沖縄県名護市辺野古という集落で、アメリカ軍の新基地建設が始まろうとしている。


その隣には「キャンプシュワブ」という、アメリカ軍海兵隊の基地があり、

理論上では、「基地拡張」であり、「普天間基地」という馬鹿ほどでかい

飛行場の「代替基地」としての移転場所ということになっている。




しかし、その場所の基地建設は、「基地拡張」なんかではなく、「新基地建設」であることが、徐々に明らかになってきている。


現在、環境アセスメント準備書が提出されている。

この広告縦覧を元に、 「意見書」を提出するならせよ というオカミからの命令なのである。




そこで、

URLリンク集を作ってみた。



まず、

準備書全文

HPURL→「http://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/kakubu/03tyoutatubu/junbisyo/junbisyo.html




全部で、5400ページあるというシロモノである。





② 普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価準備書(要約書)


次に、要約書である。






★☆☆★意見書を書くための、参考資料HP★☆★☆




①WWFーJAPAN

WWF-JAPAN


検索で「辺野古」などと入力して、引き出して使ってください。



②辺野古浜通信

辺野古浜通信


辺野古で座り込む市民ボランティア有志の方々のブログ

辺野古の写真が掲載されています。


ジュゴン関連のYOUTUBEも見れます。





③「辺野古」検索@沖縄タイムス

沖縄タイムス


沖縄の新聞




④「辺野古」検索@琉球新報

琉球新報


沖縄の新聞




琉球新報金口木舌(2009年4月24日)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-143643-storytopic-12.html

琉球新報金口木舌(2009年4月19日)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-143383-storytopic-12.html




など


順次アップしていきます。


某キャンプに行った。

一人のリーダーが途中で帰って行った。
必死な顔で。
「これから沖縄に行く」と。
なんで?
どうして?
彼の沖縄行きはもっと後やったはず…。

最終日の朝には彼は既にいなかった。


後で沖縄から帰ってきた彼に話を聞いた。
彼のパートナーの弟さんが海難事故で亡くなったという。



私と同じ年。

弟は姉(つまり彼のパートナー)の子どもたちが来てるからと、子どもたちと姉と一緒に海に行ったという。
そこで、「ウニを取ってくる」と言い残して海に入って行った。
気がつくと潮に巻き込まれ………。
行方不明になってちょうど1時間後、発見。
そして次の日前夜式…。

沖縄のテレビと新聞には出たらしい。



…同い年なんよなぁ。
…………
たぶん沖縄行ってたら会ってたんやろなぁ
…………


やりきれなさがあって。

会いたかったなぁと思う。
昨日は
家→生野→堺→生野→鶴橋→家
という移動距離なんぼやねん!という距離を移動していた。
(私の最高最短移動距離は家→ソウル→家:一泊含か家→東京→名古屋→家:新幹線移動)

ご多忙に洩れず(笑)「今ここどこやねん?!」を経ながら…。

まず最初の生野は教会。
教会でオルガニスト!


無理……だった。

牧師が説教中に「今日のオルガニストはデビューからまだ日が経っていません。昨日も練習に来て一生懸命……」といわしめたほどの………(私の口から言えません)

ごめんなさい。先生!一生懸命弾きました。
穴があったら礼拝中入りたかった(汗)
…とあとから聞くと、
前日オルガンの練習をしていたとき、何度か「あさみ!」と先生は呼びかけられたらしい。
でも私は気づかずに弾き続けていたらしい(友人談)呼びかけられたのには気づかなかった。というより聞こえなかった。


教会の人たちは音を無視して歌ってはった(穴があったら入りたい………)

その後すぐに堺へ。

堺で元「従軍慰安婦」のハルモニたちの証言集会。


たぶんもしハルモニたちが会ったことのないハルモニなら行かなかった。
もし友人から「もう堺着いたよー」というメールがなかったら行かなかった。


ハルモニたちの目は私に「過去と向き合うこと」を要求する。

それは在日一世のハルモニであれ、元「慰安婦」のハルモニであれ、
「私はここまで言った。あとはあなたの問題」と言われてるような気がする。
「アナタはどこまでする?」と言われてるような気がする。

だからアウトプット。


つまり、女としての、
私の過去と現在の、
「私」としての
アイデンティティを賭けた
「何をするのだ?」

という問い。

ハルモニたちと会うことによって
私が「私が誰でありナニジンに属していて性別は何であり過去とどう向き合っているのか」を問われている気がする。


ハルモニたちには「出会った」
過去に何があったのか、否定をし続ける政府の論法を「知った」

でもそこから「ナニを」するのか。「ドウヤッテ」するのか。
私が誰であり、ナニジンに属しているのか。
自分の過去にアジアという地域の過去にどう向き合っていて、自分のそして、アジアのバックグラウンドに何があるのか。



ハルモニたちはそれを要求し続けている。
「生きている」という自分の尊厳を賭けて戦っている。

私はそこまで、
「自分自身の尊厳」を賭けてまで
戦っているのか?

