☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私が見ているものを見ることのできる人などいません。
たとえ私と一緒にそれを見ていたとしてもです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原文「誰も私が見ているものを見られない。たとえかれらも、それを見ていたとしても」


数日前の、「他人の痛みを感じることはない」と同じテーマですね。

私たちは、つい誰もが自分と同じものを見ている上、同じように感じ、同じように考える…と思いがちです。

アタマでは「十人十色、人それぞれ」と分かっているはずなんですが(笑)

人間関係のモメゴトの根本は、だいたいここにある気がしませんか?
(。>д<)

それってジョーシキでしょー

の「常識」のなかみは、よ~く調べてみると
「私が考える常識」
「これなら、大方みんなもそう思っているだろう」
ということだったりします。

人類みな兄弟~♪
そんな「人類の共通項」、あるにはあるのでしょうね。

それが「私の常識」でないことは、どうやら確かみたいですが…
(~O~;)

この「人類の共通項」のなかみが、いつのまにか「私の常識」に入れ替わり、誰もがそれを共有しているという誤解にとらわれたとき…様々なモメゴトが起こるのでしょう。

一体この入れ替わりや誤解がいつ発生するのか、多くの場合私たちにはとんと見当もつきません。

発生した時点で気づいて修正できるのが、ベストなのかもしれません。
しかし、それもなかなか難しい。
(; ̄ー ̄A

そのためには、時間をかけてじっくりと心の動きを観察するのが必要なのだと思います。
様々な修行は、そのためにあるのかなと。

で、次善の策としては、モメゴトが起こってムカッ腹が立ったら「それは本当ですか?」と問いかける。

そうやって問いかけて調べていくと、いつのまにやらアタマの中が「私の常識」で占領されていたのに気がつきます。
相手も「私の常識」を共有しているはずだと思いこんでいるのに気がつくのです。

私の見ているものを、私と同じように見ている人はいないんだ…

これが納得できると、怒りが起きなくなるのが不思議ですよね。 

Android携帯からの投稿