『趣味の音楽』 村上朝日堂の逆襲から。
村上春樹はいかにして音楽と共に生きてきたのか?
グレン・グールド の演奏作品の紹介もあります。
ときどき何かのアンケートで趣味はなんですかと質問されてすごく困ることがある。 まともに答えれば読書と音楽だけど、昨今は本も読まないし音楽も聴かないなんていう人はまずいないから、正確にはこれは趣味とも言えないような気がする。
面倒臭いので、そういうときには大体謙虚に―――でもないか―――「無趣味」と答えることにしている。
もっとも小説を書くようになってからは読書は仕事の一環となったわけだから、これはもう現実的に趣味とは呼べない。かろうじて音楽だけが趣味のフィールドに踏みとどまっているという有り様である。だから音楽だけは何とか趣味のままで残して仕事に持ち込むまいとがんばっているのだが、文筆を生業としながらある特定の分野を避けて通るというのはなかなか難しいことである。
僕の育った家庭には音楽を好んで聴くひとが他に一人もいなかったせいで、中学校に入って本格的に音楽を聴き始めたとき、僕はだれの指導やアドバイスも受けることができなかった。今とは違って親切なガイドブックなんかも全然ない。だからとにかく小遣いを貯めて盲滅法にレコードを買い、納得のいくまで聴き込むしかなかった。
その頃買ったレコードを今見てみるとずいぶんとりとめのないとりとめのない集め方をしているなあと我ながらあきれてしまうのだが、当時はそんなことはわからないから、バーゲンで安くなったレコードを買い漁っては盤面が擦り切れるまで聴きまくっていたものである。若い頃に聴いた演奏というのは一生耳に焼きつくものだし、おまけに数少ないレコードを何度も何度も繰り返しかけていたものだから、その頃買ったレコードは今では僕にとっては一種のスタンダードと化してしまった。
たとえば、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲の三番は グレン・グールド※ でずっと聴いていたから「三番」といえばグールドの演奏がぱっと頭に浮かんでくるし、
「四番」といえばバックハウスの演奏が浮かんでくる。
※:ベートーヴェンのピアノ協奏曲の三番のグレン・グールドは確かに素晴らしいですが、二番も鮮烈な演奏だと思います。一聴の価値があります。
2番;
グレン・グールド:特に、第3楽章はベートーヴェンが凄い?
https://www.youtube.com/watch?v=n1G-dJswzX8&t=199s
マルタ・アルゲリッチ
https://www.youtube.com/watch?v=t_5FQh2bXo8
3番;
グレン・グールド
https://www.youtube.com/watch?v=Tzgs16RrHw0&t=259s
バックハウス
https://www.youtube.com/watch?v=i5fclxZ42Ss
内田光子
https://www.youtube.com/watch?v=3SC5PXLxI8c
ずっと後になってバックハウスの演奏する三番とグールドの演奏する四番も買ったのだが、そういうのを聴いていると―――演奏はもちろん悪くないのだが―――どうも落ち着きが悪く感じられる。耳が「三番はアグレッシヴに 四番は正統的」という演奏規準を頭の中にどんどん据えてしまっているからである。
モーツァルトの弦楽四重奏曲の一五番と十七番にしてもそうで、この場合も十五番はジュリアード弦楽四重奏団で、十七番はウイーン・コンツェルト・ハウス弦楽四重奏団でという驚異的なカップリングである。
お聴きになるとわかると思うが、この二つの演奏団おおよそ考えられるかぎり対極に位置している。ジュリアードは厳しく硬質で、後者はやさしく温かい。
そんなわけで僕は「十五番というのは厳しく硬質な曲で、十七番というのは優しくあたたかい曲なのだ。モーツァルトという人はさすがに多面性を有した人だったのだなあ」 と長いあいだ思い込んでいたくらいである。二十歳をすぎて別のレコードで十五番を聴いて天地がひっくり返るような思いをした覚えがあるが、今でも十五番を聴きたいなと思ったときにはついジュリアードのレコード(もちろん買い直した新しいもの)に手がのびてしまう。不思議なものである。
こういう例はいちいちあげていくと切がない。
ひとえにバーゲン・レコードを無系統に買い漁った結果であるわけだが、今になってみるとその無系統なでこぼこさが音楽を聴く面白さをかえって際立たせてくれているような気がする。
変な風に好みが片寄らなかったのは、アドバイスをしてくれる人がいなかったからと言えなくもない。
僕はだいたいがこんな風に回り道をしながら、好きなやりかたでゴリゴリと押していく性格で、何かに辿りつくまでに時間がかかるし、失敗も数多くする。しかし、一度それが身に付いてしまうと、ちょっとやそっとでは揺るがない。
これは別に自慢して言っているわけではない。こういう性格は、往々にして他人を傷つけるし、自分でそのスタイルを矯正しようとしても、なかなかうまくいかないものである。他人に何かを勧められてもだいたい聞き流すし、他人に何かを真剣に勧めるということもあまりない。
しかし、こんな風に生きて来たもんだから、今更仕方ないよなと思う。
それはまあさておき、一般の人間の音楽に対する感受性というのは、二十歳を境としてどんどん弱まっていく気がする。 もちろん理解力や解析能力は訓練次第で高められるものだが、
十代の頃に感じた骨までしみとおるような感動というのは二度と戻ってこない。
流行りの歌も耳にうるさくなり、昔の歌はよかったなあと思うようになる。僕のまわりの昔のロック・マニア青年たちもだんだん「今のロックなんて あんなちゃっちなもの聴く気しないよ」というようになってきた。
その気持ちはわかるけど、しかしそんな繰り言ばかりいっていても仕方ないので、僕はわりに素直にかつこまめに全米ヒット・チャートなんかに耳を傾け、耳の老化を防ぐようにしている。カルチュア・クラブとデュラン・デュランはあまり好きじゃないけど、ワム!のあのノー天気さは比較的気に入っている今日この頃であります。
使用書籍
村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫) 文庫 – 1989/10/25