疲労するほど、泣くほど、闘っているのか?
悩んだことはあるのか?

ナニに対して?
ナニを賭けて?


私は自分自身を護ることすらおぼつかない。
色んなことをインプットしたい欲求だけは誰にも負けないと自負できるほどある。

けれど、
私は私の「過去」を護って戦えるのか?

「自分の過去」と「自分の尊厳」はハルモニの中でイコールでつながっている。それを護るためにハルモニは毎日戦っている。そして時々やって来る悪夢とも。

私は
ナニを護って戦えばいいのだろう。
ナニを武器にして、
ナニを考えて戦術として戦っていけばいいのだろう。ナニを訴えたいのだろう。


昔、こんな詩を書いた。
「戦う」という題だったと思う。
「私は剣の代わりにケータイを持つ/私は盾の代わりに10センチのヒールをはく/聖書の代わりに私の想い/これが私の精一杯の武装/武器はケータイ以外持っていない/私はこのまま闘っていく/……」
という詩だったように思う(原版が見つからない為うろ覚え)
10センチヒールはもう履けない。ケータイは通信手段にしか使っていない。(それも時々忘れる)
聖書はよく持っているようになった。
今の私の武器は聖書かな。武器であり防具だ。でもあまり使い慣れても使いこんでもいないし、今の私にはすごく高価なシロモノでもある。
でも、今後の私にとっては武器になるべきものでもある。



そして昨日は堺から生野に戻った。
生野センターでセンター完成披露の打ち上げに参加し、
関東(川越)在住の大好きなKさん(偉大なる獣医!)や私の師匠!、完成披露のために踊ってくださった韓国舞踊の方、センター美術教室関係の方々、師匠!の大ファンの方と飲んだ。



アウトプットが必要だと痛感しているのに。モチベーションを持ちたいと痛感しているのに。
私はブログに書く以外のアウトプット方法を知らない。
私にとってのアウトプットとモチベーションを探している。

私のバックグラウンドはなんなのか。
私はこれからも悩み続けていく。

「思想」していく。

そのうち、職業:思想家とでも名乗ろうか。


アウトプットの方法を探している。
父に、ケーキを買って帰ってプレゼントしました。
実は喜んでいたらしい。

という訳でケーキと紅茶で食べた。案の定、父はテレビを見ながらでしたが。


母の日はカーネーションです。
台湾に研修に行ったときは母の日の直後で、
私の通訳兼参加者をしていただいた長老系の牧師(立ち姿がカッコイイ女性)の日本語教会でも母の日を祝ったよーとおっしゃっていたのを思い出す。
ただ、台湾では母の日に母親が生きている場合は赤いカーネーションを胸につけ、すでに亡くなっている場合は白いカーネーションをつけるらしい。

ただその日本語教会では高齢化しているから白いカーネーションばっかりだった!とおっしゃっていた。


もし、私が牧師となる召命が与えられているなら彼女のような牧師になりたいと思っている。私の中の理想的な牧師像の一人でもある。


いつか彼女が台湾にいる間に行きたいなぁ。そして台湾を案内してほしいなぁと思っている。




父の日。母の日に比べて
影は薄いけど、
父に感謝の日。

あ。韓国のアボ任(パパ)にも何かプレゼントしよう♪
韓国語でお祝いメッセージを書こうと思う!
今度会えることになったのだ!!!
アボニムを驚かせるように手紙を書こうっと。

