312ソーレスとなっている。

 最低生活費

2016年の時点で、極貧層は一人当たり月間支出が、176ソーレスと計算される最低の食費に届かないすべての人々、また4人家族の一世帯では最低支出が704ソーレスである者を指す。本年、最低支出もしくは貧困線は物価の上昇のために2015年と比較して4.2%増加した。同じく最低食費もしくは極貧線は4.6%上昇した。

 

INEIによると、貧困格差とは、貧困ラインに達するために貧困レベルにある人物に必要な支出の割合で5%であった。

 

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政治社会経済の面白い(訳しやすい)記事を探していたら、こういうのがあったので、チョイスしてみた。

ペルーの記事なので敬語は使っていないことを断っときたい。皇室でも天皇系でもなく皇帝家とか帝家にしている。ほんとうは天皇と英語のEmperorは別物なので・・。

 

50年前、1967年の今日、当時日本の皇帝家の殿下・妃殿下であったアキヒトとミチコが、4日間の公式訪問のためにリマに到着した。ぺルー滞在の間、日系人居留者たちの歓呼を受け止め、ペルー文化に触れた。

1967年の511日午後、殿下とと妃殿下はホルヘ・チャベス空港に到着し、フェルナンド・ベラウンデ大統領、大臣たち、公共機関の長たち、何百という人々に迎えられた。

窓の閉められた自動車で、一団は、フォーセット通、ラ・マリーナ通、ペルシング通、サラベリー通を通って、リマのセントロに向かった。ソフィアナム小中学校の辺りでは色とりどりの着物を着た生徒達がミチコ妃に花束を手渡した。テレサ・ゴンサレス・デ・ファニング小中学校の若者たちはサラベリー通に集まり、日本の旗を振って、帝室のカップルに歓声を送った。

728日通、ウィルソン通、コルメナ通、ウニオン通りを通ってを大統領官邸に向かったが、ラ・ウニオン通ではアキヒト殿下とミチコ妃それにベランデ大統領が紙吹雪で迎えられた。日系人大学生協会の若者たちは着物やペルーの伝統衣装を着ていた。

翌日、ペルー人は、ラ・パンピージャの製油所の視察や日本ペルー文化センター開所式を含めた両殿下の行動を一つ一つ追った。

 

ラ・パンピージャ製油所では、アキヒト殿下がハイオクタンの塔から30人の日本人技師が1000人以上のペルー人技師と工員が行う作業を視察した。

リマの日系移民ほぼ全員がが出席したセレモニーではフェルナンド・ベラウンデ大統領がアキヒト殿下とミチコ妃に付きしたがって、ヘスス・マリア区の日本ペルー文化センターの開所式を行った。ミチコ妃は伝統的なテープカットとシャンパンボトル割りを行った。

開所したばかりのセンターの庭では、先祖伝来の友情の松のセレモニーの後、ミチコ妃が松の木を三本植樹した。

セレモニーはセンターの運動場に移り、日本人学校の女学生たちが、共和国衛兵音楽隊の伴奏で日本の国歌とペルーの国歌を合唱した。

その後、ミチコ妃は、身寄りのない老人兄弟保護の家を訪問した。中には日本人も含まれる老人たちは感動して、赤い色の蘭と自分たちで作った記念品を妃殿下に贈った。

 

両殿下はプエブロ・リブレ区の国立人類学・考古学博物館を見学。お二人はパラカス一帯で発掘された4000年前前の。葬儀用包に感心し、退出するときには博物館周辺に集まった小中学生が愛着を表現するのに感謝した。

514日日曜日、訪問日程はパチャカマック遺跡併設博物館、日本人考古学者天野芳太郎の施設博物館見学へと続いた。リマ訪問はウニオンクラブでの多数の日系人移民との会合で終わった。

 

 

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