
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
過去、私は虐待のある関係性をもっていました。
そして、そこから逃れる出口を見つけたのです。
その関係性とは、私自身との関係でした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
原文「かつて私は、虐待的な関係をもっていた。そして、出口を見つけた。その関係とは、私自身との関係だった」
自分自身との、虐待的な関係性。
ケイティさんはそこから逃れる道を見つけたといいます。
おそらくそれは、「自分が自分自身に何をしているのか」をはっきりと理解したところから始まるのでしょう。
ケイティさんの「ザ・ワーク」では、まず他者を裁くところからスタートするようにすすめられます。
奇妙なことに、もしも自分自身を裁くところからから始めると、私たちは自分が自分自身を虐待していることになかなか気づきません。
「ザ・ワーク」によって他人を裁くとき、まず最初に私たちがそこに見るのは他人を虐待している自分自身の姿です。
まざまざとそれを見て、「4つの質問」のパートで、私たちはなんと無意味なことをしているのかと自分自身のふるまいに呆れてしまいます。
他人を虐待するのはなんと不毛なことでしょう!
それは本当ではないのです。
そして、私たちに苦しみ以外何ももたらしません。
…やれやれ、なんてまあアホらしいことをしていたもんだと思ったところで後半の「置き換え」のパートです。
ここにきてようやく私たちは、これまで私たちが虐待していたのは他人ではなく自分自身だったことに気づきます。
他人を裁くのとまったく同じように無意味なことを、そっくりそのまま自分自身にしているのです!
正確にいえば、そっくりそのまま自分にしている、というよりは、他人にしていると思っていたことはすべて、自分自身に対してしていたことだった…
といえるかもしれません。
私たちは、他人を裁いていると、他人に対して怒りや批判をぶつけていると、信じていました。
しかし私たちが怒りをぶつけ続けてきたのは他人ではなかったのです。
私たちは、自分自身を容赦なく虐待し続けていたのです。
「私自身」に置き換える、というパートがありますね。
たとえば
「あの人は私にいつも意地悪をする」
は
「私は私自身にいつも意地悪をする」
に置き換わります。
かなり不愉快な文章ではあるのですが、奇妙なことに、おそらく多くの人が後者の
「私は私自身にいつも意地悪をする」
のほうにこそ現実味を覚えてしまうのではないでしょうか?
この認識から、自分自身との関係性は改善しはじめるのだと思います。
虐待的な自分自身との関係性から逃れる出口の扉が、ここでようやく開かれるのです。