ヨハネ・パウロ二世 征服500年後のカトリック再教化 | PERU day by day改めKansai day by day

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17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

昨日の記事のタイトル少しおかしかったですね。
正しくは
「ヨハネ・パウロ二世 列聖」
だったはず・・。
反省。

ヨハネ・パウロ二世の1985年のペルー訪問について
ポジティブに書こうと思っていたのに、
昨夜の歴史番組のヨハネ・パウロ二世特集を見ていて
気が変わってしまった。

1985年2月1日、リマ空港に到着したローマ法王に対する
当時のペルー大統領、フェルナンド・ベラウンデ・テリーの挨拶
「あなたを500年間待ち望んでいました」
(Estabamos esperandole hace 500 anhos)

500年前・・1532年にスペイン人はインカ帝国を征服し、
植民地支配が始まり、カトリックによるアンデス地域・南米の
強化が行われていく。

リマ-アレキパ-リマ-クスコ-アヤクチョ-ピウラ-トルヒージョ-イキトス

このときのローマ法王の訪問は
ベネズエラ、エクアドル、トリニダド・トバコを含む
南米・カリブ地域外遊の一部だった。

当時のペルーは左翼テロリスト、センデロ・ルミノソによる
テロ行為が盛んになりはじめ、
インフレも進行していった。

テロにおびえるアヤクチョの町、
地方からの移住者がスラム状態で住んでいたリマのビジャ・エル・サルバドール地区。

法王は信者に勇気を与え、その信仰を確かなものにしていた。
今でこそしっかりとしたビジャ・エル・サルバドールは危険地区で
しっかりとした街になっているが、
当時は貧しい移住者ばかりであった。
法王のスピーチが行われた場所も砂地であった。

法王はかつてインカ帝国の首都であったクスコの街も訪れている。
このとき、先住民の言葉ケチュア語で挨拶しようと
周囲の警察官に教えを乞い、発音も直させたのだそうだ。

そしてクスコで・・



現在とそれほど変わらないクスコのアルマス広場を
パパ・モビル(ローマ法王一般拝謁用の車)が走りぬけ、
サクサイワマン遺跡に到着。

遺跡内、かつてご神体であった岩山、スチュナで
クスコ南部、パウカルタンボの村の
カルメル山の聖母像に冠を授ける。

遺跡を埋め尽くした信者の中には
どこの集落からのつれてこられたのか、
民族衣装を着た先住民の人々がたくさん見られた。

山の神のいるサクサイワマンで・・
ローマ法王が、キリストの教えを唱える・・。

自然崇拝のアンデス地域、山や岩山、水の流れにも神が宿っていると信じられていた。
しかし、スペイン人による征服後、伝統的信仰を否定し、
神殿は破壊され、神を宿ると信じられていた山に
十字架を立て、そこがキリストのものだと主張をしはじめたのだ。

ヨハネ・パウロ二世のサクサイワマンでの行為は。
新たなカトリック教化、
偶像崇拝の破壊を思わせた。

ヨハネ・パウロ二世は偉大な宣教師だったのだ。

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