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あなたの経験する、ストレスにみちた瞬間のすべて。
そのすべてがあなたを自由へと導いてくれる賜物だということがわかれば、人生は非常に優しいものになるのです。
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原文「あなたが経験するストレスにみちた瞬間のすべてが、あなたに自由を指し示すギフトだと認識するとき、人生はとても優しくなる」
「災い転じて福となす」
ということわざがありますね。
身に降りかかった災難を、自分の利益になるように上手に利用する、という意味です。
困ったことが起きてしまったのは、どうしようもないけれど…
でも、タダでは転ばないぞ~
というわけです。
今日のケイティさんの言葉は、このことわざの一歩先を行っている気がします。
起こった出来事についてのケイティさんの判定は「私を自由へ導いてくれるもの」。
出来事の具体的な中身は一切不問です。
すべて「私を自由へ導いてくれるもの」。
まずこの前提から、話がはじまります。
災難だった。
困ったものだ。
…という前提は、そもそものはじめからあり得ないのです。
転じて福にする「災い」そのものを、最初から認めていません。
「災い」をはじめの前提としてスタートすると、世界は非常に気まぐれで私たちを振り回すものになります。
世界が私たちに「災い」を与えるか「幸運」を与えるかはまさにときの運。
世界から与えられたものをどう料理するかが、私たちの腕のみせどころです。
知恵や度胸で、意地悪な世界の鼻を明かしてやるのもスカッとします。
そうなのだ!!
人間は、世界に負けてばかりじゃあないのです。
((( ̄へ ̄井)ドンナモンダイ
一方、すべての出来事が「私を自由へ導いてくれるもの」という前提からスタートしたら、どうでしょう。
この前提に立てば、私たちに出来事を与える世界には善意しかないことになります。
私たちは世界の鼻を明かす必要などないのです。
世界から贈られたプレゼントを、突き返す必要などまったくありません。
私たちは、世界を相手に勝ち負けのゲームに挑む必要はないのです。
いったいなぜ、まったく悪意のない世界と駆け引きしたり、勝ち負けを争わなければならないのでしょうか?
世界が私たちに送ってくるのは、役をつくるための麻雀牌ではありません。
世界は、私たちに一方的に自由へのプレゼントを送り続けているのです…
このような、文字通りの「世界観」。
それを、今日のケイティさんは「人生は優しい」と表現しているのだと思います。