「恐れることはない」から、「読むだけ時間の無駄な本」まで。 村上さんに質問?!

 

大事な質問ばかりです。 質問に まじめに答えていると絶対に人間がでてしまいます。

 

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「恐れることはない」

質問:

先日、小学生がマンションから投げ落とされるという痛ましい事件がありましたね。自分がその落とされた小学生だと思うと・・・・。人間の一生ってなんなのかって思います。

 

落とした男にも家庭があって、普段は普通に暮らす近所でも評判の良い男だったそうですが・・・・。人間の二面性、心の闇って誰しも持っているものなのでしょうか。

村上さんは、こういう酷い事件を知ったときにどう感じるのですか? 村上さんの小説には心の闇というか、そういうものを抱えた登場人物がよく登場するので、このような、まさに「事実は小説より奇なり」 というような事件に対してどのような距離で接するのか知りたいと思いました。

この事件とは関係ないですが、僕の頭の中を「納屋を焼く」がよぎりました。重い話題ですいません。

 

※:「事実は小説より奇なり」、英語では「Fact is stranger than fiction」

 

むかし、NHKのクイズ番組(1956年:昭和31年で司会者(高橋圭三さん)が開会の言葉として言っておりました。「事実は小説より奇なりと申しまして、世の中にはほんとに不思議な事や・・・・」で有名です。

ところで、「Fact is stranger than fiction」は英語の教科書『ニュー・プリンス・リーダース』「This is a pen」を別にして、わたしが ほとんど初めて覚えた英語のフレーズです。

 

 

回答:

とてもいやな事件でしたね。

これは前から一貫して言っていることですが、すべての人間は基本的に病んでいると、僕は考えています。ですから、病んでいること自体は、それほど大きな問題ではないのです。

 

問題は、そのような自分の病を法律的にも、倫理的にも、個人的にも、どこまでうまく安全な枠内に留めておけるか、ということです。

 

僕らはそのような個々の問題を、「物語」という沼にひっそりと沈めていくことができます。僕はそのような沼のありようを小説という形にして、みなさんの前に提出したいのです。

 

僕自身もそこに何かを沈めてることができるし、みなさんもそこに何かを沈めることができる―――そういう沼です。

 

それも僕が小説を書き続けている理由のひとつです。

 

というと、人生ってなんか恐ろしそうですね。

でもほんとは、そんなに怖くはありません。僕らはその沼(池と言ってもいいし、井戸と言ってもいいかもしれません)をこうして共有しています。そして僕らは少しでもまともにこの人生を生きたいと願っています。そうですよね? 

 

だから恐れることはありません。共有することが大事なのです。そして願うことが大事なのです。がんばりましょう。

 

 

 

 

「教師のイメージ」

質問:

私は中学校の教師をしているのですが、村上さんのエッセイを拝見していると、村上さんは教師というものにあまりよいイメージを持たれていないのでは、と思われます。私自身、大学の卒論で村上さんの作家論を書きたい、と言ったら「存命中のちょっとねえ・・・・。まあ、マイナス10点からスタートしましょう」と言われ、それに対する反発心と意地で卒論を書いた覚えがあります(結果は78点でした)。ですから今でも生徒に対して先入観を持ったり、権威をかざすことのないように心がけるつもりです。

 

村上さんも学生に教えるという経験をされ、教師という職業に対する見方に変化はありましたか? それと、やはり村上さんは教師とのよい出会いはなかったのでしょうか?

 

 

 

回答:

僕の両親は教師だったので、反発みたいなこともあり、正直なところ僕は教師という職業に対してずっとあまり良くないイメージを抱いておりましたでも、実際にアメリカの大学で何学期か教えてみて、

 

教えるというのもずいぶん豊かな可能性を含んだ行為なのだなあと実感しました。以外に僕も先生に向いているのかもしれませんね。

 

でも今でも身にしみて思うのですが、世の中で、つまらない教師につくくらい不幸なことはありません。僕はそういう経験をこれまでに、ずいぶんたくさんしてきました。思い出しても寒気がします。でも、良い先生に巡り合ったことも何度かはありました。

 

でも残念ながら、

 

素晴らしい教師よりは、つまらない教師の方がずっと多かったです

 

よい先生がたくさんいる世の中になるといいですね。

あなたが素晴らしい先生になってくれることを祈っています。

 

*:考えてみれば、良い先生って本当に少ない、どうして?  仮に小・中学生の時に良い先生に出会っていれば、その 幸運 だけで人生の最初の1/3は乗り切れます。・・・・これは、私の確信です。

 

 

 

 

「才能とは?」

質問:

一つだけ、お伺いしたいことがありましたのでメールしてみました。春樹さんは、人間は誰しも、キラリと光る「才能」を一つ持っていると思いますか? 私は今、何もない自分がとても嫌で、「才能」を探しているのですが見つからずに悩んでいます。

