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悲しみ?
それは全部、だだっ子のかんしゃくよ。
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原文「すべての悲しみはかんしゃく」


かんしゃくの原語は「tantrum」。
幼児が、だだをこねた挙げ句にする大騒ぎなどのことです。
最近はあまり見かけなくなりましたが、ひと昔前はスーパーのお菓子売り場などで時々見られた光景ですね。

おかしかってー
かってかって、かってーー
(お母さんの厳しい「ダメ!」宣告)
お…お…お…
(うるうるうる)
うわぁぁん!!!
ママのばかぁぁぁー

…というアレです。

しかし今日のケイティさん。
私たちの「悲しみ」は、みんなこの「ママのばかぁぁぁー」と同じだと言うのです。

ちょっとちょっと。
あのねえ、アタシは7年つき合った彼氏にふられたんですよ。
お菓子売り場のコドモと、一緒にしないでよ。
結婚しようって約束してたのに。
専務の娘だかなんだか知りませんけどね。
そりゃアタシより若い。しかも美人。
だからって…
だからって…
(うるうるうる)
うわぁぁん!!!
たかしのばかぁぁぁー

…てあれ、なんかコドモと同じになってる((-""-;)

いやいやそういうことではないのです。
たかが三歳児のお菓子と、婚約までした恋人の心変わりは、同じレベルで考えちゃあいかんでしょそりゃ、って話。

…しかし。
それは本当なのでしょうか?
( ・◇・)?

いずれにしても、なぜ今日のケイティさんは悲しみを「かんしゃく」と呼んでいるのでしょう。

実をいうと悲しみとは、自分の思い通りにならなかったときに起こります。

将来を約束した婚約者の心変わりであれ、お菓子を買ってくれないお母さんであれ、悲しんだり感情的になるのは相手が思い通りになってくれないからなのです。

この点に目を向けて考えれば、悲しみは、実は自分の思い通りにならないことに端を発しているのがわかります。

ケイティさんはよく言っていますよね。
「リアリティと争えば、あなたは必ず負けを喫して苦しむことになります」

目の前に起きていることと争った結果、私たちは悲しみに囚われ、苦しみます。

どんなに私たちのほうが正当で、リアリティに非があると思えても、それは実際に起こってしまったのです。
起きた出来事を変えることはできません。

お母さんは、今日はお菓子を買ってくれませんでした。
彼氏はよりよい条件の女性のほうを、選んだのです。

それがどんなに非難されるようなふるまいに思えたとしても、もう変えることはできません。
起こってしまった、リアリティなのですから…

それについて不満をもち、争い、悲しむのは、私たちのわがままであり「かんしゃく」なのです。

「かんしゃく」である悲しみは、私たちにとって苦しいものです。

その原因は、実は私たちがリアリティを受け入れようとしないことにある…。

それに気づければ、これから悲しくなったときには
「お。ワガママなんだな、かんしゃくなんだな」
と思い直せます。

自分自身の、リアリティに対する考えを見直すことができますね。