あの日から10年 | あめのむらくものブログ

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「今日の格言・名言」と その日の出来事

この10年間の時の移ろいは私の中でもかなり早い10年でして、10年前のあの日もよく覚えています。

 

あの日栃木県への二泊三日の主張の最終日、残り2件を残すのみとなった栃木県岩舟町の

県道(旧国道50号線)で信号停車中、「今日はずいぶん風が強いな」と思ったのが地震の最初でした。

それから程なく「これはマズい、大きな地震だ」と感じて交差点のすぐ先の空き地に停車、

車を降りて様子を見るのですが・・・、ふと道の向こう側を見るとおばさまが私の方を指さし

とても切迫した表情で何か言っていますが聞こえません。

後ろを見ると停車した場所のすぐ横の建物から瓦がボトボトと・・・、まあ今考えてもあの時

ケガしてもおかしくなかったよね、ホント運が良かった。

所定の要件は停電なども無く何とか終える事が出来ました、さて帰れるか・・・。

そうした中同じ栃木県の別の街に出張で来ていた後輩からややのんきな業務連絡、

「そんなもん放っておいてすぐ帰れ!」、あの状況で出せた上席者としてのマシな指示と思います。

 

出張中の足はレンタカー、3月11日夕刻の返却予定で借りていました

借りた物は返さないといけません、所定の時間内に返却を済ませました。

しかし栃木県足利市から帰宅するためには電車運休の状態でこの車は必要です、色々交渉しましたが

コンピューターシステムのダウンで再レンタルは不可能な事が明らかに、その頃暗くなる夕刻。

ようやく家族と連絡が繋がり家族の無事が確認できると残りは自分の問題

「ゴメンこう言った状態で帰れない、今夜はここにいる。そっちは余震に備えて警戒して休んで」

 

あの時都内勤務の方は長い道のりを歩いて帰った方、そもそも帰宅をあきらめて都内に留まった方

色々それぞれでした。私も同様に栃木県足利市で帰宅困難者として留まる事を決めました。

レンタカー会社に車を返して、何とか再レンタルが可能か日暮れまで粘っていました、

その間車のラジオから流れて来るニュースは皆様ご存知の通りの報道、鳥肌が立つ思いでした。

そんなニュースを聞き帰宅をあきらめてレンタカー会社すぐ近くの私鉄駅前のタクシー乗り場へ、

まずは定宿にしているビジネスホテルチェーンへ向かって頂く。ある程度走ると停電で漆黒

ホテルも宿泊出来ないとの事。市の南半分は停電、タクシーの運転手さんの

「さっき乗せた人が行ったビジネスホテルに行ってみるか」と言う事で運んでもらう、

市の北側は停電していなかった。

行ってみると一部屋だけ、普段物置にしているであろう部屋が一部屋だけ空いていました。

夕食も近隣の飲食店で暖かい夕飯を頂けた、14時頃から飲まず食わずだったと思います。

「すぐに帰れ!」と言った後輩はその後すぐに東京へ戻るために走り始めたのですが

東北自動車道は通行止め、なんとか栃木県から脱出、でも全線渋滞中とTEL

「その位置のすぐ先に道の駅があるから夜を明かす場所を確保しなさい」

 

その夜はさんざん余震に悩まされ不安な思いをし、挙句は翌朝

皆様お忘れかもしれませんが3月12日早朝に長野県北部を震源にした地震、これは大きかった。

 

 

翌朝運転再開した東武線上り線を帰宅に向けて走っていましたが、

土曜日朝方、東京方面からの下り線があり得ない程大混雑していたのが印象的でした。

(朝東武線の駅前に前夜乗せてくれたタクシードライバーがいらっしゃいました

 暖かい夜を過ごせたことに本当にありがたくお礼を申し上げました。)

 

 

 

週が明けて月曜日、混乱の中で業務を行うと「週の半ばに四国のある県へ発送する商品、

 宅急便の配送が出来ず出せないが取引先は納期厳守を求めている」と問題が起こってました。

当時の私は中間管理職、色々条件を勘案し名古屋から西は正常に動いている。

可能性を提示して判断を経営陣に委ねる、方法は

「今夜のうちに車で商品を名古屋(状況によっては大阪も頭に入れて)に運び翌日の便に乗せる」

大きめの段ボール箱3つ程の荷物を借りることが出来るレンタカーに詰め込んでまずは自宅へ。

出張の説明と準備。状況説明はしたけど奥さんどう思ったかな・・・、もう聞けないけど。

 

レンタカーは通常借り受けた時は燃料は満タンに入っているのが通常ですが

この異常事態燃料メーターはわずかに減った状態、とにかく関東を出れば何とかなる、

でも地元で給油できれば望ましい・・・、結果は時間の無駄。ガソリンスタンドは長蛇の列。

そのまま西へ出発。幸い東名海老名サービスエリアで20リットル足柄サービスエリアで満タンに出来た。

名古屋へ向かう東名高速の道のり、対向車線を走る赤灯を点けた災害支援の車列は

今でも色濃く記憶に残っています。

午前4時頃に名古屋市内に到着、事前に調べておいたサウナで9時まで夕食と仮眠、

流通の状況は名古屋は通常通り稼働可能。顧客の指定日までに発送出来ました。

 

帰路は比較的ガソリンが入手しやすいかもしれないと思い中央道経由を選択、

レンタカーの返却時にガソリン残量に関してちょっとモメましたが無事ミッション終了。

 

 

あの時、あの頃の判断・行動が正しかったかどうかは今でもわかりません、

でも置かれた状況で「良いと思える事を行う」と言う行動原則は今も続いている私の収穫です。

 

あの時のすべての方々にお見舞いを申し上げるとともに、あの時に得た事感じた事を

これから生きて行く大切な尺度にしたいと思っております。