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記憶にはない一瞬を、今、見つけてごらんなさい。
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原文「思い出されない瞬間を、今見つけなさい」


しょっちゅう耳にしますね。
「『今ここ』にいる」という言葉。
どうやらそれが、霊的な修練にとってえらい重要なことらしい。

燃えよドラゴンの
「考えるな、感じろ!」
のセリフも、同じなのかもしれません。
武術の極意も、「今ここ」にあることなのか?!

…それはさておき。
今日のお言葉は、ズバリこの「今ここ」そのものへの御指南だと思います。

記憶に頼らない、記憶や思考と一切関わりのない瞬間。
それを見いだすのは、すなわち「今ここにいる」ことに他ならないのではないでしょうか。

古今東西、様々な精神修養のための修行があります。
その目的はこの「記憶に無関係の“一瞬”」を体験することでしょう。

ではなぜ私たちは、それほどまでにこの「一瞬」を追い求めようとするのでしょうか。

それはおそらく、その「一瞬」が一切の苦しみを免れていることに、私たちがどこかで気づいているからかもしれません。
その「一瞬」でなら、私たちは苦しみから逃れられるにちがいない…
私たちは、それをいわば本能的に感じているのではないでしょうか。

記憶と一切関わりのない一瞬。
「その考えがなかったら、あなたはどうなりますか?」
4つの質問にあるこの問いの答えるとき、私たちはその「一瞬」を体験しているような気がします。


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もしも私が、あなたを愛していないのなら…
そんなときは私に、
「あなた、自分で目を覚ましなさいよ!」
と言ってちょうだいね。
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原文「もし私があなたを愛していないなら、私自身を起こすことを思い出させて」


「目を覚ます」のは、その人自身の「仕事」なのですね。

「コラー!いい加減、目ぇ覚ませ!!」
o<") ゞ(`') ベシ!
と誰かの手痛いハリセンを喰らったとしても…
最終的に目を覚ますのは、やっぱり本人です。

私が目を覚ますのは、私自身の「仕事」。
それは、他の誰にもできない「仕事」です。
最後は、私が自分で自分を目覚めさせなければならないのです。

しかし私たちはつい、自分以外の誰か、何かが、私たちを目覚めさせてくれる…
と期待してしまいたくなりますね。
f(^^; テヘヘ

また、今日のお言葉でもうひとつ素晴らしいのは「私があなたを愛していないとき」というところ。

私があなたを愛していないとき、私は目覚めていないのです。
逆にいえば、目を覚ませばそれがあなたを愛すること。
目を覚ますことは、どうやら愛と深いつながりがあるのですね。

そして目覚める責任が私たち自身にあるといういうことは、愛する責任も私たち自身にあるということになります。

私たちはつい、自分が愛することの責任は相手にあると思いたくなります。

もう少し素直だったら、もっと可愛がってもらえるのにねぇ。
とか、
あの人といると疲れる。すごくネガティブなんだもん。
とか…

私たちが不満に思い、相手を愛さない原因はその「相手」にあるのだ。
そんなふうに考えたくなることもあるものです。

しかし今日のお言葉から考えると、その原因とは
「私たち自身が目を覚ましていないこと」
です。
屁理屈ばかりのティーンエイジャーや、悲観的すぎるお年寄りのせいではありません。
…どうやら、私たち自身が目を覚まそうとせず、寝ほうけているのが本当の原因なのです。

もしも私自身が目を覚ませば、目覚めた私はあなたを愛している…

そうですか。
目を覚ませばよいのですね?!
そしたら自動的に、私はあなたを愛しちゃってるのですね!!
(*^∇゜)v ステキー

なになに、どうすればいいの??
どうすれば目を覚ませるの?!

…じゃ、まずは。

屁理屈コネは、可愛いがれない。
愚痴っぽくてネガティブな人は、愛するに値しない。

…それは本当ですか?

あたりから、いってみましょーか。
(*^▽^)/ オー


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あなたが「本当だ」と信じている思考が、あなたの世界を創造します。

あなたが自らの思考に問いかけるなら、あなたは自分の世界を変えるのです。
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原文「信じられた思考があなたの世界を創造する。あなたの思考に問いかけるとき、あなたはあなたの世界を変える」


「世界」って、どこでも誰にでも理解してもらえる、いわば「普遍名詞」だと思いがちですよね。
せっかく今日のお言葉で
「“あなたの”世界」
と念押ししてもらっても、まだ
「世界は誰もが同じように見ている、ひとつの確固たる現実である」
という考えが私たちの心にはこびりついています。
すると、
「私の世界」=「みんなの世界」=「現実に存在する、ひとつの世界」
…という図式が成り立ってしまうわけです。

それにしても、中身はどうあれ「私の考え」って、どうしてこうもガンコに心にこびりついてしまうものなのでしょうか。

それは、自分自身がその考えを「本当だ」と信じていることに、気づいていないからなのでしょう。

気づいていないのですから、気づくわけもなく(笑)
その考えは私たちにとっての「真実」のまま、心の中に居座り続けます。

私たちの心の中は、そんな「マイ真実」で溢れかえっています。
考えがあること自体に、実害はありません。
その考えが「マイ真実」と化したとたんに実害が生じてきます。

今日のお言葉でいう「あなたの世界が創造される」ことの始まりです。
極端な表現に聞こえるのを承知で、ぶっちゃけてしまいますと…
「マイ真実」によって創造された「マイ世界」。
実はそれこそが「地獄」なのです。

考えを本当だと信じて、それは心の中で「マイ真実」になってしまった。
しかし問いかければそれは変化します。

「それは本当?」
と尋ねて
「うん、本当。」
という答えだったとしても、少なくともその考えはそれまでのように野放しではありません。

問いかけることによって、ふんふん、私はこんなことを「本当だ」って信じているんだな…とわかりますよね。
それだけで心が軽くなる、という経験をされている方も多いと思います。

たとえ問いかけへの答えが
「うん本当。ほんとに本当。間違いなく本当」
であったとしても、ひとたび問いかけのマナイタの上にのせられてしまえばそれは「絶対的マイ真実」ではなくなるのです。

「マイ真実」以外に「マイ世界」を構成する要素はありません。
従って、問いかけを実行すればするほど「マイ世界」に影響が及びます。
変化するのです。

人間うまくしたもので(笑)
私たちは「マイ真実」によって「マイ世界」を創造すると、必ず苦しむようになっています。
だからこそ、それは「地獄」なのですが…

その地獄の苦しみからなんとか逃れようとして、私たちは様々な方法を試すのです。

ケイティさんの「ザ・ワーク」の問いかけはとてもシンプルで簡単ですが、私たちが苦しみから離れるのを強力に後押ししてくれます。

なにせ地獄に等しい「“私の”世界」の基盤である「“私の”真実」を、きちんと解除してくれるのですから。