島本理生さんの『ナラタージュ』を読みました。

 

 


大学2年生の工藤泉は、高校時代の演劇部の顧問・葉山に頼まれて、演劇部の公演に参加することになった。
演劇部は3年生3人だけになってしまい、最後に少しにぎやかにやってやりたいのだという。
泉と同級生の山田志緒、黒川そして黒川の知人・小野が参加することになる。



途中までは良い話だなぁ、このまま流れに身を任せておきたいなぁと、心地よい読書をしていたのですが、途中から素直に受け入れられないことが次々と。

大学生という、大人でも子供でもない微妙な年頃の人たち。
大人になりきれていない大人…
そもそも、大人ってなんなの?

私情を抑えて、その場に適した立ち振る舞いができるのが大人だとしたら、完璧な大人なんていないよね。

作中に出てくる、「きっと、子供だったから愛とは違うとかじゃなくて、子供だったから、愛してるってことに気付かなかったんだよ」って言葉に共感。
私にしたって、子供の頃は、あの子が好きだ、この子が好きだなんて言っていたけど、自分が本当に好きだったのは違う子だったんだなって気づいたのは、進路が分かれてからのこと。
近すぎて見えなかったとかではなく、自分の中のスケールが違うものを測っていたんだなぁって思ったりします。

そういう意味では、最初に出てくる、「きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ」って言葉がじんときます。
過去の恋の思い出なんて、良いところしか覚えていないんだからって…

 

 

 

 

 

 

過去の「島本理生」記事

 

 

 

 


にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村
coralの読書記録 - にほんブログ村