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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

クスコのラテンアメリカバロック音楽フェスティバルが講演会とコンサートからなっているが、講演会後、頭を使ったあとの合間の時間つぶしに行ってしまったサンドイッチショップ。

ハムや食肉加工品の量り売りもしている。
なぜかクイ(テンジクネズミ)のハムもある。

サンドイッチはそこで売られているハムやソーセージを選んで、タマネギやトマトと一緒にサンドしてくれる。ハムなどはその場でスライスしたものを使うので、新鮮な感じがする。

私はロースの燻製をチョイス。
目の前で、焼いてくれる。ついでにパンも温めている


脇にあるアルミ製のポットは濃縮コーヒーが入っているのだろう。


頼んだカフェコンレチェ(カフェオレ)。

たっぷりの牛乳にコーヒー濃縮液が添えられている。



濃縮液を自分で投入して飲む。


コーヒーの香りは期待できないが、牛乳でたっぷり栄養を取ったという気にさせてくれる。
こうしたカフェ・コン・レチェ用のコーヒーは焙煎時に砂糖をまぶして黒い色が出やすいようにした安い豆が使われる。
ロースの燻製がたっぷり使われたサンドイッチ。


おしゃれ感はないけれど、栄養はしっかりとったという満足感があった。
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バロック音楽フェスティバル

午後にはスペイン植民地時代の歴史や音楽に関する講演会があり、夜は教会、演奏グループとも日替わりでで演奏会が行われるのだけど、演奏会が夕刻にミサがある教会で行われるので、7時30分の開始時間に始まったためしがない。

ミサが終了してから、演奏者用の椅子を設置して、プログラムを配って・・なんてやっているので、初日のラ・コンパニア・デ・ヘスス教会は7時50分開始だった。

演奏はリマの古音楽演奏グループ。



終了が9時20分だったので、かなりつらいことに・・

待っている間に撮った写真。
高さ21mの金箔貼り、バロック様式の主祭壇。


ドームの内側


側廊のファティマの聖母の祭壇


バロックどころかルネサンス時代のも交えた古音楽の演奏なので単調で、退屈で、待った割には満足感が少なかった。


二日目、メルセー教会での演奏会はさらに遅れた。メルセスの聖母の日が二日後の9月24日に控え、盛大なミサを行っていた。9月はワンカ祭りもあるので、クスコのメルセー教会は忙しいことで・・
8時10分にようやく始まった演奏はリマのカトリカ大学の古音楽グループ。
昨日と同じメンバーも混じっている。


メルセスの聖母


メルセス会創始者の聖ペドロ・ノラスコ


演奏の合間に午後9時に抜け出さざるを得なかった。
今晩はサンフランシスコ教会で、クスコ交響楽団の室内楽メンバーが演奏する。幸いにも古音楽は少なく、ビバルディやアルビノーニのようなお馴染みの作曲家の曲が演奏されるので期待できる。
信者がそれほどない教会なので、開始は、亡くなった人を悼むミサさえなければ、時間通りになってくれるのではないかと・・。
あくまでも期待だが・・

アッシジの聖フランシスコの日もまだ先だから大丈夫よね?!

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日曜日の耐久走の終盤、サクサイワマン遺跡からアルマス広場へ降りる途中で少しだけ見たインカの成人式ワラチクイ祭。外からのぞいただけ・・。


たいへんだな、生徒たち・・。



インカの巨石建築の前で子供たちが集まって・・。




舞台にいるインカ皇帝とそのお后は学生ではない。
インカ皇帝役はプロの俳優、オスカル・カリージョで、インティ・ライミ祭でも皇帝役をつとめている。

身体能力テストの落としあい・・。




何気にたっているように見えるけど、実は四六時中、単調なリズムに合わせて足踏みをしている。





出番を終えた小学生、訊くとコンドルの役をやったらしい・・。

こうしたコンドルっ子たちが祭の終了前にサクサイワマン遺跡からトボトボと降りていっていた。




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NHKスペシャル 失われた文明 インカ
土曜日クスコのアルマス広場の虹色の旗が半旗となった。




かつて2003年、コパ・スダメリカーナ決勝でリバープレートに勝って優勝、2004年レコパで簿か・銃にオールを破ったシエンシアのを率いたフレディ・テルネーロが腎臓がんで亡くなったのだ。
テルネーロはリマ出身。通常、クスコ出身の重要な人物やペルーの大統領の死去でもないかぎり、クスコの旗が半期となることはない。にもかわかわらず、一サッカー監督の死をクスコ中が悼んだとは彼がクスコ市民に与えた喜びがあまりにも大きかったからだ。

52歳だった。
現役時代は主にウニベルシタリオで活躍したが、コーチ、監督としてはいろいろなチームを渡り歩いたが、その最大の功績はクスコのシエンシアノ時代に見られる。
当時シエンシアノは2001年のリベルタドーレス杯で決勝トーナメント1回戦まで進んだ以外は、南米レベルでは無名のチームで、戦力も他チームを解雇されたロートル選手の集まりであった。しかし、そのチームをスダメリカーノ杯で優勝させ、レコパで当時世界最強といわれたボカ・ジュニオールに勝たせた手腕は高く評価され、ペルーサッカー史上、クラブチームとしては唯一の国際トーナメントタイトルを獲得した監督として10年以上たった今も語り草になっている。





ボカ・ジュニオールを破ったあと、クスコに凱旋したチームを向かえるクスコ市民の波は空港からアルマス広場までの5kmの道を埋め尽くした。

その後、テルネーロはペルー代表監督を一年務め、キリン杯で優勝。

政界に移ったあとは、2007年から14年まで2期、8年間、リマのサン・マルティン・デ・ポーレス区長を努めた。

しかし、栄光の2003年、2004年のシエンシアノ関係者が事故にあったり、病気にあったりしているのが目立つ・・。

選手だったフリオ・ガルシアは交通事故に合い、車椅子生活、またフアン・カルロス・バサラル(写真向かって左)は胃がんで治療を受けた(現在は回復)。

セニョール・デ・ワンカのご利益も利かないのかな・・。

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