 

 

回答:

それは僕にもよくわかりません。僕はとくに自分に才能があるとも思わなかったんだけど、こうして27年くらい第一線で小説家としてやっているんだから、たぶんそれなりの才能はあったんでしょうね。よくわからないけど。そして、そんなに興味ないけれど。

 

でも才能について、そんなに真剣に考えることもないんじゃないでしょうか? 才能の有無よりも大事なことは他にたくさんあるような気がします。才能というのは、もともとあるないよりも、いろいろな事の結果として表れてくるものではないかという気がします。自信はありませんが。

 

それにですね、もしあなたにシューベルトとかミケランジェロみたいな才能があったとしたら、それはもうとっくに溢れ出てきているはずです。それが溢れでてないということは、それほどの巨大な才能はあなたにはないということです。 巨大な才能じゃなかったら、別にあってもなくてもいいじゃないですか。僕はそう思います。もっとおおらかにものを考えましょう。

 

 

 

 

「**航空に勤務しています。」

質問:

フォーラムの中で“**新聞のやつと**航空のやつにヒドい目にあわされた、そういうことはいつまでも覚えているものだ”、とおっしゃっていましたが、**航空とは私の勤務先あると思われます(違う方へのお返事の中でも、できれば避けたい日系エアラインがあるとおっしゃっていたので)

 つきまして、お願いがあります。その「できれば避けたい・・・・」という理由について、幾つかでかまいませんので教えていただけませんでしょうか。

 そういう事を聞いてくる事自体が避けたい理由、そんなことを聞いてどうする? そんな事思い出したくない! と、言われそうですが・・・・・。

 

 

回答:

すみません。なんか余計なことを書いてしまったような気がしていました。あまり気にしないでください。何があったにせよ(ここで明らかにするつもりはありませんが)、決してあなたのせいではありません。

 

ただ、どこかのアメリカの新聞で前に読んだんですが、消費者がある特定の企業をはっきり嫌う理由としては、「製品やサービス自体に問題がある」というよりは、むしろ「そこの会社の特定のやつにすごく不快な思いをさせられた経験がある」ということのほうが多いんだそうです。

 

個人的な不快感というのは、理屈をこえて、その相手が属する企業にまで及ぶんだそうです。たとえば、M銀行の窓口ですごく不快な思いをしたので、預金をそっくりN銀行に移してしまう、みたいな。

 

いや僕も、その**航空にまったく乗らないってわけじゃないんです。自分では切符を買うことはないなあ、という程度のものです。ほんとうに気にしないでください。そういえばあるときエイヴィス・レンタカーに対して頭にくることがあって、しばらく個人的にボイコットしていましたが、今ではそんなことはころっと忘れて、エイヴィス・カードまで持っています。というのも、エイヴィスのカウンターのすごく親切なおじさん(アメリカ人)とたまたま仲良くなったからです。そういうこともあります。

 

 

※:村上は、この航空会社のことを、そして 今はないM銀行のことを何度か記述しております。人間は、一度でも酷い目にあうとそのことを忘れられないことがあります。

以前にここで書いたかもしれませんが、わたしも海外から日本に帰ってくるとき「全日空」の便だと、ほんとうにくつろげるのですが、「**航空」だとそうではないのですよね。CAさんの空気感が違いました。 現在は、そんなことはないと思いますが。先日の滑走路での衝突煙焼時、CAさん各々の判断手順すばらしかった。

 

 

 

 

「ゼラニウムのこと」

質問:

春樹さんの本で一番気にかかることがゼラニウムです。どの本で読んだのか忘れてしまいましたが(『ノルウェイの森』?)当時高校生の私はゼラニウムってどんなハーブなのかと気になっていました。

なぜその小説に使われた観葉植物がゼラニウムだったのか? 他の物、たとえばポピュラーなポトスでもよかったのか? たまたま浮かんだだけでしょうか? 村上さんの小説を読むまでゼラニウムを知らなかったためにより記憶に残る植物の名前です。

 

 

回答:

そうですか。僕はゼラニウムってわりにポピュラーな植物だと思っていたんですが、そんなでもなかったのかなあ。僕は実は園芸にかなり疎い人間なので、そのあたりのことはよくわかりません。しかし、何はともあれ、ゼラニウムに関心を持っていただけたようで、それは良かったです。ゼラニウムになり変わってお礼を申しあげます。

 

そのうちに「ゼラニウムの恩返し」みたいなことがあって、僕も何かいい目にあうかもしれませんね。夜中にゼラニウムの精みたいな人がやってきて、鉛筆をきれいに削っておいてくれるかとか、消しゴムの かす を片付けておいてくれるとか。

 

 

