『ノルウェイの森』再訪、Norwegian Wood Revisited

 

 

ノルウェイの森と短編小説『めくらやなぎと、眠る女』との深い(浅い?)関連。

 

 

昨日久しぶりに『ノルウェイの森』上巻を、パラパラとページを繰りながら再読していたら、あるページに黒の太字ボールペンでの汚い書き込みがあった。

 

【わたしは、文庫本のいたるところに書き込みをしたり、傍線を引いたり、ページの端を斜めに折ったりするのが大好きで、汚くなるとその本を廃棄し、アマゾンで再購入(もちろん中古の一番安いやつ)をする】

 

その書き込みには 汚い字 でこう書いてあった。

 

短ペン、めら柳女】

 

その部分を以下に抜粋してみます。文庫本『ノルウェイの森』上巻、赤い方です。

主人公(ワタナベ君)が京都の山奥の療養所に入院している、直子を訪ねてのシーンです。

(直子とキズキ そしてワタナベ君の三人、 高校2年生の時、青春のエピソードを思い出して)

 

 

ページ269, 5行目

 

「さっき一人でいるときにね、急にいろんな昔のことを思い出してたんだ」と僕は言った。

昔キズキと二人で君を見舞いに行ったときのことを覚えてる? 海岸の病院に。高校二年生の夏だったっけな」

 

「胸の手術したときのことね」と直子はにっこり笑って言った。 

「よく覚えているわよ。あなたとキズキ君がバイクに乗って来てくれたのよね。 ぐしゃぐしゃに溶けたチョコレートを持って。 でもなんだか ものすごく昔の話みたいな気がするわね」

 

「そうだね。その時、君はたしか長い詩を書いていたな」

 

「あの年頃の女の子ってみんな詩を書くのよ」と くすくす笑いながら直子は言った。 「どうしてそんなことを急に思い出したの?」

 

「わからないな。ただ思い出したんだよ。海風の匂いとか夾竹桃とか、そういうのがさ、ふと浮かんできたんだよ」と僕は言った。 「ねえ、キズキはあのときよく君の見舞いに行ったの?」

 

「見舞いなんて殆ど来やしないわよ。 そのことで私たち喧嘩したんだから、あとで。 はじめに一度来て、それからあなたと二人できて、それっきりよ。ひどいでしょ? 最初に来たときだってなんかそわそわして、十分くらいで帰っていったわ。オレンジ持ってきてね、ぶつぶつよくわけのわからないことを言って、ぷいって帰っちゃったの。俺本当に病院って弱いんだとかなんとか言ってね」

直子はそう言って笑った。

 

 

わたしが、本のこの部分(上記)に傍線を引き、書き込みまでしていたなんて!! ほとんど、dementia (発音:メンシヤ ですね。

 

 

 

わたしは、『ノルウェイの森』『めくらやなぎと、眠る女』、もしくは その別ヴァージョンの『めくらやなぎと眠る女』が(浅く?)関係しているなんてまったく気が付きませんでした。

 

恐ろしいことに、昨日このページの 自筆メモ を見る(再見)までは。

 

おそらく、村上春樹ファン(アンチを含めて)の方は、

 

「何をいまさら言ってるの、この人は!? そんなの常識でしょ」

 

と言うに、思うに、違いありません。

 

 

『ノルウェイの森』『めくらやなぎと、眠る女』は書かれた(発表された)時期も それなりに離れておりますし。(変な論拠ですが)一方が長編、もう一方が短編小説ということもあって、少なくともわたしは、昨日まで、両方の物語を結び付けてみることはありませんでした。

 

もちろん村上は両方の物語を対(ツイ)にする気なんて全くなく、その必要もないのでしょうが、ふたつのお話が齟齬なくつながっていることも事実です。

 

 

ちなみに:

めくらやなぎと、眠る女はこんなお話です。

[物語あらすじ]

ここに登場するすべての人3人は、各々何かを損なっている。 あるいは損なおうとしている。 名前は呈示されていない。 

 

主人公高校2年生の時、親友(同級生)ガール・フレンド を病院にお見舞いに行った時、主人公友人の無神経さが原因でちょっとした失態をする。 そして、明示されていないが、主人公は、その時バイクに同乗していた友人を後日失う(仮に『ノルウェイの森』では自死、という致命的な心的障害を負っている。

