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私は、愛です。
そして、あなたから愛を得ようと求めているかぎり、私は「自分自身が愛である」と知ることができません。
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原文「私は愛だ。そして、あなたからそれを求めているかぎり、私はそのことがわからない」
私たちは、「愛」をひたすらに求めてやみません。
何が欲しいって、赤ちゃんから最後期高齢者まで、とにかく「愛」、何はなくとも「愛」が、とにかく欲しいのです。
なぜそこまで「愛」を欲しがっているかといえば、理由はきわめて単純。
「愛」が足りないと思っているからです。
「愛」が足りない…
私のなかには、「愛」はない。
そしてそれを「あなた」から、つまり自分自身以外の誰かから得ようとする。
これは、私たちにとってある意味で「常識」です。
欲しいものがあったら、コンビニ行って買ってこよー…というのと、ほとんど同じ原理ですね。
欲しいものがあるのなら、よそから手に入れるのが当たり前。
原始人間ギャールズだって、欲しいものを物々交換してたくらいです。
しかし。
今日のケイティさんは、この原始人時代から受け継がれてきた私たちの常識を覆します。
私たちの欲しいもの…「愛」を、自分自身以外の誰かから得ようとしても得られない。
誰かから愛を得ようとしているかぎり、私たちは「私=愛」であると知ることができない。
まるでこんなふうに、言われているみたいです。
欲しいものがあるのなら、お店に買いに行ってもムダ。
欲しいものがあるのなら、自分の家の中で探せ…。
((゜〇゜;)?????
欲しいものがあるときは、コンビニに買いに行かずに、家の中を探してみると??
んー。
ま、アタマぢゃー分かるけどさ~
(´▽`;)ゞポリポリ
…。
…いや。ちょっと待てよ。
「私には欲しいものがある」
…そもそもこれ、「本当ですか」?
もしも、はじめから「欲しいもの」がないなら、コンビニ行って買う必要もないんだし。
「愛」。
欲しい欲しいって思ってたけど…
なんの疑問ももたずに、欲しがっていたけど。
「本当に」欲しいのかな??
( ・◇・)?
あれっ??
だいたい、「本当に」ないのかな…
「愛」。
…
…
…
( ・◇・)