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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

ようやく市民パレードとインティライミ祭りが終わり、落ち追記を取り戻したクスコの街。
ことしは地方分権サミットと称して、全国ちっじか意義や市長会議がインティライミ翌日の6月25日、26日と行われ、それにペルー大統領に当選したばかりにクチンスキー氏が出席したりして警戒体制が敷かれていた。
23日にクスコに到着して、早速行ったのが、かつてのブラジル代表サッカー選手、ロナウジーニョ・ガウチョとの握手。


ジーニョは26日の行われて、クスコのシエンシアノとスポルティング・クリスタルの神前試合でシエンシアノのユニフォームでプレイすることになっていた。
かつて、2003年のコパ・スダメリカーナで優勝し、2004年には当時世界最強のクラブチームだったボカ・ジュニオール(コパ・リベルタドーレス優勝)を破って南米最強となったシエンシアノは経営状況の悪化もあり、二部リーグ落ちをしてしまった。昨年は一部リーグでの戦績も悪かったが、最終的には給料支払い遅延のために勝ち点を減点されたのが、二部リーグ落ちの現況となった。

クチンスキー氏はインティライミでアルマス広場での儀式に参加して、進行を大幅に遅らせた。


さて、地方分権サミット。
国会では少数与党となった「変革に向かうペルー人」党が頼りにするのは全国地方自治体首長たち。
地方自治体は自らの決定権の拡大を望み、7月28日に始動するクチンスキーが地方援助省を新設するのを歓迎する一方で、官僚化が進み地方の決定権弱体化するのではないかと懸念する向きもある。

さて、ジーニョ


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私は7月派!


ペルーでは冬至の6月21日が冬に始まりらしい。
ニュースで盛んに言っていた。

「リマで気温が18度で寒いってさ。クスコは零度近いんだけどね。ハハハ。」

リマのラジオ局の通信員の友人が笑っていた。

晴れ間がなかなか見られない、どんよりとした曇り空と霧に覆われた、湿度の高いリマは気温が15度程度でも寒く感じられる。

一方でクスコは日中の最高気温が20度、最低気温が氷点下・・。


今年は夜の冷え込みが厳しいかな?
という程度で、当たり前にすごしている。

今日はインティラミ祭であり、「クスコの日」でクスコ県民の祝日。
このクスコの日は1944年に制定され、インカの時代の太陽の祭りを年代記をもとに再現した第一回インティライミ祭の第一回が行われた。

その後クスコの週というのが設けられ、さらにクスコの月に拡大された。
イベント、パレード続き。

私も昨日は市民パレードに弁護士のグループに誘われて参加したが、疲れるだけ・・。
(自分では写真を撮っていないので、仲間が送ってくれるのを待っているのだが・)

6月23日は祝日ではなく、公共機関はほぼ公定休日状態、図書館は休みだったし、市役所も応対なし。みんな機関毎のグループで参加する市民パレードへと赴くのだ。

そんな浮かれ気分のクスコとは別にペルー全国のニュースは平日状態で、大統領府や国会は機能している。
ニュースを見て初めて、平日なのだと気づいたり・・

「クスコの日おめでとう」
というニュースでのメッセージを聞いて、不思議な感じがして・・・。

今朝近所のロサスパタ市場に行くと、土焼き料理のワティヤをするために肉やイモ類を買い物してバスでサクサイワマン遺跡方面に向かう人々をたくさんみかけた。



アーティストの友人、マルシアル・アヤラ君もそうだった。

午後6時、アルマス広場方面に向かう途中に、サクサイワマンから降りてくる人々をたくさんみかけた。
インティライミから帰ってきたのか、それともワティヤから帰ってきたのか・・。

広場周辺では大統領に当選したばかりのクチンスキー氏が講演をするために厳戒態勢がしかれていた。
副大統領になる人が泊まっているホテル前も警官が並んでいた。

祝日気分に浸っていない人もいるのだな・・。

と感じたしだいだ。





夏って6月、7月、8月、いつからだと思う?
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気になる投票結果は!?