アッパは、最近ソウル教区の主教になったのだ!
「クニ」ではなく、身近な「誰か」のために。
「愛国」ではなく、愛する「誰か」のために。




「光州5・18」を見に行った。

久しぶりの、半年ぶりぐらいの映画だ。

これは韓国の民主闘争の最中に起こった光州事件の話だ。

韓国の軍事政権に至る過程と韓国を語る上で重要な位置を占める「事件」である。

日本帝国からの「解放」後、韓国が軍事政権になる前にアメリカに占領され、朝鮮戦争がおこる。南北が分断し、南は北を「パルチザン(アカ)」と呼び、憎しみを抱いていた頃。チョンドファンが大統領になる前の軍部のまだトップにいた頃の話だ。
日本ではバブルが膨らみ始める頃でもある。
1980年とはそういう時代だ。



軍部により、「暴徒」とされた一般市民が、巻き込まれていく。
映画の中で真っ先に殺されたのは障がい者だった。
そして、身近な最愛のひとを徐々に失っていく。
彼ら彼女らには日常があり、愛する「誰か」がいた。その「誰か」が目の前で殺されていく。
初めは武器を持っていなかった。
シュプレヒコールとヤジだけだった。
だけど、愛する「誰か」が目の前でなぶり殺されたとき、
「暴徒」とされた一般市民は、蜂起する。
蜂起した男性市民の大半が「予備役」や「退役軍人」だった。つまり徴兵され軍隊にいて、除隊された元軍人だ。この頃だとまだ、実際の戦闘を行なったことのある元軍人はたくさんいるはずだ。
朝鮮戦争であり、ベトナム戦争でもある。

今でも韓国には徴兵制がある。
私の周りの友人も何人かは軍隊に行き、何人かはまだ行っていない。
そして、今まさに軍隊中の友人もいる。

もし、彼らが、徴兵に行って除隊後、もしくは徴兵中にこんなことが起こったら。
目の前で最愛の「誰か」が殺されたら。

そんな時私なら「何ができる」か「何ができない」か。


こういうときの軍部の側の非情さはよく取り上げられるけれど、軍部の側も「華麗なる休暇」という作戦名で、兵士にアルコールの高い高級なウイスキーを飲ませ、その酔った勢いで市民を殺させたのだ。
どっちの側も組織の末端と市民は悲劇だ。



最愛のひとが、「守る」ために出かけていく。
それを見送ることはできるか。
笑って…は無理だ。
きっと泣いてしまう。

残されることが確実であるなら、一緒に「守り」に行きたいと思う。
最愛の「誰か」を守るために。
それは国のためにじゃない。国土のためにじゃない。
最愛の「誰か」を殺されないように。


残される方も悲惨だし、闘いに行く方も悲惨だ。

私はどっちもイヤだし、出来る限り戦いは避けたい。


最近まで、「戦争はいけない」という普遍的イデオロギーに対して、理由が見つからなかった。
「いけないものはいけない」「嫌だから嫌だ」と思っていた。


でも、戦争はそういう答えを許さない。
こういう「事件」も。

戦争は最愛の「誰か」を殺してしまう。殺されてしまう。そして、「誰か」が残されてしまう。
残された苦しみがある。
敵と味方に分けられた苦しみがある。
「誰か」を殺すという罪が発生する。
そんな苦しみはいらない。そんな罪はいらない。

という理由が最終的に出た答えだ。

その答えを探すのに、
本物の戦車や軍用トラックを見た。
展示でなく実用されているものも見た。
「敵国」に砲口を向けているのも見た。
実際に市街地を走る兵士を乗せた軍用トラックも見た。
いくつかの休戦地域にも行った。


そういうことを思い出した。
私が見たのは旅の中で、非日常であるけれど、
日常、生活している路で走っていたら違和感と怖さを感じるだろう。



この映画の中で、
蜂起した市民の精神的な支えになっていた人物がいた。
光州市内にあった教会の神父だ。
戦闘が終わるように祈り、軍部との交渉の中で重要な人物として守られていたはずの神父が最後の最後に武器を手にする。
そのときの映画の中のセリフが、
「イエスさまに会いにきました」


神父が、聖公会のソウル教区の元主教さまや現主教さまにダブって見えた。

元主教さまも現主教さま私のアッパもその状態になれば今でもたぶん、そう言うだろう。


私にもし召命があるなら、そういう状態になったとき「イエスさまに会いに来ました」と言いたいと思う。そう言える存在でいたいと思う。

イエスさまは最期まで苦しまれた。
その姿と光州事件で武装した市民の姿が被る。




神父は「ヒョン(兄貴)」と慕われていたタクシー運転手で主人公ではないけれど重要な位置をしめていた男性が戦闘によって死ぬときに
「天国で騒いでもいいか」と聞き、
「騒がしい俺が天国に行けるだろうか。天国に入れてもらえるだろうか」
という告解を聞く。
そして神父は祈るようにうなづくように頭を垂れた。




