村上の小説読んでいて、「この言い回し、いつかどこかで使えるんじゃない?」 と思うことありません? 実際には、どこにも使えないのですが。
誰かに使ってみたくなる言葉、誰かに教えたくなる言葉、素敵な決めゼリフ・・・・みたいな・・・・
村上春樹の『国境の南、太陽の西』からそんな場面をふたつ みっつ 提示してみます。
(以前のブログと多少重複してます)
● 石川県小松空港のロビーで 雪で遅れている航空機への搭乗を待っている時の、主人公と島本さんの会話。 島本さんが、途中気分が悪くなり主人公の助けでやっと空港に着いた。
僕はハンカチで彼女の口もとをぬぐった。島本さんはその僕のハンカチを手に取って、しばらくそれをじっと見ていた。
「あなたは誰にでもこんなに親切なの?」
「誰にでもじゃない」と僕は言った。
「君だからだよ。誰にでも親切にするわけじゃない。
誰にでも親切にするには僕の人生は限られすぎている。君ひとりに対して親切にするにも、僕の人生は限られているんだ。
もし限られていなかったら、僕はもっといろんなことを君にしてあげられると思う。でもそうじゃない」
島本さんは顔をこちらに向けて僕をじっと見た。
● 主人公が、有名私立幼稚園に通っている年長組の長女を迎えに行っての 女の子との会話。 幼稚園児のセリフ、そして主人公の内心。
「どうだい今日いちにち何か楽しいことあった?」と僕は娘に尋ねた。
彼女は大きく首を振った。
「楽しいことなんて何もなかった。ひどかった」※ と彼女は言った。
「まあお互いに大変だったな」と僕は言った。 それから身をかがめて彼女の額にキスした。
彼女は気取ったフランス料理店の支配人がアメリカン・イクスプレスのカードを受け取るときのような顔つきで僕のキスを受け入れた。
「でも明日はもっと楽になるよ、きっと」 と僕は言った。
僕だってできることならそう信じたかった。
明日の朝になって目がさめたら、世界はもっとすっきりとしたかたちを取っていて、いろんなことが今よりもっと楽になっているに違いないと。
でもそんな風にうまくはいかない。明日になっても、おそらく事態はもっとややこしくなっているだけだろうと僕は思った。問題は僕が恋をしていることなのだ。そして僕には このように妻がいて、娘がいるのだ。
※: わたしの、知り合いに幼稚園、年少組の子がいるので「最近 幼稚園どう? 楽しい?」と訊いてみたら。
「楽しくない、じゃっかん ひどい」と返ってきました。 ホントです。
村上さんって すごいですね。
● 主人公が経営するクラブ、『ロビンズ・ネスト』での島本さんとの会話。
彼女自身の信条みたいなことに関して。
「私は言い訳だけはしたくないのよ」と島本さんは言った。
「人間というのは一度言い訳を始めると、限りなく言い訳をしてしまうものだし、私はそういう生き方をしたくないの」
でもそういう生き方は、その時代の彼女のためにはうまく作用しなかった。
● クラブ『ロビンズ・ネスト』に姿を見せなくなった島本さんを偲んで。
何のために泣けばいいのかがわからなかった。誰のために泣けばいいのかがわからなかった。
他人のために泣くには僕はあまりにも身勝手な人間にすぎたし、自分のために泣くには もう年を取りすぎていた。
● クラブ『ロビンズ・ネスト』での島本さんとの会話。
「君を見ていると、ときどき遠い星を見ているような気がすることがある」と僕は言った。
「それはとても明るく見える。でもその光は何万年か前に送りだされた光なんだ。それはもう今では存在しない天体の光かもしれないんだ。でもそれはあるときには、どんなものよりリアルに見える」※
島本さんは黙っていた。
※: ここにいる島本さんも、実は存在してない・・・・・暗喩?
使用小説
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) 文庫 – 1995/10/4
村上 春樹 (著)