村上は、今日も元気に私たちの質問にきわめて真面目に答えてくれます。

笑えて ためになります・・・・たぶん。

 

 

 

「瀬古さんのナイスなご紹介」

 

質問:

私、名字が「村山」なんです。 結婚してわかったんですけど「村山」って「村上」としょっちゅう間違えられるんですよ。主人がネットで調べたら日本には「村山」より「村上」の方が多いそうです。いくら人数が多いからといっていつも間違えられると腹がたちます。

「村山」だけが、そんなに我慢しないといけないんでしょうか?

 

 

回答:

瀬古さんがまだS&Bの監督をしておられる頃、S&B陸上チームの合宿を宮古島(だっけな)まで見学・取材にいったことがあります。 

 

僕は神宮の周回コースで毎日顔をあわせているうちに、瀬古さんとわりに親しくなったので。 で、そこで瀬古さんが選手たちに、僕を朝礼で紹介してくれました。

 

「おまえらはどうせ本なんか読まないから、よく知らないだろうが、

この方は『ノルウェイの森』を書かれた、日本で最も有名な小説家の方だ。村山春樹 さんだ」

 

 

それを聞いて僕も「え、そうかな?」と首をかしげたいたんだけど、瀬古さんだけは自信たっぷりに にこにことしておられました。 

 

あの人って、見かけによらずナイスにおかしい人です。

 

 

 

 

「え、わたしが?」

 

質問:

去年、「子猫生まれたからあげるよ」と彼女がいうので猫を譲り受けることになったのですが、

 

渡されたのが親猫でした。

 

 

回答:

とてもおかしくて、読んでいて思わず笑ってしまいました。

 

親猫を渡されたあなたも驚いただろうけど、自分が渡されちゃった親猫もきっと驚いただろうな。 

 

「え、わたしが?」みたいな感じで。

 

「子猫が生まれてから、あんたはもういいよ」みたいなことになったのでしょうか。 

 

でも可愛がってあげてくださいね。

 

 

 

ちょっと休憩:

 

「神は細部に宿る」ってどういう意味?

ふと思い立ち、ネットで調べてみました。出てきた文章の ほぼ「Copy and Pasteです。

 

 

「神は細部に宿る」 とは 建築分野で有名な言葉。

 

「建築の真髄は細部に凝ることだ」

ここから転じて、

小説でも 「神は細部に宿る」という言葉が出てきた。

 

「細部に凝ることの重要性」を言っている。

 

作家とよばれる人は誰もが、全体像を書くのが非常に上手です。

しかし誰も見向きもしないような 「細部を書くことに長けている人」 は少ない。 

映像にせよ、文章にせよ、誰もがパッと見で全体を要約します。 だから全体像はどんな書き手であっても ある程度書けるのです。

 

しかし、細部を上手に、読者に

 

上手だと気づかれないほど 上手に書ける作家は極めて少ない?

 

 

昔、「座頭市」の映画で、

 

座頭市に右腕を切り落とされた ならず者が そのことに気が付かず もう存在していない腕で 相手に切りかかる・・・・という戦慄のシーンがありました。

 

 

 

 

 

「純文学か大衆文学か」

 

質問:

村上さんは、自分のことを純文学者だと思われますか? 大衆文学者だと思われますか? 

 

どれほど読者を意識しながら小説を書いていらっしゃるんですか?

 

 

回答:

僕は最初に「純文学」の雑誌の新人賞を受け、それからも「純文学」関係の賞をいくつか受けていますので、いちおう「純文学」フィールドにカテゴライズされていますが、最近はお互いに越境する作家たちが多く、

 

何が純文学で何が大衆文学(エンタメ系)か必然性がどんどん希薄になっています。

 

お互いに方法を交換し合うことも多くなってきているからです。たとえば純文学の作家がSFの手法を取り入れるとか、ミステリーの作家が「マジック・リアリズム」の手法をとり入れるとか。

 

 というわけで、僕が「これは純文学だ」と意識して小説を書いているかというと、特にそんなことはありません。でも心の底で

 

「これは娯楽小説ではない」という意識はいくらかあります。

 

 娯楽小説ではないというのは、言い換えれば、作者が読者に対してある種の、ある程度の努力を要求することだろうと僕は考えます。 言うなれば、咀嚼力を要求するということです。 

 

「ここから先は自分の歯で噛んでくださいね」ということです。

 

ときどきそのことで怒ったり、不満を寄せられたりする読者がいます。 

 

僕はそういうとき「申し訳ありませんが、こういうものなので」と言うしかありません。 

逆に、「もっとしっかり噛ませろ」と文句を言う読者もおります。 そういう時は僕も「申し訳ありませんが、こういうものなので」と言うしかありません。 

むずかしいものですね。

ということでよろしいでしょうか?

