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自分の考えを信じるとき、私は眠っているのです。
恩寵の状態を、夢ととりかえてしまったのです。
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原文「私が自分の考えを信じるとき、私は眠っている。私は恩寵の状態を夢と取り替えた」


昨年10月6日に、
「恩寵を体験したいなら、自分が『正しい』と信じている思考を見直してみなさい」
というようなお言葉がありましたね。

この昨年のお言葉と今日のお言葉からして、自分の考えを信じて「いない」のが恩寵の状態…ということになりそうです。

それならば、自分の考えを信じて「いる」ことのほうは夢うつつ…と、いうことになりますね。

ケイティさんはいつも、
「自分自身の考えを信じることが、苦しみを生む」
と教えています。

自分の考えを無自覚に信じる。
それはつまり、「私の考えは正しい」と主張することだとも言えるでしょう。

けれど、必ずしも倫理的に自分の考えが「正しい」わけではないことくらい、いっぱしのオトナなら誰でも承知しています。

「私の考えは正しい」。
この表現は、「私にとって私自身の考えとは、100%信頼が置けるものだ」というような意味ではないでしょうか。

そして、こちらのほうが倫理観云々よりかなり始末が悪いです(笑)

とにかく、信じきっているのですからね。
「自分自身の考え」は、絶対に安心だ。絶対に私を傷つけたり裏切ったりしない。
…と、信頼しきっているのです。

しかしですよ。

その「考え」そのものは、倫理的に正しくないこともあります。
(ひょっとしたら正しくないほうが多いくらいかもしれません…)

事実ではない場合もあります。
(ひょっとしたら事実ではない場合のほうが多いくらいかもしれません…)

それなのに、そこまで無邪気に信頼して大丈夫なものなのでしょうか?

…大丈夫ではなさそうですね。

それは眠ってしまうことであり、恩寵を夢とすげ替えてしまうことだと、今日のケイティさんは言うのでしす。

考えそのものが悪いわけではありません。
考えにしろ何にしろ、悪いものなど何もないのです。

ただ、あまりに自分色に染まりきっている「自分自身の考え」を無自覚に信頼することは、私たちに苦しみをもたらします。

それ以上でもそれ以下でもありません。

「良いか悪いか」
ではなく、
「苦しみを生むかそうでないか」
だけのことなのです。

そしてこのような苦しみから解放されて、恩寵の状態を経験したいと願うなら、自分自身の考えに対する「全幅の信頼」を緩めてみることなのでしょう。

私の考えは決して私を欺かない。

…それは本当でしょうか。
それが絶対に本当だと、言い切れるでしょうか?