  ある日、主人公25歳は、あまり口をきいたことも無い9歳年下の従弟(いとこ)をつれて、初めての病院に、主人公が高校の時に乗りなれたバス(驚くことに、ピカピカ新車で、中は山登りらしい不思議な老人達で満席:路線は循環線で、登山口などどこにもない)に乗って、診察(精神性難聴)に行く。

  主人公はその際、八月の暑い日、自身が高校2年のとき、友人とバイクにのり、友人の ガール・フレンド が入院しているのをお見舞いした、あの日のこと、ガール・フレンド の‘こころの何か’を損なわせてしまった苦い思い出を想起してしまう。

主人公友人は、見舞いの途中でバイクを停めて休憩し、おしゃべりの間に、買ってきたチョコレートを無残に溶かしてしまっていた。

  ガール・フレンド は、彼らに話してくれます。入院中、彼女が書いている物語を。それは、めくらやなぎという花の咲く植物があり、小さな蠅がその花の花粉を好み、女の耳から侵入し、眠らせて、肉を喰い荒し、脳に卵を産みつけどんどん増えてゆく、という話です。

 

 

 

繰り返しになりますが、ここに出てくる、入院中の女性、そしてその女性を見舞う男性、男性の友人。この3人は、まさに「直子」「キズキ」そして僕「ワタナベ君」、・・・・なのかな?

 

ただ、だからどうしたの? ということなのですが・・・・・

 

『螢』から『ノルウェイの森』への昇華。これは重要で、良く知られている話ですけどね。

 

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ところで、以前 ほぼ1年前、ここで書いたブログ(ほとんど、自身のメモです)を再掲載してみます。かなり長い文章です。少しだけ 若かった?!

 

表題:

英語版『めくらやなぎと、眠る女』を、かなりまじめに日本語に逆翻訳して村上の原作と比べてみた。

2023-03-27 10:42:46

テーマ:ブログ

村上春樹の『めくらやなぎと、眠る女』を英語翻訳した作品、『Blind willow, sleeping woman』を日本語に逆翻訳するとどんな作品になるか? 

 

[作品の概要]

ここに登場するすべての人は、各々何かを損なっている。特に、主人公は高校生の時、男友達のガール・フレンドを病院にお見舞いする時、ふたりの若者、主人公と友人の無神経さが原因で失態をおかす。そして、時期は明記されていないが、主人公は、その時バイクに同乗していた友人を失う、という致命的心傷を負っている

 

  ある日、主人公25歳は、あまり口をきいたことも無い9歳年下の従弟(いとこ)をつれて、初めての病院に、主人公が高校の時に乗りなれたバス(驚くことに、ピカピカ新車で、中は山登りらしい不思議な老人達で満席:路線は循環線で、登山口などどこにもない)に乗って、診察(精神性難聴)に行く。

  主人公はその際、八月の暑い日、自身が高校2年のとき、友人とバイクにのり、友人のガール・フレンドが入院しているのをお見舞いした、あの日のこと、ガール・フレンドの‘こころの何か’を損なわせてしまった苦い思い出を想起してしまう。

主人公と友人は、見舞いの途中でバイクを停めて休憩し、おしゃべりの間に、買ってきたチョコレートを無残に溶かしてしまっていた。

 

  ガール・フレンドは、彼らに話してくれます。入院中、彼女が書いている物語を。それは、めくらやなぎという花の咲く植物があり、小さな蠅がその花の花粉を好み、女の耳から侵入し、眠らせて、肉を喰い荒し、脳に卵を産みつけどんどん増えてゆく、という話です。

 

 

[緒言]

  日本には、現役で活躍している小説家の数はかなりいると思うが、彼らの作品が他言語(一般には英語)に翻訳されて出版されるのは、残念ながら、非常に少ない。その少ない作家のひとりに村上春樹が含まれることに異存のある人は、それほど多くないでしょう。

  では、彼、村上の作品はどの程度厳密に【英語】に翻訳されているのでしょうか? 私は、そのことに興味を持ち、村上小説の英語版を日本語に翻訳(逆翻訳、あるいは二段翻訳)してみた。最も素適な状態は、村上自身が英語版を日本語に翻訳する、という状態であるが・・・・・それは詮無いことで、無理な注文です。