 

 

 

「ペンは剣よりも強い方がいいんでしょうか?」

 

質問:

村上さん、こんにちは。今日は風が冷たいですね。 でも福岡の空は青空です。実は、高校生のころから村上さんにお聞きたいことがありました。満を持して、お尋ねします。

 

「ペンは剣よりも強し」だと思いますか。

 

 

回答:

すごく正面切っての質問で、びびってしまいます。ペンは剣よりも強いか? そのとおりです。 ペンは剣よりも強いですよ、もちろん、と断言したいところですが、昨今なかなかそうとばかりは言えない部分が多いです。 テロもありますし、ネットの炎上みたいなこともあります。 ものを書くときにはじゅうぶん用心深くならなくてはなりません。 

 

僕は普段は、基本的にむしろ「ペンがあまり強くならないように」ということを意識して文章を書いています。 僕の書く文章ができるだけ人を傷つけることがないようにと思って、言葉を選ぶようにしています。 でもそれはとても難しいことで、

 

何を書いていても それによって傷ついたり、腹を立てたりする人が、多かれ少なかれ出てきます。

 

これはある程度しょうがないんです。でも、それにもかかわらず、できる限り、人を傷つけない文章を書くことを心がけなければならない。 これは文章を書く人間にとっての大事なモラルなのです。

 

 でも、それと同時に

 

いざ闘うべきだと思ったときには、闘えるだけの胆力(ぐっと腹に入れる力のことです)を蓄えておかなければなりません。

 

でもそれは本当にいざというときのためのものです。 みだりにペンを剣より強くしちゃうのは危険なことです。 と僕は個人的に考えています。 ほかの考え方をする人もいるでしょうが。  

 

 

 

 

「身近な人の死の受け止め方」

 

質問:

大抵の村上さんの著書でよく考えるのが死についてです。兄も父も、以前事故で亡くしました。

 

人が死ぬと、よくその人の分まで幸せに、せい一杯生きろと言われますけど、その人がいたことの幸せが失われた中でどう受け止めていいのかわかりません。

自分で見つけて自分で歩んでいくしかないと思うのですが、それはその人を忘れることになりそうで怖いです。 

 

人間ってエゴイストで残酷でそうするしかないのでしょうか?

 

 

回答:

とてもお気の毒です。親しい方を事故で亡くされると、自分という存在から何かが急激にもぎとられてしまったような気がします。

 

なかなかそれを受け入れることができません。気持ちの中に空洞ができてしまいます。僕にもそういう経験があります。

僕があなたにアドバイスできることはほとんど何もないのですが、もしあなたの中に空洞があるのなら、

 

その空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも大事な事ではないかと思います。 

 

無理にその空洞を埋める必要はないのではないかと。 これからあなたが自分の人生を生きていろんなことを体験し、素敵な音楽を聴いたり、優れた本を読んでいるうちに

 

その空洞は、少しずつ違う形をとっていくことになるかと思います。

 

人が生きていくのはそういうことなのだろうと、僕は考えているのですが。

 

 

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1年前の今日、わたしが upload したブログです。

 

1年前の今日あなたが書いた記事があります

「ランゲルハンス島の午後」本の厚さは薄いが内容は濃い。『女子高校生の遅刻について』は読ませます。

 

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1年前の今日、わたしが upload したブログです。

 

1年前の今日あなたが書いた記事があります

『村上朝日堂 はいほー!』: 日本中にあふれる標語について村上は、これって本当に意味あるの?

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おまけ:

bid(告げる), farewell(お別れ、good-byeの正式なやつ), state(公式;state visit,公式訪問。もちろんofficial visitでも最高にOKです。新聞の見出しなどに良く使われる単語が沢山あります)

 

 

使用書籍

村上さんのところ (新潮文庫) 文庫 – 2018/4/27

村上 春樹 (著)