先日、大手印刷会社や家電量販店の幹部たちによる、障害者団体向けの郵便割引制度悪用事件が起きた。簡単にいうと、障害者団体でもないのに郵便割引制度を利用し、DM郵送を安くあげていたという犯罪だ。


法律もしくは郵便事業会社のチェック機能に抜け穴があるのかもしれない。ただ、それ以前に、ひととしての倫理観をうたがってしまった。


どうしてよりによって、それを悪用するのだろうと思う。こんな言い方は良くないとは分かっているが、いろいろと悪用しようと思えばできるものがあるだろうに…と。なにかしらのハンディを背負ったひとのために作られたであろう制度を、ハンディを背負わないひとが悪用するなんて。


たぶん、そういった悪さをするひとは、他人の痛みを理解できないんじゃないだろうか。そんなひとたちが、企業の「幹部」と呼ばれる立場にあるから怖い。


組織が大きくなっていくと、いち幹部のパーソナリティなんて気にもならなくなってしまうのかもしれない。でも、そうじゃない企業もあるはず。会社としての全うな理念を貫き続けることができる幹部、そこに信頼を寄せる社員。そうなるためには、やはり「ひととしての倫理観・道徳観」にゆがみのないことが大切ではないだろうか。


未曾有の不景気のもと、がむしゃらな利益追求が必要となっている企業は多い。ただ、そんなときだからこそ、忘れてはいけない信念をもう一度思い出してみるべきだろう。

インターネット上では便利なサービスが広まる反面、その匿名性から生まれる犯罪も増えてきているという。とくにブログ上での誹謗・中傷はあとを絶たないそうだ。これは、携帯電話がひろく普及した2003年以降、より顕著になっているらしい。


実際問題、ネット上でのいじめや犯罪予告、不適切な情報提供などをなくすにはどうすればいいのだろう。わたし自身、小さな子どもを育てているけれど、この子が大きくなったとき、ネット環境はどうなっているのかと心配になってくる。他人事ではないのだ。


単純に考えたとき思いつく施策。たとえば「子どもには、携帯電話を持たせない」というのはどうか。しかし、イマイチ現実的じゃない。それに、携帯のGPS機能は誘拐といった犯罪から我が子を守ってくれるのではないかと考えるのが親心。だが、その一方で、中高校生が電車のなかで携帯ばかりいじっているのを見ると、これもどうなんだろうと疑問符が浮かぶ。


それなら、いっそのこと「子ども専用携帯電話」を作ってみては?発信・着信の相手を限定できる、閲覧サイトも限定できる。そんな機能をつけるのは、とても簡単なはずなのに、どうして発売されないのだろう。いや、もしかしてすでにあるのかしら?まあ、普及していないことは事実だ。


そんな機能をつけてしまったら、きっと損をするだれかがいるのではないかと思えてくる。けれど、それこそIT技術で乗り越えてほしいと勝手に期待しているのだが。来たれ、正義のIT。


世の中の不景気ムードに流されず、新たに生活が安心で豊かになるものを生み出していきたいものだ。

我が子を保育園へ預けることを考えたことのある母親なら

きっと聞いたことがあるであろう「保育ママ」。


正式名称は家庭福祉員制度といって、お国の研修をうけた

保育士や、教員といった資格所有者らが自宅で乳幼児をあ

ずかるというもの。


先日の夕刊では、この「保育ママ」への母親の不安はまだ

まだ大きいということだった。おなじく乳幼児を育てる母とし

て「保育ママ」について考えてみた。


わたし自身も、この制度を利用するかと問われたら「ちょっ

と・・・」と答えてしまうだろう。なにが不安って、いかんせん

“密室”だからイケナイと思うのだ。


いち個人の自宅というシチュエーションがどうにも信頼で

きない。我が子を預けたあとは、その家でなにが行なわれ

ているか、外からの視線がないわけだもの。もちろん実際

は、良識ある人たちがきちんと面倒をみてくれているはず。

母親の心配は、ある意味失礼極まりないとも言えるだろう

けれど・・・


しかし、世の中を見渡せば、保育園という看板をかかげて

いるような場所でも子どもを巻き込んだ事件は起きている。

だからこそ余計に、「ちゃんとしたところを選ぶのが親の義

務」という気持ちに拍車がかかる。当然といえば、当然だ。


ならば、公のスペースを借りて、そこを保育ママの活動場

所とすればいいのでは?これって、単純すぎるかしら。で

も外からの視線もはいるなら、親の不安も多少は軽減され

るに違いない。


ただ、これまた場所を借りるとなると経費がうんぬん・・・と

なり、普及に向けてまた違った障壁ができるわけだ。

あ~あ、問題は日本国土の狭さにあったか。って、そこに

結論を持っていっては問題の解決にはならず。どうにもむ

ずかしい実情である。