『哲学としてのオン・ザ・ロック』:「ランゲルハンス島の午後」から。

 

 

現在は、バーは別でしょうが、レストランでも、もちろんファミリー・レストランでも目の前で大きめの氷の塊りから、アイスピックを使って種々の大きさの氷のミックスをつくってくれることはめったにない。昔アルバイトでアイスピックを使って氷を砕きましたが、その際、掌の上で氷を砕く場合にはアイスピックの下の方を握るというのは教えられました。掌を突き刺してしまう人が結構いるそうです。また、類似ですが鉈(ナタ)で枝掃いをさせると、勢い余って、自分の足まで掃うことがあります。わたしも勢い余り、ナタが足にザクッと入り血だらけなり入院したことがあります。

 

ところで、北野武の映画では、(予想されることですが)彼が を握っていると、ほぼ予想通りの事が起こります。ただ、きわめて唐突に起こるため恐ろしさとともに、ある種、美しささえ感じます・・・・。 最近、類似の演出手法がTVなどでも見られますが・・・・何かが違うんです。 

 

本文:

僕は学生時代かなり勉強が嫌いで、したがって成績もあまりぱっとしなかった方なのだけれど、それでも「英文和訳」の参考書を読むのだけは例外的に好きだった。

 

「英文和訳」の参考書のどこが面白いのかというと、そこに例文がいっぱい載っているからである。この例文をひとつひとつ読んだり覚えたりしているだけでけっこう飽きない。そんなことを続けているうちにいつのまにか、ごく自然に英語の本が読めるようになってしまった。学校の英語教育にケチをつけるわけではないのだけれど、前置詞だとか動詞変化なんてどれだけ正確に詰め込まれても本は読めない。

 

その頃に覚えた例文は今でもいくつか覚えている。たとえば、サマセット・モーム

 

「どんな髭剃りにも哲学がある」

 

という言葉もそのひとつである。その前後にわりに長く文章がついていたのだが、そちらの方は忘れてしまった。要するに、どんな些細なことでも毎日つづけていれば、そこにおのずから哲学は生まれるという趣旨の文章である。女の人向けに言うと、

 

「どんな口紅にも哲学がある」ということになる。

 

確かに、髭剃りにも、口紅にも哲学がありそうですね。

 

僕は高校時代にこのモームの文章を読んで「うーむ、人生とはそういうものか」とかなり素直に感心してしまった。

 

それで大人になってバーのカウンターで働いていた間も、

 

「どんなオン・ザ・ロックにも哲学はあるのだ」

 

と思いながら八年間毎日オン・ザ・ロックをつくっていた。

 

さて オン・ザ・ロックには本当に哲学があるのか というと、これは間違いなくある。もちろん世の中には美味しいオン・ザ・ロックと美味しくないオン・ザ・ロックがあるわけだろうが、美味しいほうのオン・ザ・ロックには確実に哲学がある。

 

オン・ザ・ロックなんて、氷の上にウィスキーを注ぐだけのことじゃないか、

 

 

 

と思われるかもしれないけれど、氷の割り方ひとつでオン・ザ・ロックの品位や味は がらりと変わってしまうのである。

 

氷だって、大きい氷と小さい氷とでは溶け方が違う。大きい氷だけを使うとごつごつして不恰好だし、かといって小さい氷が多いとすぐに水っぽくなってしまう。だから大小の氷をうまく組み合わせて、そこにウィスキーを注ぐ。

 

するとグラスの中でウィスキーがするりと小さな琥珀色の渦を巻くのである。ただし、ここに辿りつくまでには長い歳月がかかる。

 

 

そういうふうにして身に付いた小さな哲学というのは小さいなりに後になって結構役に立つような気がする。

 

 

 

使用書籍

ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫) 文庫 – 1990/10/29

村上 春樹 (著), 安西 水丸 (著)