3月15日にはリマで二回目の集会が行われ、
16日にはケイコ・フジモリ候補が選挙運動で訪れたタクナでも反対でもが行われた。
4月5日には全国一斉反フジモリ集会が呼びかけられている。
この日付は1992年、ケイコの父、アルベルト氏の政権で憲法を停止し、国会を閉鎖、野党議員、反対はメディアを逮捕、自宅軟禁した「自己クーデター」事件にちなんでいる。
アルベルト氏は90年代に大統領になったものの、少数与党で80年代にはじまるハイパーインフレやテロの横行の対策を行うのに、野党の反対が多く、大統領に権限を集中するために、強権発動したのだ。
しかし、これ以降、テロリストの容疑で逮捕されたものを覆面判事が裁くようになり、反政府運動の温床だった大学を軍隊がコントロールし、テロリストとあやしきものは誰でも逮捕していくようになり、軍隊が無実の人々を連行、殺害したり、女性を暴行したりした。
ハイパーインフレはおさまり、テロは次第に収まっていったが、そのかわり人権侵害が激しくなり、マスメディアのコントロールされ、フジモリ氏の権威主義的政治傾向は強くなり、腐敗はどんどん進んでいた。
そんななか、長女のケイコはファーストレディをつとめた。
クスコでも反フジモリの世論は強く、日本人の私はなんだか息苦しくなってきた。
「フジモリが!」
「フジモリの時代には!」
そういうたびに私を見たりして・・
フジモリはペルー人なんですけど!
私の参加するクスコでの違法建築中のフォーポイントbyヒルトンホテル反対運動も、それに便乗することになった。
4月5日が火曜日にあたってしまい、恒例の火曜抗議集会と重なったのだ。
運動に思想が入り込んだり、政治化するのは避けてほしいと先日発言したのだが、反フジモリブームはここにも入ってきた。
フジモリ一家がビルカバンバで盗掘して、ヘリコプターで運んで、リマに持っていったという話を文化省職員が言っていた。
マチュピチュ遺跡を民営化することを計画したのもフジモリ政権。
クスコではフジモリに反感は強く、前回2011年の大統領選挙のフジモリVsウマーラ氏の決選投票では80%がウマーラ氏に投票している。
4月10日の投票日を控え、政治の話は避け、クスコの人々と議論をするのはやめておこう。
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フジモリ時代のペルー―救世主を求める人々、制度化しない政治
