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静かに、じっくり、考えてみてください。

すべての快楽とは、苦痛なのです。
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原文「黙想。すべての快楽は苦痛」


先日、ケイティさんはこの「快楽」を「自分自身を満たそうとする試み」と言っていましたね。

そのように自分で自分を満たそうとするのは、実は「苦痛」である。
それについて、じっくりと考えてごらんなさい…
というのが、本日のお言葉です。

なぜケイティさんは、あえて「じっくり熟考しなさい」というのでしょうか。

それは、私たちが、自分自身を満たすことを苦痛だと認識する機会がほぼ皆無に近いからなのだと思います。

あ"い~
( ´△`)
今回のプロジェクト、難儀だったわー
なんとか無事に済んでよかった。
ああくたびれた、くたびれた。
来週末は、この疲れを癒しに温泉に行こ~っと!

…よくある光景じゃあないですか。
この、どこが「苦痛」なんですかい?!
(゜〇゜;)?????

このいったいどこに「苦痛」が潜んでいるのでしょうか。
まったくわかりませんよね(笑)

だからこそ、「熟考しなさい」とケイティさんは言っているのです。

「ザ・ワーク」の基本としては、まず私たちが不愉快でストレスだと自覚している題材を取り上げます。

しかし今日のお言葉で題材になるのは、私たちが一見「楽しい」と思っていることです。

やはり温泉の一杯はサイコーだねぇ~
( 〃▽〃)プハー 。ウィ~
…はいちょっと待った。

それは本当ですか?
(  -_・)?

…と、いうことですからね。

そのような観点からいえば、今日のお言葉は相当「ザ・ワーク」をやりこんだ「ワークおた」(笑)向きかもしれません。

ええ~
温泉入ってノンビリもダメなの?
なんかそれ、いけずぅ。
(T0T)

いえいえ。
ケイティさん、べつにダメ出ししているわけではありません。ご安心を。

ただ、私たちが「楽しみ」と認識していることの多くは、実は「苦痛」なのだと言っているだけです。

「ザ・ワーク」に出会ってしばらくのあいだは、快調にジャッジし、問いかけ、自分自身の思考から解放される…という爽快な体験の連続です。
このあたりでもう、アナタは「ザ・ワーク」の虜のハズ(笑)

しかし当初の爽快感の波の連続が一段落すると、実践者は我に返って気づいてしまうのです。
…あれ。
自分、なんかまだストレスいっぱいだよなぁ…?
(@_@)オカシイニャー

あんなに解放されたはずなのに。
ものすごい変化を体験したはずなのに。
どうしてまだ、イライラするんだろう…??

この段階にきたら、今日のお言葉をぜひ思い出してください。

なぜ、どうしてまだ悩みから、ストレスから自由になれないのだろう?

…それは、「快楽」の正体が見えないからかもしれません。
自分自身を満たす試みが「苦痛」なのだと、認識していないことが一因かもしれないのです。

ぜひ、今日のお言葉について熟考してみてくださいね。
(* ̄∇ ̄)ノ


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自分自身が必要としない限り、私に未来はありません。
未来は、まだいらないわね。
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原文「私は、必要とするまで未来のない者。まだ。」


(゜ロ゜;
あの~…。
未来って、ほっといても自然にやってくるものじゃないの?
「私が必要になるまで、ない」なんてものなんですか…??

クルマ?
必要になったら買うよ~。
ま、今はいらないけどね。
…的なものなんですか、未来って???

ホントー?!
ホントに、そんなんでだいじょぶなのかなぁ…
(  -_・)? ウタガイノマナコ

未来ってこう、もっとなんと言いますか…
積極的に、備えておかないといかんものなんじゃないのかな??

困ったことが起こらないように、今から「良い子」にしとくとか。
困ったことが起きた場合に備えて、準備万端整えとくとか。

なんかもっと、今のうち「積極的に」することあるんでない??
「今はいらないわね(笑)」で済ませちゃって、いーんですかい?!
Σ(-∀-;)ネーネー

…いーんでしょう(笑)
だって、今はいらないんだもん。

でもでもでも、明日は必要になるかもよ???

