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愛は、生きるに値します。
どうして、生きること(人生、いのち)をそれ以下のものと取り替えるのですか?
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原文「愛は生きる価値がある。あなたはなぜ人生(いのち)を、それ以下と取り替えるのか」


後半の部分、訳文では原語の「life」を「生きること(人生、いのち)」にしました。

おそらくケイティさんは、
「『愛』とは、生きることそのもの」
ということを伝えたかったのではないかと思ったのです。

「愛」は、抽象的な理想ではなく、日々の日常で「生きること」。

「愛」を生きる以外の生きかたは、生きることの本来の価値以下のもの…
ということなのかなと思います。

日々の日常生活で「愛を生きる」。

もうすでに、美しく輝く抽象的理想ですね(笑)

それが具体的に何を指しているのか、私たちにはよくわかりません。

いえ…
ひょっとしたら、わかっているけれど「やりたくない」のかもしれません。

よくわからない。
なんかいい感じはするけど難しそう。
とりあえず、言葉だけ聞いて良い気分になっとこうかな~

…そんな生きかたは「愛以下、生きること以下」だと、ケイティさんは言います。

「愛を生きない」。
それは、「生きることを、愛以下のものと取り替える」ことだと言うのです。

私たちは、このような「愛を生きない」こと、「人生を人生以下のものと取り替える」ことが当たり前の生きかたなのだと考えています。

優しい心をもてるときもある。
優しくなれる相手もいる。

でも腹が立ったり不満をもつこともある。
優しくしにくい相手だっている。

…当たり前だよね?
だって人間だもん(笑)

私たちはこのような生きかたを、「人生以下のものと取り替えている」なんて考えません。

それが当然、当たり前なのだと思うだけです。

しかし…。

それは本当なのでしょうか?

愛を生きること。
愛を生きないこと。

そのどちらが「当たり前」なのでしょう?

問いかけていけば、その答えも見つかることでしょう。