☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私には欲しいものがあります。
私には必要なものもあります。
…私???
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「私は欲しい。私は必要だ。私???」


「私」という主語に、あらゆる述語。
述語のなかみは動詞でも形容詞でも、ちゃーんと文章ができます!!スゲー
(そんなことに感動している場合では…汗)

私は、スイカが好き。
私は、ナスが嫌い。
私は、眠い。
私は、私は…
おお、できるできる。
なんでもそれなりに文章になるな~
_〆(゜▽゜)♪

しかし。
そこでふと気づくのは…
そもそも「私」って、ナニ?
( ・◇・)?

…それはさておき、今日のお言葉ですよ!
またまた唸らされますねぇ。

よーーーく、自分が語るコトバの真意に耳を傾けてみれば…
私たちはこの
「私は欲しい」
「私は必要だ」
以外に、ほとんど何も言っていないのに気がつきます。

私たちの心のつぶやき。
そのほとんどが、
私は○○が欲しい。
私は○○が必要だ。
この二種類のどちらかのバリエーションなのです。

私はスイカが好き。
これは、実はスイカが「欲しい」、スイカが「必要だ」ということですよね?
欲しい、必要だ。
その思いがあっての「好き」なのです。

ナスが嫌いなのは、ナスを避けることが「欲し」くて、ナスを避けることが「必要」だからです。

欲しい。必要だ。
このふたつ、コトバは少々違っても一卵性双生児みたいなものです。

さて。

ではここで、そうした双子の呟きの主語、「私」に目を向けてみるとどうでしょう?

「私」?
それはいったい何??

あらためてそう考えると、「私」って何なのか実はよくわかりません。
あるのかないのかさえ、よくわからない。

そう思って見直してみると…

「私」はスイカが欲しい。
「私」はナスを避けるのが必要だ。

…(゜.゜)キョトン

あ、そうなんだ。
スイカ、欲しいんだ。
ナスを避けるのが、必要なんだ。
ふぅん…。
それで??
f(^_^;

欲しい。必要だ。
そうした「中身」、いわば「述語」があるのはわかります。
しかしその「主語」の正体が不明となると…

欲しいとか必要だなどということの信憑性が一気に薄れてしまいますよね。

「欲しい」や「必要だ」が、頼りなく空中に漂っているみたいな感じです。

とにかく八百屋に走ってスイカを買ってこなくちゃとか、レストランで頼んだパスタにナスが入っててイヤな気分になるとか…

なんだかそういうのが、まさに私のことではない「他人事」みたいに思えてきます。
なにせ、主語の「私」の存在自体がアヤシイのですからねぇ…。
(((((((・・;)