私はこの神父のようになれるだろうか。
私は愛する「誰か」のために命を賭けて戦えるだろうか。
今日、その事件は起きた。
…いや正確には事件ではなく事故の範疇に入るのだが。


生野辺りを自転車でうろうろしていた。
正確に記すとガブリエル教会に行くために生野区を通過していた。

ある信号待ちで、
女性の三人組が私から向かって左側から歩いてきた。そして、私の横で立ち止まった。

「…お兄さん」
と呼びとめていた。
お兄さんというひとが近くにいるのか?と野次馬根性で見渡していると、
「あ…お姉さん」

間違えられたらしい。

「あの、生野中央病院ってどこですか」

生野区内を縦断して走っているが、生野区内は共和病院しか知らない。

「わかりません」


「すいません」

と言いながら三人組は私から見て右の方向に歩いて行った。


その時、一人の女性が

おっぱ あにらご ヨジャ だ

と言ったのを聞いた。


瞬間的に
韓国語やと思わずに、
お兄ちゃんじゃなくて女だったねー
と聞こえた。



「おっぱ」は普段よく使う単語だし、
「ヨジャ」は最近習った単語だ。
「あにらごー」も「じゃない」という否定の意味で使う。



よく分かるけど、瞬間的にあ。私を指しておっぱじゃなかったねと言ったのが分かった。

と思ったのが、
スゴイ事件だ!
瞬間的に意味が分かったというところが、事件だった!


韓国語ってやればやるほど使う機会がいつのまにか増えていく言語だ。

今までは「ヨジャ」と言ってもなんの単語かは分からなかったのだ。


進歩だ~

一個ずつこうやって増やしていったらいつのまにか単語じゃなくて文章で話せるようになるかな?
瞬間的に通訳できるようになるかな?
聖公会大阪教区の中のさる、委員会の一委員になっている。
これで4年目。

前回の委員会で一つの課題が与えられた。


「嫌韓流」を読んでレポートせよ。



6月に発表である。


最近その本を買った。

この手のマンガは投げたくなる。
さも正当性があるように、客観的であるように書かれているからだ。

で、何回も出てくる同じ論理。

「我々の理論の方が正しいんじゃ!」

「だから反対の理論をぶっ壊さなければならない」

「ぶっ壊すには何が必要か」

「まっとうな考え方を教育しなければならない!」


というものが帰納する論理は、あたかも「正しい」ように見える。
すっきりしすぎているからだ。


でも、ちょっと待てよ。
その元々の理論である根拠はどこにあるのか?
根拠としている根本は何か?


私がみたところ、
「クニの概念と民族意識」
ではないのか?

その「クニの概念」というのは、ナショナリズムではないのか?

反対の理論(つまり、「良心的日本人」や「自虐史観」とレッテルの貼られているサヨクと呼ばれるもの)を叩きのめして、言論を封鎖し、正しいのは「こちらの考え」という勝敗をつけ、高揚させているのではないか?
………と、そこまで考えたとき、その「勝敗」(この理論が勝っただの負けただの:基本的に私は論理に勝敗はつけない。つまり、歴史や後世が勝敗をつけてくれるのであって今という時代性が勝敗をつけるのではないと考えている。今という時代性がつける勝敗は世論の大多数の意見であって、世論はどこにあるのかという問題に発展する。世論はいくらでも操作可能である。という訳で世論というものは信用していない)を決める者は誰かという疑問にいきあたった。
つまり、これが「世論」であるなら私はその「世論」自体を上記の理由により信用していない。
「あのひとがゆってはった」という「あのひと」も元を正していくと「あのひと」が「あのひと」を呼ぶ。また、インターネットの情報だのマスコミの情報だのに行き着く。

では、誰が「勝敗」をつけるのだろうか?
この本の中では、
Aという意見を言いたいがために主人公が語るというシチュエーションで説明解説し、Aの行き着くところがBという真逆の意見と対立させるという構造をみせている。
Bという意見を語らせないうちにAという意見の優位性正当性を語り、Aが正しいようにみせている。
つまり、Bを言論的破綻に転じさせ、Aをより際立たせ、Aという意見だけが元々存在しているようにみせている。

そこには議論も論争もない。
ただ単にAの意見を際立たせたいだけのソエモノとしてBを活用している。

そして、そのAとBの「議論」には観客というオーディエンスを存在させ、どちらの意見が正しいかをジャッジさせている。
但し、Bにはサクラを用意している。
つまり、Aを不利な状態から形勢逆転させ、Aが正当であり唯一の正しい意見だとみせる、ショー的な要素が入っている。
つまり、ウルトラマンが3分間の戦闘で怪獣にやられかけた後、赤いライトが点滅するときに驚異的な力を発揮し怪獣を倒してみせるという古典的な手法を用いている。


それは議論か?