  ここで私が対象とした作品は村上の短編小説『めくらやなぎと、眠る女』であり、英語版では『Blind Willow, Sleeping Woman』という名前で出版されている。この英語版、『Blind Willow, Sleeping Woman』の4か所ではあるが、日本語に逆翻訳してみた。正直なところ、この作業で何が得られるのか不明ですが、皆さんの前に、とにかく、提示してみます。

  作業に入る前に、村上のこの小説『めくらやなぎと、眠る女』について全く知識を持たない読者のために、最初に作品の概要を書いて、その後、上記の作業を進めます。概要はこの論文みたいなものの先頭に [作品の概要として置いてあります。

 

[方法]

村上のこの作品には、前期の作品螢・納屋を焼く・その他の短編」に納められている『めくらやなぎと眠る女』と、後の「レキシントンの幽霊」に納められている『めくらやなぎと、眠る女』のふたつのバージョンがあり、この二つの作品は「核:精神的主題」となっているのは同じなのかもしれませんが、その記述形態はかなり異なっている。ここで用いている「レキシントンの幽霊」中のバージョンで、オリジナルに比べて、小説の長さも半分くらいになっており、当然物語の構成も、かなり違う。その違いについては、ここでの目的と離れるので触れない。

とにかく、ここでは「レキシントンの幽霊」に収められている『めくらやなぎと、眠る女』を対象とした。英語版は、村上の後期の作品『めくらやなぎと、眠る女』を翻訳したPhillip Gabriel 訳のBlind willow, sleeping woman を用いた。

 

[結果]

以下に、この小説から4箇所(1:小説の先頭部分、2:前半のバスの中の様子、3:この作品での、昔、ガールフレンドをお見舞いした時のシーン、4:そして、この物語の最後から1つ前のパラグラフを選択して、【英語原文】、【わたしの訳】、そして【村上春樹原文】の順で、文章を提示した。

 

1:この小説の書き出しの部分。主人公(25歳?)は、年の離れた従弟(いとこ:14歳?、精神的要因の難聴)と一緒に病院に行くためのバスを待っている。

 

【原文】ページ3、3行目

 When I closed my eyes, the scent of the wind wafted up toward me. A May wind, swelling up like the piece of fruit, with the rough outer skin(ざらざらした皮膚), slimy flesh(新鮮でぬるぬるした), dozens of seeds. The flesh split open in mid-air, spraying seeds like gentle buckshot(大粒の散弾) into the bare skin of my arms, leaving behind a faint trace of pain.

  “What time is it?” my cousin asked me. About eight inches shorter than me, he had to look up when he talked.

  I glanced at my watch. Ten twenty.

 

わたしの訳

目を閉じると、風の匂いが僕に漂ってきた。五月の風は、果実が熟れた時のように香り、それは皮膚にざらざらとした感じで、新鮮でぬるぬるとしており、まるで沢山の種のようだった。新しい裂け目が空中で開き、たくさんの種が、僕の腕のむき出しの皮膚に優しくまき散らされた。

  「何時くらい?」といとこは尋ねた。いとこは8インチくらい僕より背が低かったので、僕に話しかける時にはいつも僕を見上げなければならなかった。

僕は時計をちょっと見て「10時20分だよ」と答えた。

 

【村上春樹原文】ページ181、1行目

目を閉じると、風の匂いがした。果実のようなふくらみを持った五月の風だ。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子の粒だちがあった。果肉が空中で砕けると、種子は柔らかな散弾となって、僕の裸の腕にのめりこんだ。微かな痛みだけがあとに残った。

「ねえ、今何時?」、いとこが僕に尋ねた。二十センチ近く身長差があったので、いとこはいつも僕の顔を見上げるようにようにしてしゃべった。

僕は腕時計を見た。「十時二十分」

 

 

2:従弟(いとこ)と主人公が病院へ行くためにバス(以前には見たこともない、運転席の大きなフロント・ガラスのおしゃれな車両)に乗り込んで。すでにバス内の座席を占めていたのは、集団での老人たちの乗客で、何となく奇妙な空気感を漂わせている。

 

【原文】ページ7、2行目

 Right next to me were sitting a group of old people. Must have been close to fifteen of them. They were the person the bus was crowded, I suddenly realized. They were all suntanned, even the backs of their necks dark(首の後ろが黒くなる). And every  single one of them was skinny. Most of the men had on thick mountain-climbing types of shirts; the women, simple, unadorned blouses (簡素なブラウス). All of them had small rucksacks in their laps, the kind you’d use for short hikes into the hills. It was amazing how much they looked alike. Like a drawer full of samples of something, all neatly lined up. The strange thing, though, was that there wasn’t any mountain-climbing path along this bus line.  So where in the world could they have been going?   I thought about this as I stood there, clinging(ぴったりとつく) to the strap(つり革), but no plausible explanation came to mind.     

