長嶋語録『いわゆるミート・グッドバイ』について。
去年のことだけど、スカッシュをしていて肉離れをおこした。
フロントの壁に落とされたボールを突っ込むようなかっこうで取に行ったら、ふくらはぎにボールがこんと当たったような感覚があり、「変だな、ボールは前にあるのに」と思ったときにはもう手遅れ。おかげでひと夏、ろくに運動ができずに終わった。
聞いたところによれば、元巨人軍の長嶋茂雄氏は肉離れのことを「ミート・グッドバイ」と呼んだという。 ほんとかなあ、いくらなんでもそこまで・・・・・とは思うんだけど、ひょっとしたら本当かもしれない。たとえ本当でないとしても、まあいいじゃないですか。僕らはみんな、何か生きる よすがになるような、明るい前向きの神話を必要としているのだから。
長嶋茂雄氏にはほかにもいくつか名言がある。僕はいかなる意味合いにおいても巨人軍のファンではないので、特に長嶋さんに思い入れはないのだが、それでも
この人のキャラクターには何か突出したものがあるという主張に対して、なんら異議を唱えるものではない。
たとえば、この人は監督時代にインタビューで、
「私は選手を信頼していますが、信用はしていません」※
※:I believe player, but not trust him. という英文を思いつくのですが、何かが微妙に違うかもしれません(語呂、音の雰囲気は悪くない?)。 よく英文を、友人の外国人(英語圏) に訊いてみた、という方がおりますがそれでは不足のことが多いです。自分の、日本語のことを考えてみれば、理由はすぐに理解できます。
と言った。そのときは「またよくわけのわからないことを言ってるな」と思ったくらいだったが、時を経て自分がそれなりの立場にたってみると、そのニュアンスが実感として理解できるようになった。
まわりの人を基本的に信頼しなければ、物事は前に進んでいかないが、かといって信用しすぎては、お互いのためにならない場合がある。
「信頼すれども信用せず」
名言ですね。
ジョン・アーヴィングの小説『未亡人の一年』には、テッド・コールという児童文学作家が登場する。彼は本業はそっちのけでスカッシュに打ち込み、ロング・アイランドの自宅の納屋をスカッシュ・コートに改造している。ただし、天井が普通のコートより低く、自作だから壁にもいろいろと微妙な癖がある。そういう「マイ・コート」の有利さを活用した彼の技能には、ほとんど誰も歯がたたない。娘のルース(この小説の主人公)は小さい頃から、なんとか父親をうち破ろうと練習に励むのだが・・・・・。
日本の住宅事情からすると、スカッシュ・コートを自宅に造るというのはほとんど不可能だろう。うちにもありません。言うまでもなく。
でもふと思うんだけど、自前のスカッシュ・コートを持つというのも楽しいことばかりでないかもしれない。
真夜中に目覚めてそのまま眠ることができず、そんなとき無人の真っ暗なスカッシュ・コートが すぐそこにひっそりとたたずんでいる のだと思うと、その孤独さに胸がひしひしと締め付けられるのではあるまいか。
そのまま朝まで眠れなくなってしまうような気もする。この『未亡人の一年』という物語も、そういう寂寥感がひとつのテーマになっている。
人を信頼しながら信用しきれない人生というのも、ときとして孤独なものだ。
そういう微妙なすきま、乖離のようなものが痛みをもたらし、僕らを眠らせない夜もあるだろう。でも「大丈夫、こんなのただの ミート・グッドバイ じゃないか」とか思えば、ひょっとして明るく耐えていけるかもしれないですね。
!(^^)! 今週の村上: 救急車 ※ に乗った事ありますか? 僕は四回あります。アメリカで乗った時はけっこうな料金をとられた。
※: 救急車(ambulance:アンビュランス)
わたしも、何度か乗ったことがあります。もちろん日本でですけど。乗り心地は非常に悪いです。 付添いの人も脇に座れますけど、腰に悪い。ホントに。 寝ていても座っていても・・・・。理由があって(時に、F1なみのスピードを出す必要があるため?)、あんな硬いサスペンション・ダンパーにしているのだと想像しますが・・・・。あるいは、乗り心地良くしての救急車のリピーターの産出を恐れて?
ところで、消防車って英語でなんというの?
fire engine 、とか fire truck です。
ついでに[長嶋英語ミート・グッドバイの参考英語例]を少しだけ。
肉離れになりました。
肉離れをしたかもしれない。
Maybe I had my muscle torn(引き裂く).
「信頼と信用」
Reliance and Trust(?;これは自作の参考例)
使用書籍
村上ラヂオ2: おおきなかぶ、むずかしいアボカド (新潮文庫) 文庫 – 2013/11/28