*:だからどうした、と言われそうですが、『赤毛のアン』にもゼラニウムの花が出てきます。マリラが、適当に水をやっているんだと想像しながら読んでおります。ちょっと匂いに癖がありますよね。虫よけ(たぶん、蚊?)効果があるそうです。

 

アンが「この花、二階に持って行っても良い?」とマリラに聞くシーンがあります。

マリラの答え? 「ちらかるから 止めておくれ!」

 

 

ただ、ゼラニウムって本当に丈夫な花で、地味ですが通年(冬も)花を咲かせる ありがたい花ですね。 

 

 

 

 

「マラソンの不思議」

質問:

私は女子マラソンの中継をよく見ます。すれも最初から最後までずっと見ています。・・・・女子マラソンだけは全部見てしまいます。

ここであえて「女子」マラソンとしたのは、「男子」マラソンではでは残念ながら感動しないのです(ごめんなさい)。選手たちは皆苦しそうに見えます。眉間にシワを寄せたりしえ、本当は走るのがつらいのではないかと思えてしまうのです。

 

 

回答:

僕の知る限りにおいてということですが、これくらい熱心にマラソン・レースのテレビ中継をして、これくらい熱心に多くの人がそれを見るという国は、日本以外にはまずないような気がします。

 

普通の国では、まずそんなことってないです。オリンピックのマラソンだって、外国いる場合、テレビでは中継していないから見られなかったということが経験的に多いです。

 

 たとえば、ボストン・マラソンはボストンのローカル局では完全中継しますし、シカゴ・マラソンはシカゴのローカル局では完全中継をしているはずです(たぶん)。でもそういう場合じゃない限り、テレビのマラソン中継なんてありません。

 

二時間半もそんな番組をじっと見ている人はまずいないから。

 

そう考えてみると、日本人ってほんとうにマラソンが好きなんですね。国民的メンタリティーというか、文化風土がマラソンにあっているのかもしれません。

 

もっと不思議なのは箱根駅伝です。正月からテレビの前に座り込んで、二日がかりで学生の長距離リレーをじっと見ている人が世の中にたくさんいるということが、僕にはけっこうな驚きです。まあ、悪いことではないし、誰に迷惑をかけるわけではないので、いいといえばいいんだけど、ちょっと不思議です。

 

 

わたしは、マラソン中継で、「日本人一位!」と、本当の一位の外国の選手よりも注目しているのをテレビで目撃し、ほとんど卒倒(もちろんウソですが)でした。

映像も(ほとんど)日本人選手(たち)のみ、一位の外国の選手は、とっくの前に通過している 何かの代表選考にしても、・・・・・それはないんじゃない! たぶん小笠原流礼法にも反します。もうすぐ3月3日 雛祭り。「左進右退」意味、むかし千葉先生から習いました。

 

 

最近のマラソン競技をみていると、いつも「サラブレッドの競馬」と北海道のばんえい競馬」を思い出してしまいます。 お互いに努力でなんとかなるのかな?

 

ごっつい ばんえいの馬 が出てきて、地響きをたてて とんでもなく速かったら爽快・豪快でしょうけどね。

 

 

 

 

「読むだけ時間の無駄な本」

質問:

村上さん、ある作家の批評とか、読んでもあまり意味のない本が、この世に存在すると思いますか?

 

私はどんなにつまらない本でも、くだらなくても下品でも暴力的でも、読んでみて意味のない本なんてこの世にないと思います。くだらない本を読む時間は無駄だとか、そう言われると非常に悲しくなります。個人的に村上さんはどう思われますか?

 

 

 

回答:

正直な意見を言わせていただければ、世の中にはくだらない本、読むだけ時間の無駄という本がたくさんあると思います。

 

ある人々にとっては僕の本が「読むだけ時間の無駄」な本になるでしょう

 

でも人間には、少なくとも成長の過程においては、「読むだけ時間の無駄」というような本を読むことも必要なのです。

その作業には

 

「読むだけ時間の無駄という本を時間をかけて読んだ」

 

という意味があります。

 

皮肉ではなくて、本当にそう思います。

人生には無駄なことって必要なんです。

 

無駄のないことばかりしていたら、人間の心はやせ細っていきます。僕だってこれまで、読むだけ時間の無駄という本をたくさん読んできました。

 

だからこそ、優れた本の価値というのもわかってくるわけです。

 

だから、人が何を言おうと、気にすることはありません。あなたが読みたい本を読めばいいのです。僕はそう思います。頑張ってください。

 

 

※:去年の今日、投稿した記事です。

1年前の今日あなたが書いた記事があります

村上の短編集「神の子供たちはみな踊る」の巻頭におかれている『UFO釧路に降りる』について。

 

 

 

使用書籍

「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問 (アサヒオリジナル) ムック – 2006/11/1

村上 春樹 (著), 安西 水丸 (イラスト)