『スプートニクの恋人』 本当の最後を記憶してますか? 健気にミュウ を愛する、そしてぼくが愛する「すみれ」が どうなってしまったか記憶してますか? 

 

ギリシャの地で、あの小さな島で消えたまま? 

 

村上春樹の紡ぐ物語世界は、いつも哀しく切ない。

 

わたしは 物語『スプートニクの恋人』の最後がこんな不思議なことになっていたなんて、まったく認識しておりませんでした。Please enjoy the last part of The Sputnik Sweetheart for each of sentences.

 

 

 

ぼくは今日もこの世界で子供たちに勉強を教えつづけ・・・・、そして 「すみれ」あのギリシャの地で、愛しいミュウを追いかけて隣の世界に行ってしまい お互い生きる世界が異なる永遠の別れとなった、と。

 

 

ところが先日、何とはなしに小説を読み返してみると、

ぼくの愛する「すみれ」から 僕に電話がかかってくる “希望のシーン?” があったのです。

 

あの懐かしい、ちょっと掠れた声で

 

ここまで帰ってくるのって大変だったんだから

 

 

泣きたくなるような その最後のシーンを抜粋してみます。皆さんなら、どう解釈しますか? 

 

ほんとに小説の最後のページです。

 

 

 

本文:

 ぼくは夜中の三時に目を覚まし、明かりをつけ、身を起こし、枕元の電話機を眺める。

 

電話ボックスの中で煙草に火をつけ、プッシュ・ボタンで僕の電話番号を押しているすみれの姿を想像する。

 

髪はくしゃくしゃで、サイズの大きすぎる男物のヘリンボーンのジャケットを着て、左右違った靴下をはいている。

 

 

彼女は顔をしかめ、ときどき煙にむせる。番号を正しく最後まで押すのに時間がかかる。でも彼女の頭の中にはぼくに話さなくてはならないことが詰まっている。朝までかかってもしゃべりきれないかもしれない。

 

たとえば、象徴と記号の違いについて。電話機は今にも鳴り出しそうに見える。でもそれが鳴ることはない。ぼくは横になったまま、沈黙を続ける電話機をいつまでも眺めている。

 

 

 

でもあるとき電話のベルが鳴りだす。ぼくの目の前で本当になり出したのだ。それは現実の世界の空気を震わせている。ぼくはすぐに受話器を取った。

 

「もしもし」

「ねえ帰ってきたのよ」とすみれは言った。

 

とてもクールに。とてもリアルに。いろいろと大変だったけど、それでもなんとか帰ってきた。ホメロスの『オデッセイ』を50字以内の短縮版にすればそうなるように。

 

「それはよかった」とぼくは言った。ぼくにはまだうまく信じられないのだ。彼女の声が聞こえることが。それが本当に起こったことが。

 

「それはよかった?」とすみれは(たぶん)顔をしかめて言った。

 

「何よ、それは? わたしがせっかく血のにじむような苦労して、いろんなものをいっぱい乗り継いでここまで―――いちいち説明してるとキリないんだけど―――戻ってきたというのに、あなたはその程度のことしか言えないの? 涙がでちゃうわ。よくなかったら、わたしの立場はいったいどうなるのよ? 『それはよかった』、信じられないわね、まったく。そんな心温まる、見事な機知に富んだ台詞は、鶴亀算がやっとわかるようになったあなたのクラスの子供のためにとっておけば」

 

「今どこにいる?」

 

「わたしが今どこにいるか? どこにいると思う? 昔懐かしい古典的な電話ボックスの中よ。インチキ金融会社とテレフョン・クラブのちらしがいっぱい貼り付けてある、ろくでもないまっ四角な電話ボックスの中。

 

空には黴たような色あいの半月が かかり床には煙草の吸殻が散乱している。ぐるぐる見まわしても、心温めてくれるようなものはどこにも見当たらない。

 

交換可能であくまで記号的な電話ボックス。さて、場所はどこだろう? 今はちょっとわからない。すべてはあまりにも記号的だし、それにあなたもよく知っているでしょう? わたしは、場所のことってほんとに苦手なのよ。口でうまく説明できないの。だからいつもタクシーの運転手に叱られるのよ。『あんた、いったいどこに行きたいんだよ?』って。でもそんなに遠くじゃないと思うな。たぶん、けっこう近くだと思うな。たぶん、けっこう近くだと思う

 

「迎えに行くよ」

 

「そうしてくれるとうれしいわね。場所をよく調べて、もう一度電話する。どうせ今はちょっと小銭も足りないし。待っててね」

 

「君にとても会いたかった」とぼくは言った。

「わたしもあなたにとても会いたかった」と彼女は言った。

 

「あなたと会わなくなってから、すごくよくわかったの。惑星が気をきかせてずらっと一列に並んでくれたみたいに明確にすらすらと理解できたの。

 

わたしにはあなたが本当に必要なんだって。

あなたは わたし自身であり、わたしは あなた自身なんだって。

 

ねえ、わたしはどこかで―――どこかわけのわからないところで―――何かの喉を切ったんだと思う。包丁を研いで、石の心 をもって。中国の門をつくるときのように、象徴的に、わたしの言うこと理解できる?

 

「できると思う」

「ここに迎えにきて」

 

 

そして、唐突に電話が切れた。

 

ぼくは受話器を手にしたまま、長いあいだ眺めている。受話器という物体そのものがひとつの重要なメッセージであるみたいに。その色や形に何か特別なメッセージがあるみたいに。それから思い直して、受話器を元に戻す。

 

ぼくはベッドの上に身を起こし、もう一度電話のベルが鳴るのを待ちつづける。壁にもたれ、目の前の空間の一点に焦点をあわせ、ゆっくりと音のない呼吸をつづける。

 

時間と時間の繋ぎ目を確認しつづける。ベルはなかなか鳴りださない。約束のない沈黙がいつまでも空間を満たしている。

 

しかしぼくは急がない。もうとくに急ぐ必要はないのだ。ぼくには準備ができている。

 

ぼくは、どこにでも行くことができる。

 

そうだね。

そのとおり。

 

ぼくはベッドを出る。日焼けした古いカーテンを引き、窓を開ける。そして首を突き出してまだ暗い空を見上げる。

 

そこには間違いなく 黴たような色あいの半月 が浮かんでいる。

 

これでいい。

 

ぼくらは同じ世界のおなじ月を見ている。ぼくらは確かにひとつの線で現実に繋がっている。ぼくは それを静かにたぐり寄せていけばいいのだ。

 

 

それから、ぼくは指をひろげ、両方の手のひらをじっと眺める。

 

ぼくはそこに血のあとを探す。でも血のあとはない。 血の匂いもなく、こわばりもない。それはもう たぶんどこかにすでに、静かにしみこんでしまったのだ。

 

 

 

 

[使用小説]

スプートニクの恋人 (講談社文庫 む 6-20) 文庫 – 2001/4/13

村上 春樹 (著)

 

 

『国境の南、太陽の西』と同じように、主人公の強い強い願望が・・・・・このようなシーンを作ったのかもしれない。

 

男は過去に生き、女性はいつだって未来を見据えます。

 

恐ろしいくらいに。

 

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