もう一度復活してほしいもの ブログネタ:もう一度復活してほしいもの 参加中


クスコに住んで15年。いつまでたっても好きになれないのは6月、クスコの月。
パレード続きで、人にあふれて、交通渋滞がひどく、ゴミだらけの街中。
クスコには文明がないのか!
と毎年思う。
そんな私もお誘いをうけて、明日パレードに参加するのだが・・

そんなパレードで混雑するアベニダ・エル・ソルのカフェで友達とジュースを飲んでいる最中にラジオから聞こえてきたのが
サルサ・カリエンテ・デル・ハポン


オルケスタ・デ・ラ・ルス・・。
ボーカルのノラのスペイン語が下手だったな・・
と今になって思う・・

しかし、第一次オルケスタ・デ・ラ・ルスが解散して二十年近くなるのに、まだ南米で聞かれ続ける・・ってすごいと思う・・。

ラテン・マーケットでヒットしたのは決してキワモノ扱いだったからではないのだろう・・。

まだ90年台のテロの時代のペルーでもライブを行ったデ・ラ・ルス。

初期のメンバーでもう一度聞きたい!


VERY BEST OF ORQUESTA DE LA LUZ~25th Anniversary Collection



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大統領選では僅差で敗退したが、国会(一議院制)では、大多数の73議席を獲得したフジモリ派(大衆の力=フエルサ・ポプラル)


しかし、当選した73名のうち30名がフジモリ派で、しかも党員名簿に記載されているのは11名のみ・・。
キリスト教民主党に所属していたが、同党がアプラ党と選挙同盟を結んだためにフジモリ派で立候補して再選した議員が2名いる。


何人かは寝返るかもしれないと言われるが・・

7月28日より大統領となるクチンスキー氏の会派では組閣にフジモリ派をいれるともいわれるが、
「(クチスンスキー側が選挙運動中に)メディア操作などで汚い手を使った・・」などとのたまう議員・関係者もいるフジモリ派と組むのは並大抵なことではない。
さらにフジモリを当選させないために、クチンスキー投票を勧めた左派の顔を立てるののもたいへんだ・・。

矛盾だらけ・・。

インティライミとペルー全国市長会議のためにクスコを訪れるクチンスキー、どう扱われるか楽しみだ・・

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ペルーの大統領選でクチンスキーが無事に勝ってから、一週間。
「文化財を守って・・」展の準備が忙しく、さらにクスコ歴史地区の規則に関するセミナーに出席したりとブログを書く余裕もなかったりした。
各自が所有している写真を持ち寄っての質素な展覧会ではあるのだが・・

展覧会は開会式は同じ会場での大衆集会の会合の後に行って、仲間のギターで踊り狂った。
カフェと協賛を約束してくれた仲間が展覧会の日付が前倒しになったことにむくれ、ワインを日本しか提供しなかった上に、使い捨てのプラスチックのカップを25本しか買わなかったこともあり、かなりつらいやりくりになった。おまけに盆やコルク抜きは私が持参し、提供されたワインやカップ類も私が持って行くはめになってかなりつらい状況だった。

ただ、ほんの少しのワインでも踊りで盛り上がってしまった仲間に「ありがとう」と言われたのはうれしかった。

しかし、ペルー人は感謝は言葉だけで、開会式の後始末はしないし、展覧会の説明展示の準備もしてくれない・・。
イラッしてきた。

さらに、一つ一つ抱え込んでいくと、さらに次から次へと頼まれていく・・
違法建築ホテルの裁判、上告審が、6月22日、インティライミ前にクスコ市民が浮かれているときに行われることになり、この件に関するプレスリリースがメンバーのメールに行われてきたのだが、翌日にセミナーで会ったメールの送り主が、「広めるように」と命じてきた・・

「・・・」

またかよ・・

毎日イベント目白押しの6月のクスコの街・・。

今日は展覧会の開会式に行ってきた。
クスコ祭りのプログラムにあった行事が2つ中止になってしまったのは残念だが、国立銀行のギャラリーで、文化省主催の展覧会「アンデスの風景」は、一つ一つの作品はよかったのだが、たくさんの作品を詰め込みすぎて、作品と作品の間が狭く、息苦しさを感じたり、作者・作品名のラベルが見にくかったりしたのは残念だった。

ギャラリー自体は広いので、真ん中にスペースは十分あったので、
「パネルをもっと使えばよかったのに・・」
とクレームすると、

「ギャラリーがもっていないんですよ・・」

文化省がたくさんパネルを所有しているのを私は知っている!

言い訳はペルー人の特権。
解決策を探そうと努力をしないのはペルー人の修正・・。

展覧会でストレスがたまって・・


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