『遠くまで旅する部屋』 この中で村上は、小説の書き方を述べております。

「雑文集」より。

 

 

村上は、いろいろな所で自分の「小説作法」を述べて(書いて)おります。ある意味、彼ほど自分の小説手技・手法、あるいはもっと本質的に、村上にとって「小説とは何か?」について明示している作家はいないかもしれません。

 

村上以外の作家が「自分の小説作法」みたいなことを言っても、ほとんど興味はないのですけど。

 

 

本文:

小説を書くということは、つまり物語を作るということであると考えています。

 

物語を作るというのは、自分の部屋を作ることに似ています。部屋をこしらえて、そこに人を呼び、座り心地のいい椅子に座らせ、おいしい飲み物を出し、その場所を相手にすっかり気に入らせてしまう。

 

そこがまるで自分だけのために用意された場所であるように、相手に感じさせてしまう。

 

それが優れた正しい物語のありかただと考えます。たとえそれがものすごく立派で豪華な部屋であっても、

 

相手が落ち着いて馴染んでくれなければ、それは

 

正しい部屋=物語

 

とは言えないでしょう。

 

 

というと、まるでこちらが一方的にサービスをしているみたいに聞こえるかもしれないけれど必ずしもそういうわけではありません。

 

相手がその部屋を気に入り、それを自然に受け入れることで、僕自身も救われることになります。

 

 

相手の居心地の良さを、自分自身のものとして感じることができます。なぜなら、僕とその相手とは、部屋という媒介を通して、何かを共有することができたからです。共有するということは、つまり

 

物事を分かち合うということです。 力を互いに与え合うことです。

それが僕にとっての物語の意味であり、小説を書くことの意味です。

 

分かりあい、理解しあうこと。そのような認識は小説というものを書き始めて以来、この二十年以上のあいだまったく変わりません。

 

僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは

 

「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。

 

そして、もし運よくそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。

 

にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなければならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」

 

ということです。

 

これは―――僕は思うのですが―――世界中どこだって基本的には同じことです。日本だって、中国だって、アメリカだって、アルゼンチンだって、・・・・どこにいたところで、

 

僕らが生きていることの原理はそんなに変わりはしない。

 

だからこそ我々は場所や人種や言葉の違いを越えて、物語を―――もちろんその物語がうまく書けていればということですが―――同じような気持ちで共有することができるわけです。

 

言いかえれば、僕の部屋は僕のいる場所を離れて、遠くまで旅することができるわけです。それは疑いの余地なく素晴らしいことです。

 

 

そしてある日、僕は小説を書こうと思いました。

 

どうしてそんなことを思いついたのかうまく思い出せません。でもとにかく書いてみようと思ったのです。それで文房具屋に行って万年筆と原稿用紙を買ってきました(このときは万年筆も持っていなかった)。 夜遅く仕事が終わってから、一人で台所のテーブルに座って小説(のようなもの)を書きました。一人で、馴れない手つきで、この僕自身の「部屋」を少しづつこしらえていったわけです。僕はその時偉大な小説を書くつもりはありませんでした。ただ、自分にとって落ち着ける、居心地の良い場所をそこに作りあげたかったのです。自分を救うために。 そしてそれが他の人々にとっても落ち着ける、居心地の良い場所になればいいと思いました。

 

そのようにして僕は 『風の歌に聴け』という短い小説を書きました。そして、小説家になりました。

 

今でもときどき、とても不思議に思います。どうして小説家になってしまったんだろう、と。 僕はいつかは小説家にならなくてはならなかったんだろうという気もしますし、なんだかなりゆきのまま、たまたま小説家になってしまったという気もします。

 

始めから小説家としての資質が備わっていたんだ、という気もしますし、

そんなものは特になくて、

自分で あとからこつこつと作ってきたんだという気もします。

 

でも別にどちらでも構いません。それは、正直言って、たいした問題ではないのです。僕にとって一番大事なことは、自分が今も小説を書き続けているし、これからもたぶんずっと書き続けていくだろうという事実です。

 

僕はたまたま日本人で、五十を過ぎた中年の男性ですが、それもたいした問題でもないような気がします。

 

物語という部屋の中で僕はなにものにもなれるし、それはあなたも同じです。

 

それが物語の力であり、小説の力です。

あなたがどこに住んでいて、何をしていてもそんなことは大した問題ではありません。

 

あなたが誰であれ、この部屋の中でくつろいで この物語を楽しんでいただけたとしたら、何かを分かちあえたとしたら、僕は何よりも嬉しく思います。

 

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昨年の今日、わたしが upload した内容です。

 

1年前の今日あなたが書いた記事があります

村上朝日堂:90篇のエッセイのクオリティーの高さを味わってみて下さい。

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使用書籍

村上春樹 雑文集 (新潮文庫) 文庫 – 2015/10/28

村上 春樹 (著)