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できたとしたら、私は復活していたでしょうね。
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原文「もしできたのなら、私は復活していたことだろう」

2014年4月20日は、キリスト教会でもっとも重要な祝日とされる「復活祭」です。
(ちなみに、この「復活祭」は、毎年異なる日付です。)

日本では、キリスト教の祝日というとまず「クリスマス」を思い浮かべますね。
しかしキリスト教文化圏においてこの「復活祭」は、クリスマスに匹敵する重要な祝日とされています。

その由来は、イエス・キリストの「復活」。

十字架刑の後、安置所に置かれていたはずのイエスの死体は忽然と消え、彼は「死から甦った」…
つまり、「復活」した、と伝えられています。
それを記念するのが、「復活祭」なのです。

このイエスの「復活」を念頭においた、今日のお言葉ですね。

ひょっとしたら無邪気な質問者さんがハーイ!と手をあげて
「ケイティ、あなたはすごいスピリチュアルリーダーですよね。あなた、イエスみたく復活したの?」
なあんて、尋ねたりしたのかもしれません。

復活?
そんなことができるんなら、私だってとっくに復活してるわよ!(笑)

…今日のお言葉は、そんなふうに笑い飛ばしているようにも思えます。

「そんなことができるなら」
という前半の一文。
これは、懐かしの中学校で習った「仮定法」です。

もし○○だったら、△△だろう。
…という、英語のテストで散々苦労したアレ(笑)

要するに、○○も、△△も、どちらも「実際にはない」なのです。
 
例えば「ワシがバルタン星人なら、ウルトラマンなんぞボコボコじゃ!」。

…と豪語しても当人はバルタン星人ではなく、ウルトラマンと対決してもいません。

どちらも実際とは違うわけです。

…ところで、それでは今日のケイティさん、いったい何を言おうとしているのでしょう。

私はイエス・キリストじゃありませんってば!
…かな?
(なんでも一部の熱狂的な支持者は、ケイティさんをイエス・キリストと同列の存在だと崇めているとか。)

それとも、私はまだまだイエス・キリストの域には到達していません。あなた方と同じように、いまも成長し続けているのよ。
…っていうこと?

はたまた、私はまだ死んだことないから、復活も、したことがないわねぇ。
…とか??

「もし私にそれができたとしたら、私だってやっているわよ。」

…ということは、ケイティさん自身、
「私に復活は可能ではなかった」
と言っていることになりますね。

それはどうしてなのでしょう。

ケイティさんと二千年前のパレスチナ人のイエスは、遺伝子からして別人だから?

ケイティさんには、イエス・キリストのような力はないから?

…それとも「復活」なんてそもそも不可能だから?

「復活」。

…それは本当ですか?

私たち日本人にとって、この質問はたいして抵抗を生みません。

しかし先に述べたような宗教観が基盤にあるキリスト教文化圏でこのような問いを発するのはどのような意味をもつのでしょうか。

そのあたりも考えつつ、今日のお言葉を味わいたいものですね。