『ノルウェイの森』に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の とても小さな言葉を見つける。

 

 

村上の小説には、サリンジャーやフィッツジェラルド の小説での言葉、あるいは作品の雰囲気がさりげなく出てきます。

 

おそらく多くの方がその  ‘ちょっとしたフレイズ’  を記憶していると思います。

妙に心に残りますから。 以下に、その例を提示します紫色文字部

 

 

 

抽出部分:

 

『ノルウェイの森』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』共に、気がついてみれば 自分の周りには誰もいなくなっている、・・・・そんなシーンです。

 

 

キャッチャー・イン・ザ・ライ』では物語の最後、主人公 ホールデンの独白の場面。

 一方. 『ノルウェイの森』では長い物語の最終部分、直子、ハツミさん、レイコさん、そして最後は緑まで 自分のもとから消えてしまいそうな場面。

 

 

1.『キャッチャー・イン・ザ・ライ』から:

 

本文:

DB(ハリウッドで作家をしている、ホールデンのお兄さん)は ほかのみんなほど悪質じゃない。 でも僕にいっぱい質問をあびせかけるという点で同じようなもんだ。

 

・・・・・僕がどう考えているのかってね。どう答えればいいのか、ぜんぜんわからなかった。 ぶちまけた話この一連のできごとについて何をどう考えればいいのか僕だってつかみきれないんだよ。 この話をずいぶんあちこちでしたことを後悔している。 

 

僕にとりあえずわかっているのは、ここで話したすべての人のことが今では懐かしく思い出されるってことくらいだね。 たとえば ストラドレイターやら アックリーやら でさえね。

 

まったくの話、あのやくざな モーリス のやつでさえ懐かしく思えるくらいなんだ。 わからないものだよね。

 

だから君も他人にやたら打ち明け話なんかしない方がいいぜ。 そんなことをしたらたぶん君だって、誰彼かまわず懐かしく思い出しちゃったりするだろうからさ。

 

(物語の、この終わり方・・・・悪くないですよね)

 

 

2.『ノルウェイの森』からは、少し長めの抜粋です。

 

直子のことで僕の頭はいっぱい、心ここにあらず。僕は、緑の心に深い傷をつけてしまった。

 

 

緑は、別れ際に主人公に走り書きのメモを渡します。走り書きの最後には、

 

「この次教室で会っても話しかけないで下さい」とあった。

 

四月新学期、僕は大学に行き、西棟小講義室での「演劇史Ⅱ」の講義に出席します。

 

 

 

本文:

水曜日の講義で、僕は緑の姿を見かけた。彼女は よもぎみたいな色のセーターを着て夏によくかけていた濃い色のサングラスをかけていた。

そしていちばんうしろの席にすわって、前に一度見かけたことのある 眼鏡をかけた小柄な女の子 と二人で話をしていた。

 

 僕はそこに行って、あとで話がしたいんだけど と緑に言った。眼鏡をかけた女の子がまず僕を見て、それから緑が僕を見た。 緑の髪は以前に比べると確かにずいぶん女っぽいスタイルになっていた。いくぶん大人っぽく見えた。

 

「私、約束があるの」

 

と緑がすこし首をかしげるようにして言った。

 

緑はサングラスをとって目を細めた。

 

なんだか百メートルくらい向うの崩れかけた廃屋を眺めるときのような目つきだった。

 

「話したくないのよ。悪いけど」

 

眼鏡の女の子が、〈彼女話したくないんだって、悪いけど〉という目で僕を見た。

 

僕は一番前の右側の席に座って講義を聴き(テネシー・ウイリアムズの戯曲についての総論・そのアメリカ文学における位置)、講義が終わるとゆっくり三つ数えてからうしろを向いた。緑の姿はもう見えなかった。

 

四月は一人ぼっちで過ごすには淋しすぎる季節だった。

 

四月には まわりの人々はみんな幸せそうに見えた。人々はコートを脱ぎ捨て、明るい陽だまりの中でおしゃべりをしたり、キャッチボールをしたり、恋をしたりしていた。 

 

でも僕は完全な一人ぼっちだった。 直子も緑も永沢さんも、誰もがみんな僕の立っている場所から離れていってしまった。 そして今の僕には「おはよう」とか「こんにちは」を言う相手さえいないのだ。

 

あの突撃隊でさえ僕には懐かしかった。

 

僕は、そんなやるせない孤独の中で四月を送った。 何度か緑に話しかけてみたが、返ってくる返事はいつも同じだった。

 

今話したくないの、と彼女は言ったし、その口調から彼女が本気でそう言っていることがわかった。

 

 彼女はだいたいいつも例の眼鏡の女の子といたし、そうでないときは背の高くて髪の短い男と一緒にいた。やけに脚の長い男で、いつもバスケットボール・シューズをはいていた。

 

四月が終わり、五月がやってきたが、五月は四月よりもっとひどかった。五月になると僕は春の深まりの中で、自分の心が震え、揺れ始めるのを感じないわけにはいかなかった。

 

そんな震えはたいてい夕暮れの時刻にやってきた。木蓮の香りがほんのりと漂ってくるような淡い闇の中で、僕の心はわけもなく膨らみ、震え、揺れ、痛みに刺し抜かれた。

 

そんなとき僕はじっと目を閉じて、歯をくいしばった。そしてそれが通り過ぎていってしまうのを待った。

 

ゆっくりと長い時間をかけて それは通り過ぎ、あとに鈍い痛みを残していった。

 

 

           奥にも リーピング・ディア?

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使用書籍

1.キャッチャ-・イン・ザ・ライ 新書 – 2006/4/1

J.D. サリンジャー (著), J.D. Salinger (原名), 村上 春樹 (翻訳)

 

2.ノルウェイの森 (下)  (講談社文庫) ペーパーバック – 2004/9/15

村上 春樹 (著)