ペルー雑誌の広島特集と日本に対する失望と・・ | PERU day by day改めKansai day by day

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17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

「核と人類共存できない」=原爆ドーム前、川に投影-広島・原爆忌
 70回目の「原爆の日」を前に、広島市中区の原爆ドーム前を流れる元安川の水面に5日夜、被爆者で哲学者..........≪続きを読む≫



1980年代まで地球の終末は核実験がもたらすものだと思われていた。
今は少し変わってきたのかもしれない。今から30年前は映画で核戦争がよく描かれていたし、地球温暖化がさかんにささやかれる現代とは逆に、80年代には「核の冬」が語られていた。

アメリカが地下核実験をするたびに広島や長崎の市長が抗議の「電報」を送っていた。

広島・長崎から70年発つのだが、今成人して、社会に出る若者がソビエト連邦の崩壊を知らない世代などだと思うと自分の年齢を感じざるを得ない・・。

夏休みに市役所が平和教育をし、商店街で戦争特集を行っていた世代なのだが、今の日本はどうなのだろう・・。ある意味、戦争を拒否し、平和を願うことが当たり前に育てられ自分は幸せだったのだと思う。

もちろん米ソ二極化の核軍拡競争から、北朝鮮・パキスタン・インドなどの核開発多極化がさらに恐怖を増やしているのだろうけど・・

常に私は思っていた・・

日本は「広島・長崎」のみをアピールするのではなく、ニューメキシコで核実験に参加した米軍兵士、ビキニ環礁などの南洋での核実験で被害を受けた住民の実態を調査して、その声を結集することで核軍縮を進めるだったのではないかと・・。

アメリカの核の傘下にいた日本には無理だったのだろうか・・。
結局それが「福島」へとつながっていったのだろう。

「広島・長崎」で反省をしなかったのは米ソではなく、日本だったのではないか・・。

ペルーの雑誌の「広島」特集は残念なことに、テキストでは米ソ二極化と核軍拡競争の始まりに終始し、「広島」自体が受けた被害は数字と写真とののキャプションのみだった。
また「広島」を題材にした映画として、八月の狂詩曲(ラプソディー) [DVD]ヒロシマ・モナムールはだしのゲン [DVD]
なども紹介されていたが、黒い雨 [DVD]がないのが残念であった。
唯一興味をもてたのは、1995年よりフジモリ政権下で外務大臣を務めたフランシスコ・トゥデラ氏(日本大使公邸人質解放事件の際に負傷した人物)のインタビュー
「選ばれた対象が本質的に市民であったため、重大な戦争法違反を犯している。これを国家テロリズムとみなすことができないとすれば、臨戦態勢にある両軍が受け入れている戦争が存在していたためである。」
最後は「北朝鮮、イスラエル、パキスタン、インドなどの核の多極化」で締めくくられている。

やはり、日本は核軍縮アピールで過ちを犯したのだ。

「福島」を思うと、
「過ちは二度と繰り返しません」
という言葉がうそ寒く感じられてきた。



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