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「これから何が起こるのだろう」
それについて投影したなら、代償は自らの人生です。
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原文「何が起こるのかを投影した瞬間、あなたは人生を犠牲にしている」


あなたの思考が、現実をつくる。
あなたの思考は現実化する。
…こんな言葉、時々耳にしますね。

私が考えたことが、そのまま目の前に現れる…
と解釈されがちな表現ですが、その本来の意味は今日のお言葉にある「投影」です。

たしかにこれは、「私が思ったとおりの出来事が起こる」と言えなくもありません。
しかし、それが正確であるとも言えないでしょう。

実のところ、私たちが目にしている「出来事」は、すべて原因と結果の法則に従って生じています。
この法則を逃れる「出来事」はありません。
この世界では、すべてが公正かつ厳格にその法則に従っています。

そのような「出来事」を見るとき、私たちにはふたつの選択肢があります。

ひとつは、起きている「出来事」をそのまま、ただ見る方法。

もうひとつは、私たちの思考に合わせて、「出来事」をどう見るかを選ぶ…という方法です。

この後者の方法が、「投影」といわれるものです。
そして、私たちはよほど意識的になって自分自身を訓練しない限り、この「投影」方式が初期設定になっていて、無意識に「投影」を繰り返しているのです。

つまり。
私たちはたいてい、目の前の出来事を「客観的に、ありのまま、ただ見ている」と考えています。
しかし実のところ、多くの出来事を「主観的に、自分の好みに合わせて、選択的に解釈して見ている」のです。

これには、それなりの訓練を積まないと気づけないものです。

なぜといえば、私たちは基本的に
「私はありのままをただ見ている」
ということについて疑わないからです。
それがあまりにも「当たり前」「自然なこと」なので、はてなマークの出番すらありません。

しかし、今日のケイティさんは、この私たちにとって「あまりにも当たり前で自然なこと」である初期設定の「投影」には思いの外高価な代償がある、と言います。

それはなんと「いのち(life)」。
私たちがいちばん大切だと信じているものです。

私たちが「投影」の代償として支払っている、とケイティさんがいう「いのち」。
それが私たち自身にとってどのようなものなのか、「投影」を当然のものとして繰り返す私たちにはわかりません。

ほんの一瞬でも、その「投影」を停止してみないと、分かりようがないのです。

たとえば今、私の目の前にあるもの…

これは扇風機です。
それは、本当なのでしょうか?

…(゜ロ゜)

こうした問いかけを重ねて、気づくことはたくさんあります。

ということは、問いかけをしなかったらそれには気づけなかった、ということでもありますね。

これは扇風機だ。
それは絶対、「本当」なんだ。

そう信じていたときには気づけなかった「なにか」。

それが、投影の代償なのでしょう。
そしてそれを、ケイティさんは「いのち」と呼んでいるのです。