「藁の盾」 | 水色のタオル

水色のタオル

並の教師で終わりたくない。。。

TSUTAYAで借りて,観ました。


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うーん。

母は「いい映画だったよ。」と言っていました。

僕もいい映画だと思います。

この映画は何が伝えたかったんだろう。

「人間の性悪説的な問題」か

「被害者家族の苦しみ」か

「一つの信念を貫くことの・・・」


以降,作品の細かいところに言及していきますので,

まだこの作品を観ていない方は観てからお読み下さい。

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僕は一番最後の「一つの信念を貫くことの・・・」が一番印象に残りました。

「・・・」にどんな言葉が入るのかは,すぐに答えられません。

大沢たかお演じる銘苅が最後まで自分の信念を曲げなかったことには驚きました。

作中で,銘苅が

「その妻の言葉が,今までの3年間を支えた」
「妻はそんなことは言っていない」
「自分で作り出した小さな物語だ」
「仕事をしないと,生きていくことができなかった」

というようなことを言っていましたが,ここは「被害者家族の苦しみ」に通ずるところだと思います。

というか,ここはまさに「被害者家族の苦しみ」以外何ものでもないという気がします。

被害者家族となった後,加害者を殺すなどの罪を犯さず,生きていくためには,

銘苅の「自分の妻だったら」というような自分の愛する人の立場に立って,自分の生き方を考えなければ到底難しい。

つまり,「被害者家族の苦しみ」に「自分の信念を貫くことの・・・」は包括されるということになるかと思います。


しかし,とはいえ,

作品終盤の,松嶋菜々子演じる白石が藤原竜也演じる清丸に殺された場面で,

銘苅が清丸を殺さなかった事には驚きました。

そして,作品のラスト,その銘苅さえも清丸に刺された場面では

銘苅の「被害者家族の苦しみ」(「自分の信念を貫くことの・・・」を含む)の報われなさはもちろんですが

清丸の「性悪説的な問題」を考えざるを得ません。

その後の裁判のシーンで死刑を言い渡されたのにもかかわらず

「後悔,反省をしています。どうせ死ぬんなら,もっとやっておけばよかった」

という清丸の台詞は観客に「性悪説的な問題」を訴えかけているように感じました。



この映画を観た方といろいろ話がしたいなと思う今日この頃です。