議論足りえるのか?


つまり、「論破する」ということを通して読者に「爽快感」を与えている。
ウルトラマンが最後の最後で地球侵略を目論む怪獣をやっつけるように、だ。




………とここまではこの本の全体を通しての感想だが、
これは本を読んだだけの感想であって、本が根拠としている「インターネットの中の世論」や「歴史観」には触れていない。


この本は「論評に値しない本」だと言いきってしまえば、レポートにならない。レポートとして要求されているのは「歴史的矛盾」を突くことである。
この本の背景は…ではなく、である。
(背景でも良いだろうが)
近現代史に詳しくならないと、「ムリ」である。



どこから話し始めたら良いかを迷うのである。



私が「体験してきたこと」「その場に行って聞いてきたこと」と、
この本の論理があまりにも、面白いぐらい違う。
180度違う。

それの矛盾というのは、やることが多くて、指をポキポキ鳴らしたいぐらいである。(実際にはできんが)


そして、今学校でベンキョウしているものと、全然違う分野である。
結びつけたら強引に結びつくのだが。




う~
投げたい。

そして、逃走したい。


でも別の何かが、反発している。
今までの総決算のひとつとして、
この本の中にあるAとBの意見の「議論」を実際に本を手がかりにやってみて、Aを側面と正面から論破してみたいという、武闘的な意識が、芽生え始めている。
ある意味手応えのある、全時間を費やしても惜しくはないという学問的興味。



本の虫になって部屋に引き籠りたい。
そして、ブロックを積み上げるように意見を組み立てたい。


久々?にベンキョウしたい気が湧いてきた。

机に座って授業を聞いて、テストに回答するという勉強より、いろんな文献からひとつの真理を組み立てて解答するという勉強の方が「ガクモンしてる」という気になって面白いのだけど。



もっと何らかの形で神学もガクモンしたい………。
今までの勉強を全部総合して新たな分野を作るつもりでガクモンしたい。


という結論に帰納してしまった。

社会学と歴史学と神学と経済学と宗教学と女性学と哲学と、全部ひっくるめてガクモンできると思うのだけど、

これって欲張りすぎなんだろうか。


イヤ、
もっとガクモン探求したいぞ。

というもどかしい思いを抱えながら。
20080503135610.jpg
連休初日。

思い余って………
いや、半ドアだとうめく冷蔵庫がうるさすぎて
冷蔵庫の掃除を敢行。

この冷蔵庫、
食材モンスターボックスと化している。

出てくるわ出てくるわ
食べたことのないような食材の山。
さらにこれから絶対食べないと誓ってもいいくらいの食材の山。

写真はそれでもその一部。

モッタイナイ
モッタイナイ




もんすごい。
ロス食材が多くて、
これを作るのに動かすのにどれだけCO2が……エネルギーが………
食べれないひとが世界中にいる中で……


と、久しぶりにロハスなことを考えたり………。





ちゃんと食材を使いきることって
とっても大事なことやけど
難しい。




あー
今後絶対食べないような食材の処理、どうしょう…………
20080421023111.jpg
[4月20日]

昨日は民俗クッに参加してきた。済州島4・3事件の60周年記念集会だ。
済州島4・3は解放(終戦)以後の民主化闘争の中で起こった済州島の全島民の1/3は「アカ(パルチザン)」と言われて殺された事件のことだ。

私は師匠!に言われてスタッフを手伝い。

この集会で、来はった方に言われた。
「ぼくは日本人なんやけど、この4・3に日本は関わっているのか?」
「…………たぶん…………」
「朝鮮分断に日本は関わっているのか?」
「………その時の世界情勢がそうやったから………」


