☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
正しいことを行うための動機として、悲しみや義憤は必要なものだ。
…そう思うのは、狂気です。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「正しいことをするための動機付けに悲しみや怒りが必要だと考えるのは狂気」


それにしても、見回してみるとこの「狂気」で仕立て上げられた映画や小説なんて、いっぱいありますね。

社会とか犯罪に対する怒りや、自分にとって大切なものを奪われた悲しみなどのストーリー部分がないと、映画やお話ができない…
といっても、いいくらい。

主人公の怒りや悲しみが、こまごまとリアルに、丁寧に描かれていればいるほど、主人公が報復する相手にふるう暴力が「正しいこと、正義」に見えてくるから不思議です。

こうした物語に、私たちは長年、ヤンヤヤンヤの大喝采を送ってきました。
例えば年末恒例のあれ。
忠臣蔵とかね。

…が。

「正しいことを行うためには怒りや悲しみが不可欠」という考えが狂気だとしたら…

もしその「狂気」を取り除いたらどうなるのでしょう。

怒りも悲しみも必要ない。すっかり心の中からそうしたものを追い出してしまったら…?

そもそも「正しい」ことって、何なのでしょう。

怒りや悲しみによって行ってきた「正しいこと」、それって要するにただの…

仕返し?!
(゜m゜;)

仕返しって…
あんまり「正しいこと」のようには思えませんねぇ…