大東亜共栄圏の理想 2 | あめのむらくものブログ

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「今日の格言・名言」と その日の出来事

引き続き右っぽい話題ですのでご不快な方はお引き取りください、

不毛のコメントの応酬は疲れます故。

 


ゆっくり考えをまとめるためジブリネタを引用して大東和共栄圏のお話を進めましょう。

「風の谷のナウシカ」の中で圧倒的な国力を持つトルメキア軍が風の谷を制圧
武装解除した後に司令官のクシャナ殿下が風の谷の群衆に向かって言った言葉。
「我らは辺境の国々を統合しこの地に王道楽土を建設するために来た、
そなたたちは腐海のために滅びに瀕している、
我らに従い 我が事業に参加せよ
腐海を焼き払い再び この大地をよみがえらすのだ」

この言葉あるセンテンスを置き換えると1940年代の東アジアに近い、
ただこれ程上から目線ではなく腐海=西洋諸国からの解放と見るとして・・・。

十九世紀後半から二十世紀前半、十七世紀頃から始まっていた植民地政策が
一番厳しい時代でヨーロッパ各国は本国の他にどれ程統治国を持っているかが国力の尺度でした。


繰り返しになるかもしれませんが、今の尺度で善悪の判断をしては本質を捻じ曲げます、
あるがままの時代背景を受け入れてください。
その当時は国力の尺度は属国をどれだけの規模で従えているか、

これが国際社会でのスケールの比較でした。
その頃は十七世紀の大航海時代と異なり、ラテン系ヨーロッパ諸国の国力はナリを潜めて
イギリスは相変わらずの勢いに加えてドイツ・フランス・オランダと言った中央ヨーロッパの国々が
東アジアで派遣を繰り広げる中、新興国のアメリカが参入して来て成熟したアフリカ植民地に比べて
東アジアを植民地にする国策は各国の切り取り放題の様相を呈していました。
その頃に歴史の授業の中で出て来たのはアヘン戦争と幕府の開国
(個人的解釈を差し挟んでおりますのでその点ご理解ください)。


どちらも西洋諸国に足掛かりを提供するか、さもなくば戦争か?の無茶な二者択一。

豊臣秀吉がキリシタン禁止令を出し、徳川幕府が鎖国令を出さなければ
東アジア諸国に先駆けて日本が植民地になっていた可能性がある、
スペインの南米でのやり方を見ていればお分かり頂けると思います。
二百数十年の鎖国のうちにヨーロッパの勢力図に変化が生じた関係と、
大政奉還の時期に上手い具合に外交政策を行ったため「不平等条約」程度で済んで
植民地の憂き目にあわずに済んだ。
とりあえずイギリスと国交を結んでヨーロッパ諸国の動きを牽制してもロシアの南下政策を
食い止めつつその間東南アジアは各国の植民地化し、次には末期症状の清王朝 中国が
ヨーロッパ諸国のターゲットになっている。
第一次施世界大戦後北京や上海に外国の治外法権地「租界」が多数出来ている。

一番の脅威は「不凍港」を欲するロシアの南下の勢いをどこかで止める必要がある、
北から西、南と日本は西洋列強に取り囲まれてスキを見せれば大変な事になる時代。
こんな時代「明治」だからこそ日本政府は身の丈に合わない西洋化と国力増強を行った
という訳。

この辺は司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」にある通りです。

 

学校の歴史で出て来た日清戦争と日露戦争は独立した戦争ではなく
第一次東アジア(ロシア)戦争・第二次東アジア(ロシア)戦争と言っても良い程繋がった戦争
当時のロシアは日本にとっては大変危険な国、
それに勝ってしまった以上、西洋諸国との決勝戦(太平洋戦争)は避ける事の出来ない紛争。
明治維新後の国内紛争と対外戦争は今の日本の礎を築く辛い歴史の1ページと思います。
戦争に出て行った若い世代は私たちの祖父、まだその方達の人となりを伝え聞く事が出来ます、
そう言った事は今回はあえて目を向けず国家間のパワーバランスの綱引きでお話します。

 


もうしばらくこの「大東亜共栄圏の理想」のブログにお付き合いください。