 

わたしの訳

  僕のすぐ隣には老人のグループが座っていた。おそらく15人くらいいた。バスが混み合っているのは彼らのせいであることに、ふと気がついた。彼らは皆、首の後ろが黒くなるほど、日に焼けていた。そして、皆がみんな痩せていた。 男たちの多くは山登り用の厚手のシャツを着ていた、そして女性はシンプルで簡素なブラウスを着ていた。彼らは皆、ちょっとした丘にでもハイキングに行くように、全員背中に小さなリックサックをかけていた。 ただ、彼らが揃いもそろって同じように見えるので、僕はちょっと驚いた。 すべてがきれいに揃っている、引き出しに入っている何かのサンプルのようにみえた。でも、不思議なことは、この路線には登山口などないのです。いったい彼らは、何処に行こうというのだろう。僕は、バスの中で吊皮につかまりながら、そのことについて考えていたが、納得できるような説明はうかんで来なかった。     

 

【村上春樹原文】ページ187、1行目

僕の近くには老人の団体が集まって腰かけていた。全部で一五人くらいはいただろう。バスが込んでいたのは、実は彼ら老人たちのせいであったのだった。老人たちはみんなよく日に焼けていた。首の後ろまでむらなく黒かった。そして一人の例外もなくやせていた。男の多くは登山用の厚手のシャツを着て、女の多くは飾りのない簡素なブラウスを着ていた。全員が軽い登山をするための、小さなリュックのようなものを膝の上に置いていた。みんな不思議なくらい似た外見をしていた。まるで項目別に並んだ何かのサンプルの引き出しをひとつ抜き出して、そのまま持ってきたみたいに見えた。でも変な話だ。登山をするためのルートなんて、この路線にはひとつもないのだ。彼らはいったいどこに行こうとしているのだろう?僕は吊皮につかまりながら、考えてみたのだが、うまい説明は思い付けなかった。

 

 

3:高校時代、入院している病室で、主人公の友達のガール・フレンドがめくらやなぎの特徴について話してくれるシーン。

 

【原文】ページ15、後ろから11行目

  ‘A blind willow looks small on the outside, but it’s got incredibly deep roots,’ she explained. ‘Actually, after a certain point it stops growing up and pushes further and further down into the ground. As if the darkness nourishes(養分を与える) it.’

   ‘And the flies carry that pollen to her ear, burrow(隠れ家に隠すように) inside, and put her to sleep,’ my friend added, struggling to light his cigarette with the damp matches. ‘But what happens to the flies?

   ‘They stay inside the woman and eat her flesh-naturally,’ his girlfriend said.

   ‘Gobble it up(がつがつ喰いつくす),’ my friend said.

 

 

わたしの訳

「めくらやなぎは見かけは小さいのよ、だけど信じられないくらい深い根を持っているの」と彼女は説明した。「実際、めくらやなぎは、ある時点を越すと地上への成長を止め、ずんずん地面の下に根を張るの。まるで暗闇がめくらやなぎの養分かのように」

「それから蠅たちは、めくらやなぎの花粉を女の耳の中に持ち込み、そこを隠れ家のようにし、そして、女は眠ってしまうんだろ」と、友人は、湿ったマッチで、苦労してタバコに火をつけながら付け加えた。「だけど、蠅たちはその後どうするんだい?」

 「連中は女の耳の中に留まり、彼女の、新鮮な肉を食べるのよ」と彼女は言った。

 「ガツガツとね」と僕の友人は、付け加えて、言った。

 

【村上春樹原文】ページ199、後ろから2行目

  「めくらやなぎの外見は小さいけれど、根はすごく深いのよ」と彼女は説明した。「じっさいのところ、ある年齢に達すると、むくらやなぎは上に伸びるのをやめて、下へ下へと伸びていくの。まるで暗闇を養分とするみたいにね」

