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「幸せだ」というのが、「真実ではない」という意味であることが、しばしばあるものです。
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原文「ときには、幸せであるということが、間違っている、ということを意味している」
まあいいんじゃない?
悪くないよね?
…のレベルから、
チョー最高!
ありえないくらいラッキー!!
…レベルまで、「幸せ」と一口に言ってもいろんなレベルがあります。
しかしそんな「幸せ」のなかには、「間違っている、真実ではない」ものもけっこう混じっている…
これ、一体どういう意味なんでしょう?
私たちが「幸せ」だと考えているものには、真実でないものがある…
もしそれが本当だとすれば、推測できるの可能性は
「私たちの幸せの定義が、そもそもズレている」
ということかもしれません。
ケイティさんはいつも、
「私たちがありのままに抵抗する考えをもつのに気づかないとき、苦しむことになる」
と教えてくれます。
ここから考えてみましょう。
苦しむことのない状態が「幸せ」だとすれば、それは
「ありのままに抵抗する考えをもたないこと」
になります。
確かに、私たちは「幸せ」をそんなふうに考えたことはあまりないかもしれません。
そもそも、その「幸せ」の土台である「ありのまま」さえ、何のことやらよくわからないありさまです。
「ありのまま」は、「自分がこうなってほしい状態」だとさえ信じていることすらありますよね。
うーん、そもそも土台からして怪しくなってきました(笑)
さぁ、絵を描くぞ!
と張り切って、洗面器に張った水の水面に絵の具を乗せようとしているようなものかもしれません。
絵を描くのなら紙の上にしたほうが良いですよね。
洗面器を使うにしても、せめて水の上ではなく洗面器そのものの表面にしてほしい(笑)
私たちの「幸せ」が、的外れな理由…
ひょっとしたらそれは、その「幸せ」の土台について、私たちが「本当ですか?」と問いかけていないことにあるのかもしれません。