………………
ものすごい曖昧な、どうとでも取れるような発言。

勉強不足だと痛感した瞬間である。

よく分かってないせいもある。

もっと本を読もうと思う。

舞台も手伝った。
一番最後のシーン、シンバンと呼ばれる祭司が様々な方向から精霊(つまり、祖先の霊魂か?)を呼ぶ。
これは、クッの最後によくやるらしい。
「命三部作」を書いた作家が「8月のなんとか」(名前と題名を思い出せないが、去年の夏休みホンマに読んだのである)に著者の祖父の魂を呼ぶシーンで出てきた。

クリスチャンだからといって、それに反対・反発はしない。韓国の実際にある供養の方法であるからだ。
それを否定することは、文化そのものを否定することになる。

………というようなことを最中に考えていたわけではない。
私がそれを思ったのは、そのシーンを生で見て、ハルモニたちの突き動かされた行動を見たからだ。

ハルモニたちは、
我も我もと
舞台に駆け寄り。
そしておもむろに手を支えられながら舞台に上がっていく…。

ハルモニたちはみんな手に千円札を握りしめていた。舞台上に作られた祭壇に向かって千円札を捧げていた。


こんなにもハルモニたちは供養の場所を求めていたんやと思った。
そしてこの場で、捧げている。
私はその時、舞台の演出上の都合でその近くにいて、その場を見た。
そして、私がやった役割は布を広げること。

シンバンがその布を体当たりで裂いていく。
その時、布をたるませずに引っ張っておくこと。


その裂かれた布が意味するものは、因果の断絶だと思う。
そして、その一世たちが背負ってきた「重い気持ち」「重い経験」「ハン・恨」を半減させることだと思う。

この布を持った時、「日本人」で持ったのは私だけだった。あとは在日と本国からの留学生。
舞台にかかわることは「軽い気持ち」だったし、実際、間近でどんな舞台かを見たいという思いだけだった。
けれど、裂かれた布とハルモニの姿。
その裂かれる布を触れたいと、ハルモニたちやハラボジたちが支えようと手を伸ばす姿を見て、
生半可な気持ちでは支えきれないし、関わり続けれないと思った。
この布は「ハン」でもあるからだ。
「イルボンサラミ」である私が持ち続けるのはとても難しい。


つまり、一生かかって、ルーツは何であれ今は「イルボンサラミ」である私が無意識下にもある「イルボンサラミ」というものを捨てる選択肢を取っても、何があっても、朝鮮半島とまるごと「私」との一対一として、関わって行こうと思った。

そのくらいの覚悟で、朝鮮半島と付き合っていたいと思うし、その「覚悟」の思いをもっと作っていきたい。
私にはその「覚悟」を語る言葉を持っていないからだ。
だから、「なぜ朝鮮半島なのか?」と言われると困ってしまう。



ただの更級布一枚(実際にやったのは2回だから2枚だが)かもしれない。

でも、一世のハルモニハラボジたちの姿がその一枚の更級布の重さを重くした。

最後に、あの世から呼んできた魂と共にみんなで踊るというシーンがあった。
何人ものハルモニやハラボジたちが楽しんで舞台に上がって踊っていた。

ほんの少しでもいい。
彼らの「重い気持ち」「語れなかった気持ち」「忘れようとした記憶」は昇華できただろうか。



民俗クッの間、舞台上をずっと見ていて、寒気のような震えに襲われていた。
時々、何かあるとセンサーのように
全身と後頭部の毛穴がぼぁっと開いていくような
形容できない感覚に襲わる。
「関わって、正面から向き合って行かなければいけない」という思いなのか、
何かの風ではない尋常では経験できない気配を感じるのか、
よく解らないけれど、
時々そういう感覚に襲われるときがあって、
嗅覚にも似ている。

「ココハアブナイ」とか、「何かが通っていった」とか、「振り向いてはいけないとき」とか、続いている記憶があるはずなのに「記憶がなかった」り(いやこれは単純に覚えようとする意識がないだけかも)。

私はそれをよく、「野生の予感」と名付けている。
ぞあっと毛穴が開いていく感覚があった。

感覚しかないから、
それ以上のことは言えないし、確かめるスベを持たないし、ソレをまるごと信用している訳ではない。
けれど、時々、周りは明るくて何もないのにここは「怖すぎる」ときとか、ここは「居心地がいい」とか(たいていその場とは長い付き合いになる)の感覚がある。

今回も、毛穴がぞあっと開いていく感覚があった。
それは今年2回目ぐらいかな。
(今年一回目は北に行ったときだった………というのは緊張して後頭部から全身ずっと開きっぱなしだったのもある)

