昨日は
家→生野→堺→生野→鶴橋→家
という移動距離なんぼやねん!という距離を移動していた。
(私の最高最短移動距離は家→ソウル→家:一泊含か家→東京→名古屋→家:新幹線移動)

ご多忙に洩れず(笑)「今ここどこやねん?!」を経ながら…。

まず最初の生野は教会。
教会でオルガニスト!


無理……だった。

牧師が説教中に「今日のオルガニストはデビューからまだ日が経っていません。昨日も練習に来て一生懸命……」といわしめたほどの………(私の口から言えません)

ごめんなさい。先生!一生懸命弾きました。
穴があったら礼拝中入りたかった(汗)
…とあとから聞くと、
前日オルガンの練習をしていたとき、何度か「あさみ!」と先生は呼びかけられたらしい。
でも私は気づかずに弾き続けていたらしい(友人談)呼びかけられたのには気づかなかった。というより聞こえなかった。


教会の人たちは音を無視して歌ってはった(穴があったら入りたい………)

その後すぐに堺へ。

堺で元「従軍慰安婦」のハルモニたちの証言集会。


たぶんもしハルモニたちが会ったことのないハルモニなら行かなかった。
もし友人から「もう堺着いたよー」というメールがなかったら行かなかった。


ハルモニたちの目は私に「過去と向き合うこと」を要求する。

それは在日一世のハルモニであれ、元「慰安婦」のハルモニであれ、
「私はここまで言った。あとはあなたの問題」と言われてるような気がする。
「アナタはどこまでする?」と言われてるような気がする。

だからアウトプット。


つまり、女としての、
私の過去と現在の、
「私」としての
アイデンティティを賭けた
「何をするのだ?」

という問い。

ハルモニたちと会うことによって
私が「私が誰でありナニジンに属していて性別は何であり過去とどう向き合っているのか」を問われている気がする。


ハルモニたちには「出会った」
過去に何があったのか、否定をし続ける政府の論法を「知った」

でもそこから「ナニを」するのか。「ドウヤッテ」するのか。
私が誰であり、ナニジンに属しているのか。
自分の過去にアジアという地域の過去にどう向き合っていて、自分のそして、アジアのバックグラウンドに何があるのか。



ハルモニたちはそれを要求し続けている。
「生きている」という自分の尊厳を賭けて戦っている。

私はそこまで、
「自分自身の尊厳」を賭けてまで
戦っているのか?

疲労するほど、泣くほど、闘っているのか?
悩んだことはあるのか?

ナニに対して?
ナニを賭けて?


私は自分自身を護ることすらおぼつかない。
色んなことをインプットしたい欲求だけは誰にも負けないと自負できるほどある。

けれど、
私は私の「過去」を護って戦えるのか?

「自分の過去」と「自分の尊厳」はハルモニの中でイコールでつながっている。それを護るためにハルモニは毎日戦っている。そして時々やって来る悪夢とも。

私は
ナニを護って戦えばいいのだろう。
ナニを武器にして、
ナニを考えて戦術として戦っていけばいいのだろう。ナニを訴えたいのだろう。


昔、こんな詩を書いた。
「戦う」という題だったと思う。
「私は剣の代わりにケータイを持つ/私は盾の代わりに10センチのヒールをはく/聖書の代わりに私の想い/これが私の精一杯の武装/武器はケータイ以外持っていない/私はこのまま闘っていく/……」
という詩だったように思う(原版が見つからない為うろ覚え)
10センチヒールはもう履けない。ケータイは通信手段にしか使っていない。(それも時々忘れる)
聖書はよく持っているようになった。
今の私の武器は聖書かな。武器であり防具だ。でもあまり使い慣れても使いこんでもいないし、今の私にはすごく高価なシロモノでもある。
でも、今後の私にとっては武器になるべきものでもある。



そして昨日は堺から生野に戻った。
生野センターでセンター完成披露の打ち上げに参加し、
関東(川越)在住の大好きなKさん(偉大なる獣医!)や私の師匠!、完成披露のために踊ってくださった韓国舞踊の方、センター美術教室関係の方々、師匠!の大ファンの方と飲んだ。



アウトプットが必要だと痛感しているのに。モチベーションを持ちたいと痛感しているのに。
私はブログに書く以外のアウトプット方法を知らない。
私にとってのアウトプットとモチベーションを探している。

私のバックグラウンドはなんなのか。
私はこれからも悩み続けていく。

「思想」していく。

そのうち、職業:思想家とでも名乗ろうか。


アウトプットの方法を探している。