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人生を創造しているのは、心(マインド)です。
体には、そのようなことはできません。
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原文「心(マインド)が人生を創造する。肉体にそれはできない。」
ケイティさんは、どのような意味で今日のような表現をしているのでしょうか。
いつぞや、
「あなたをコントロールしているのは、人生のほうです」
というお言葉がありましたよね。
人生そのものは、人生自身の因果律ーまたは流れによって、人生自身の「領域」のなかで動いています。
私たちはそれをコントロールすることはできません。
それでも私たちは、なんとか「人生」を自分の力でコントロールしたいと願っていて、あれこれの「行動」をします。
つまり、体を使って「人生を創造し」、自分の力で「コントロール」をやり遂げたような満足を覚えます。
しかし今日のお言葉からすると、どうやらこれも錯覚のようですね。
f(^_^;
私たちが「コントロール」できるものがあるとすれば、それは私たちの「領域」つまり、私たちの心(マインド)しかないのです。
何か実例で考えてみましょう。
たとえば。
隣に陽気な外国人さんが引っ越してきました。
悪い人ではなさそうなのですが…
毎週末、お友達とのパーティーが明け方まで続き、金曜や土曜の夜は安眠できません。
(*_*;
解決法その①。
もう少し静かにしてほしいと相談にいく。
これは、
「体を使って、実際の状況を変える」
例ですね。
今日のお言葉流にいうと
「体を使って、人生を創造する」
ことになります。
お隣さんは、事情を納得してくれて、以後は外出先でお友達と集まってくれることになりました。
めでたし、めでたし…
ここまでならば、充分
「体でだって、人生を創造できる!」
という結論を導けます。
そして、私たちはこれまでこうしたプロセスから導いたこの結論を、なんの疑いもなく信じてきました。
体で、人生を創造できる。
体を使った行動で問題を解決して、人生をコントロールできるのだ!!
L(‘▽‘)/オーッ
ではお待ちかね(笑)
解決法その②。
「隣の住人はうるさい」
で、ザ・ワークをする。
この方法では、お隣さんそのものはさして重要ではありません。
向き合うのはお隣さんではなく、自分自身の心(マインド)です。
問いかけと置き換えで探求してゆくと、おそらく最終的にたどり着くのは
「うるさいのは実は私自身」
「うるさいのは私自身の心(マインド)だ」
という結論になるでしょう。
うるさいものの正体…
それは、なんと「自分自身の心(マインド)」だった!
!Σ(×_×;)!
…ここで、実際の状況の何がどう変化するのか、またはしないのかは未知数です。
相変わらず、お隣の外国人さんはパーティー三昧かもしれません。
しかし、「うるさいものの正体は私自身の心だ」と知ったなら、外界の出来事じたいはなんの問題でもなくなるのです。
明け方までにぎやかな隣人は、もう悩みの種ではありません。
そして、その後の人生において、解決法その①その②のどちらを採用するかで少なからずの違いが生じてきます。
その①を採用した場合、その後の人生はそれまでと似たり寄ったりです。
隣人が静かになったと思ったら、「口うるさい」ので有名な人が直属の上司に異動してきたりします。
ガールフレンドが、早く結婚しようと「うるさく」せがむようになったりします。
うじうじしている間もなくデキ婚で結婚したら、生まれた赤ちゃんの夜泣きがハンパない「うるささ」…
その後の人生も、まあこんな調子で続いていきます。
その一方、その②で「うるさいものの正体」を突き止めた場合。
それ以降の人生は、様々な「うるささ」から解放されることになります。
あの「口うるさい」上司と、よくやっていられると周囲から呆れられるやら感心されるやら。
しかし、本人としては本当に何とも思わないのです。
ガールフレンドにもかっこよくプロポーズしたりして、結婚生活も上々です。
「結婚なんか、墓場じゃあー」
などと酔っ払って愚痴る同僚のいってる意味がわかりません。
お気づきと思いますが、この人の人生に起きている出来事そのものには大差がありません。
しかしこの人の「心(マインド)」、つまり人生という出来事に対する見方は、まったく違っています。
この人の人生を「変えた」もの。
つまり、この人の人生を「創造」したのは、行動(体)ではなくて心(マインド)だったのです。
このような違いは、着実に「それは本当ですか?」を続けた人にしか実感できないかもしれませんね。
その点は、悪しからず(笑)
ケイティさんは、このようなことを
「心(マインド)が人生を創造する」
と表現しているのだと思います。
ケイティさんの「ザ・ワーク」による探求の着地点は、そのほとんどか「自分自身の心(マインド)」になることでしょう。
そのような意味で、心(マインド)は私たちの人生を創造していると言えるのだと思います。