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そうですね。
それは、傷つけます。
それでもすべての苦しみとは、空想なのです。
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原文「そうです。それは傷つける。それでも、すべての苦しみは空想されたもの」



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そうなのです。
それは傷つけるのです。

そうであっても、すべての苦しみとは問いかけられていない思考から生じます。
それは100%空想なのです。

それが感じられますか?

問いかけられていない思考は、傷つけます。
リアリティーが傷つけることはありません。
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原文「そうなのです、それは傷つける。それでもなお、すべての苦しみは問いかけられていない思考から来ており、純粋な空想です。それが感じられるだろうか。問いかけられていない思考は傷つける。リアリティーはそうではない」


本日の分は、もともと二回に分けてFacebookにアップされているものです。

内容からして連続しているので
ひとつにまとめました。

私たちの「苦しみ」とは、すべて空想だ…
と、ケイティさんは言いきります。

そしてその空想とは、「問いかけられていない思考」から生じるのです。

「問いかけられていない思考」…
つまり、私たちが
「それは本当だ」
と信じている考えのことですね。

この「考え」がケイティさんのいう「リアリティー」と争いあうとき、私たちは苦しみを経験することになります。

そして、「私の考え」と「リアリティー」の、どちらが「本当」なのでしょうか?

…その答えは明らかですね。

本当ではないなら、それは「空想」と呼ばれても仕方ないでしょう。

考えとリアリティーが対立する、極端な例を考えてみましょう。

例えば、私が、自分自身を「鳥」だと信じているとします。

「私は鳥だ。それは本当です」
…というわけです。

さすがに私の苦悩は深いですね(タメイキ)
⌒(ё)⌒

なにせ飛べません。
飛ぼうとしては落ちます。
心が傷つき苦しいばかりではなく、体もあちこちから落ちたせいでアザだらけです。

「私は鳥ではない」という厳然たるリアリティーと、「私は鳥だ」という私の考えは、真っ向から対立しています。

そしてご覧のとおり、私のこの苦しみは「空想」なのです。

さらにケイティさんは、興味深い一言を差し挟んでいますね。

「それが感じられますか?」

アタマで理解できますか?
ではなく
感じられますか?
と訊ねています。

往々にして私たちは、知的に理解するだけでは心を開きません。

例えば自分を鳥だと信じている私に、「あなたはね、鳥じゃないのよ」と説得するのはホネが折れることでしょう。

説得に説得を重ねて、ようやく私が
「そうかなあ。みんながそこまで言うんなら、自分は鳥じゃあないのかなあ…」
と思ったとしても、明日になったらまた思い直し(?!)て
「いーや!!私はやっぱり鳥なんだ!!」
という考えに戻ってしまうかもしれません。

それは本当なんだろうか?
…あれっ。
( ゜o゜)
…本当に、本当なんだろうか??

そう「感じ」て初めて、私たちは自分の考え以外の可能性を探ろうという気になるものです。

この「感じる」ための方法のひとつとして、ケイティさんの「ザ・ワーク」は優れていると思います。

「それは本当ですか?」
リアリティーと争いあう思考についてそう問いかけるときに「感じる」、あのザワッとした感覚。

それが、私たちの心を開かせてくれるのだと思います。