
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あなたの心のなかに私がいなければ、私は存在のしようがありません。
「私」があなたのなかにいないのなら、私はいないのです。
それなら「私」とは誰なのでしょう?
「私」とは何なのでしょうね?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
原文「あなたの心のなかに私がいないなら、私はどのように存在できるのだろうか。あなたのなかに『私』がいないなら、私はいない。では『私』は誰か『私』は何か?」
「自分さがし」なんていう言葉がありますが、
「私は誰なのか?」
という問いは、おそらく人類に普遍な疑問なのでしょう。
当人が意識しているかどうかはさておき、私たちひとりひとりが、この疑問への答えを見つけるために「生きている」…
といっても、言い過ぎではないかもしれません。
今日のケイティさんのお言葉は、とても意味深いものだと思います。
「私」とは、他者の心の中に「しか」いない。
他者の心の中にいないなら、「私」は存在していない。
「私」とは、他者の心に100%依存しているのだ…。
ここで、
「他者がいてくれてこその私。人間はひとりで生きているのではない。すべての人はつながっている。」
という結論を導く向きもあるでしょう。
しかし、今日のところは、そうした考え方はひとまず置いておきましょう。
今日ケイティさんが本当に私たちに問いたいことは、何なのでしょうか。
それは、後半の質問にあると思うのです。
他者の心に依存している「私」。
その「私」とは、いったい何なの?
私たちは、
「私とは何者なのか」
を知ろうとして血道を上げているものです。
そうした「血のにじむような」探求、探索の末に得た結論。
それが
「100%他者の心に依存する『私』」。
ここでようやく、「私」というそれまでとらえどころのなかったものを、掴まえることができたのです。
私たちは、この
「『私』を掴まえること」
が自己探求だと信じてきました。
この「私」さえ掴まえれば、すべての疑問は氷解するだろう。
そして、「私とは誰か」と問い続ける苦しみからも、解放されるだろう…
そう信じてきました。
しかし実はこの「自分探し」、まさに文字通りの「自分を探して掴まえること」だったのです。
探し当てて掴まえた「私」。
それは「100%他者の心に依存する存在」でした。
…そして、ここからが始まるのが、実は真の「自己探求」です。
ようやくまな板の上にのせることのできた「私」を、いよいよじっくりと「探求」するのはここからなのです。
100%他者の心に依存する「私」。
この「私」とは、何なのだろうか?
今日のケイティさんの問いかけですね。
そしてこの問いを探求することこそ、真の「自己探求」なのだと思います。
そしてまた、これは
「究極の問いかけ」
とも言えるのでしょう。
今日のケイティさんには、そんな深遠さを感じました。