…じゃ、明日手に入れたらいいんでない?
要らないものあっても、邪魔くさいだけだしさー

ちがーーう!!
だからそーゆーコトでなくて!!
(# ゜Д゜)キー
お邪魔とかそうゆうハナシじゃなくてっ!
(# ゜Д゜)キー
安心なのよ、未来が準備してあるとっっ!!
(`Д´≡`Д´)ジタバタ

…お。
( ☆∀・)キラーン
久々にいきますよ、アレ。

未来があると、安心だ。
…それは本当ですか?

未来。
それは本当に、私たちに安全を保証してくれるものなのでしょうか。

素晴らしい未来があれば、私たちは幸せで安心していられるのでしょうか。

そもそも、私たちの安心感の源はどこにあるのでしょう。

未来?

それとも、必要なものは、必要なときに必ず手に入るということでしょうか?

もし、必要なものが必要なときに必ず手に入るとしたら…

未来どころか、今必要のないものは、まったく求める理由がなくなりますよね。

私たちにとっての安心は、いったいどこにあるのでしょう…?
ヽ(・∀・)ノ?


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「私」というものが誕生するまで、世界はありません。
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原文「私が生まれるまで、世界はない」


私たちは、「私」が世界に生まれでてくると考えています。
世界とは「私」に先行しており、私たちはあらかじめ存在しているその世界へと生まれでてくる…
そんなふうに、考えています。

しかし今日のケイティさんは、またしても鮮やかな発想の逆転!

私が世界のなかに生まれでてくるのではない。
「私」が生まれたとき、世界も同時に生まれる…というのです。

だから、時間の流れや場所や空間の制約を越えて、私たちの「世界」は変わり得るのかもしれません。

例えばケイティさんの「ザ・ワーク」による問いかけで、人生ががらりと変わった体験をしている方も少なくないと思います。

はるかな過去の出来事についてであれ、すでに他界してさえいる誰かとの関係であれ、変化は一瞬にして起こるのです。

「ザ・ワーク」のたかだか4個の質問で、どうして私たちにはあんなにも劇的な変化が起こるのでしょうか?

私たちは、世界とは自分の人生の舞台のようなものだと考えています。
あらかじめ作り上げられた舞台の上の役者として、この世界に参加するかのように思っています。

そのような考えのなかでは、人生の舞台である世界は私たち自身とは切り離されています。

しかし、もし世界が本当に私たちと切り離されており、先行している人生の舞台だというのなら…

ファシリテーターさんと向き合って心地よい椅子に座り「それは本当ですか?」なんて質問に答えるだけで文字通り「劇的に」人生が変わるはずありません。

多くの方々が経験されたことと思いますが、「ザ・ワーク」による変化のインパクトは非常に強いものです。

人生の舞台のはずの世界がほとんど変わっていないのいうのに、私たち自身はどうしてこれほどの変化を体験するのでしょうか。

私たち自身が体験した変化から推測すると、こんな仮説が浮かびます。

人生の舞台である世界とは、私自身と切り離されたものではない。
世界は私とはまったく別のものとして、あらかじめ存在していたのではない。

私の人生の舞台である世界とは、どうやらこの私自身と密接に結びついているようだ。
私が動くのにつれて、この世界も動いているのではないか。
私と世界は、じつは「一心同体」なのかも…??

世界とは、私と同時に生まれているのかも…。

そんなふうにでも考えないと、なぜほんの4つの質問くらいでこれほどの変化が起こるのか、説明がつきません。

もしも私と世界が同時に生まれた「一心同体」なら、世界に文句を言うのはあまり建設的な対応といえないかもしれません。

それでは自分で自分におかしなメイクをし、おかしな衣装を着せて、変だ変だとブリブリ言うようなものですからね…。