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リアリティ。
それはいつも慈しみに満ちています。
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原文「現実はつねに慈悲深い」
「慈悲深い」の原語は「benevolent」。
良い意図、相手にとって善であることを意図する、という意味合いのある言葉です。
ケイティさんは、目の前で起きているありのままを「リアリティ」と呼んでいます。
そしてその「リアリティ」は、私たちに対して一切の悪意をもっていない。
それどころか私たちに対して慈悲深いというのです。
ではなぜこんなにも「不幸な」、「苦しい」出来事が起きるのでしょうか。
なぜ、世界から争いが、病が消えないのでしょうか。
なぜ、私たち個人の人生にすら、挫折や失望が訪れるのでしょう。
こうした問いは、何千年どころか何万年にもわたって人間の心から離れたことがなかったはずです。
さて、よく「白か黒か」なんて言い方をしますが、私たちにとって物事とはまさに「白か黒」しかありません。
つまり「真実か偽りか」しかないのです。
半分真実で、半分偽り…というものはありません。
どちらかふたつにひとつなのです。
そのような観点から、今日のケイティさんの言葉を考えてみましょう。
私たちにとって、今日のケイティさんのひとことは真実であるか偽りであるかのどちらかです。
もし偽りであるなら、リアリティはケイティさんが言うように慈悲深くなどありません。
私たちに悪意をもつこともあるのです。
だから、不幸で耐え難い出来事が次々と起こるのです。
そうしたリアリティの悪意をどう防ぐかについては、改めての熟考が必要ですが、これはこれで理屈として理にかないます。
もうひとつの可能性として、ケイティさんの言葉が真実であるとしましょう。
彼女が言うように、リアリティとは慈悲深いものだとしたら…
私たちの目の前に起こることはすべてリアリティの善意の結果、ということになります。
これまで私たちが「不幸」「失望」と呼んできたものが、実はリアリティによる善意なのです。
もしこれを真実と考えるならば、私たちは、「不幸」や「苦しみ」と呼んできた出来事に対して根底から考えを変えなければなりません。
そうしなければ、リアリティの善意との整合性が失われるからです。
私たち自身の「不幸」「耐え難い」といった考えを変え、リアリティの善意を受け入れてはじめて、私たちは「ケイティさんの今日の言葉は真実である」と言えるようになるのです。
リアリティの悪意から、どうやって身を守るか。
または、どのようにして私たち自身の考えを、リアリティの善意に整合させるか。
私たちにある選択肢は上記のふたつのみです。
どちらを選ぶかは、私たち自身に委ねられているのです。