この感覚が、私にとって「現地で体験すること」を重要視する理由でもある。




その後、飲み会に雪崩れこんだ。

丸々一軒の居酒屋を借りきっての飲み会。
仲良くなった演者さんたちのテーブルにいたとき、
韓国から来た役者さんに、まじまじと見つめられながら
「アナタは韓国人?それとも在日同胞?」
と言われた。

…………う~ん。あんまし言葉を喋っていないが、「韓国人か在日」にしか見えないらしい。

…………でも、それを言われるととても嬉しい。


だから、もっと韓国語を勉強して、口を開いたときに「日本人やったんや」と言われるのではなく、「日本語がウマイですね。在留何年ですか」と言われたいと思うのだ。
その時、私の意識下にない「日本人」という無意識がなくなっているのだと思う。

文字で語るだけではない、私のアイデンティティとしての「私」。
それが「韓国人みたいな日本人あさみ」ではなく、「韓国人か日本人か分からんけど、あさみはあさみ」というアイデンティティが出来上がるのだ。
私は「日本人のあさみ」でもなく、「韓国人に似たあさみ」でもなく、「あの場であさみという人間に出会った」と認識されたいのだ。

近いものは最近、時々ある。
最近韓国に行ったとある知り合いが、「台湾人の〇〇という子と韓国で会ったけれど、彼女から“あさみ”を知っているか?と言われた」と言っていた。
その知り合いとは、因縁がある年上の男性で、よくケンカ?というか意見の対立というか、暴走しがちな私を引き留める一人でもある方だ。
日本人でクリスチャンで青年活動に関わっている人と会って、「あさみを知っているか?」といわれたという話は何回か聞いた。私は彼女に「オツカレサマ」というニュアンスを英語で伝えようとして、四苦八苦して、「ユーアーグッジョブ!」と親指を立てたことを憶えている。
「オツカレサマ」というニュアンスの英語があるのか?「グッジョブ」で良かったのか?それは確かめようとはしていない訳だが、ニュアンスとしての「オツカレサマ」は伝わったみたいだった。




私にとってアイデンティティは「私自身」であり、「日本人」でも、「韓国人に似た…」でもない。


そんな「私の話」を昨日あの人と口ゲンカしていた彼に伝えたい。
これが伝わるかどうかはわからないが。


昨日は楽しかった。

関わっている団体の一つ。
「聖公会生野センター」というところが、新しく引っ越したのを感謝して、「祝福式」が行われた。



祝福式は正直、初めてだったので、
わくわくしながら
てくてくと新しいところへ


なんと、今回の司式者は
U主教とS司祭!

そして、
オルガニスト(本人は「ヒムプレイヤーテクニスト」と言っていた)
はI司祭!


大阪教区のまさに重鎮!のお3方。

知り合いと
「主教と主教候補がいっぱいや!」
と興奮しながら祝福式を受けた。



新しいところは、すごくきれいで、広い。
今後の事業は、
こんな感じ。

1 精神しょうがい者のデイサービス
3月いっぱい、私が土曜日のスタッフとして勤務している。

2 美術教室
しょうがい者も、けんじょう者も子どもも関係なく、みんなで一緒に絵画を描いたり、雑貨を作ったりしている。
その生徒さんの一人の絵画が今度、ある百貨店でバックのデザインに採用された。

3 在日一世ハルモニたちのデイハウス
このセンターの代表は在日2世で、
「一世の最後を看取るんは2世の仕事。“最後の最後は生きてて楽しかった、良かった”という思いを持って亡くなっていってほしい」という思いがあり、生野センターは地域活動センターなので、生野でのこんな活動がうまれたらしい(この立ち上げは知らない)

4 韓国語講座
入門・初級・中級・研究班がある。
研究班は、講座中、韓国語しか話さないらしい……。

5 こみち寄席
落語会。
80回記念に笑福亭●●師匠がこられたらしい。
(↑遠いとぉ~い、親戚らしい)


などなど。。。
全体を把握しているのは、代表だけ、だそうな。


写真2は新拠点内での祝福式。


祝福式自体は、
司式者:3人
出席者:5人
というなごやかな少人数の中で行われた。

出席者は、
機関紙の編集人一人と
生野センター代表と
S司祭のお連れ合いさんと
施工主さん(今の教会でお世話になっている方の息子さん)と
私。


って、さびしい……。



祝福式の冊子が大量に余っていた。