「そして蠅がその花粉を運んで、女を眠らせるんだね」、友だちが湿ったマッチで苦労して煙草に火をつけながら言った。「それで・・・・その蠅はなにをするの?」

 「女のからだの中で、その肉を食べるのよ、もちろん」と彼女は言った。

 「むしゃむしゃ」と友だちは言った。

 

 

4:この物語の最後の部分:病院で従弟(いとこ)の診察を終え、帰りのバスを待ってベンチに座っている。すると道の向こうから見覚えのある、古い、昔のバスがやってくる。主人公は、立ち上がろうとするのだがうまく立ち上がれない。

 

【原文】ページ21、11行目

  I’d been thinking of the box of chocolates we’d taken when we went to the hospital on that long ago summer afternoon. The girl had happily opened the lid to the box only to discover that the dozen little chocolates had completely melted, sticking to the paper between each piece and to the lid itself. On the way to the hospital my friend and I had parked the motorcycle by the seaside, and lain around on the beach just talking and hanging out. The whole while we’d let that box of chocolate lie out in the hot August sun. Our carelessness, our self-centeredness(自己中心性), had wrecked those chocolate, made one fine mess of them all. We should have sensed what was happening. One of us – It didn’t matter who – should have said something. But on that afternoon, we didn’t sense anything, just exchanged a couple of dumb jokes and said goodbye. And left that hill still overgrown with blind willows.

My cousin grabbed my right arm in a tight grip.

‘Are you alright?’  he asked me.    

 

わたしの訳

ずーっと昔の、夏の午後・・・・そう、僕たち二人が、病院に友人のガールフレンドのお見舞いに行った時に持っていったチョコレートの事を思い出していた。彼女がチョコレートの箱を幸せそうに開けた時、たくさんの小さなチョコレートは、すっかり溶けており、入っていた箱から漏れ出しているのに気がついた。病院に行く途中、友達と僕は海辺でバイクを停め、ビーチに寝そべり、くだらないおしゃべりをしていたのだ。その間ずっと、僕たちはチョコレートの箱を暑い八月の太陽の下、置きっぱなしにしたのだった。僕たちの不注意、自己中心的な行動が、チョコレートをダメにし、結局、すべてをめちゃめちゃにしてしまったのです。僕たちは、何が起きているのかに、気づくべきだったのです。僕らのどちらかが、何かを言うべきだったのです。しかし、その日の午後、僕たちはくだらない冗談を言ったりしていただけで、「じゃーね」と言って別れただけだった。そして、‘めくらやなぎ’  がずんずん大きくなるまで、その丘に放って置いたのです。

いとこは僕の右手をぎゅっと握った。

「大丈夫?」と彼は訊ねた。

 

【村上春樹原文】ページ209、4行目

僕はそのとき、あの夏の午後にお見舞いに持っていったチョコレートの箱のことを考えていた。彼女が嬉しそうに箱のふたを開けたとき、その1ダースの小さなチョコレートは見る影もなく溶けて、しきりの紙や箱のふたにべっとりとくっついてしまっていた。僕と友達は病院に来る途中、海岸にバイクを停めた。そして二人で砂浜に寝ころんでいろんな話をした。そのあいだ、僕らはチョコレートの箱を、激しい八月の日差しの下に出しっぱなしにしていた。そしてその菓子は、僕らの不注意と傲慢さによって損なわれ、かたちを崩し、失われていった。僕らはそのことについて何かを感じなくてはならなかったはずだ。誰でもいい、誰かが少しでも意味のあることを言わなくてはならなかったはずだ。でもその午後、僕らは何を感じることもなく、つまらない冗談を言いあってそのまま別れただけだった。そしてあの丘を、めくらやなぎのはびこるまま置き去りにしてしまったのだ。

  いとこが僕の右腕を強い力でつかんだ。

「大丈夫?」といとこが尋ねた。

 

 

[考察]

    言うまでもなく、考察で最も大切にしなければならないのは、最初(ファースト)、もしくはセカンド・バラグラフです。その舌の根も乾かないうちに書くべき内容としては明らかに相応しくないのだが、私がこの作業(逆翻訳)をしながら、思ったことは「村上氏自身が、この作業、英文和訳をしたらどんな文章が誕生するだろうか?」という疑問(興味)だった。最近

ここで用いた、英文の『Blind Willow, Sleeping Woman』を実際に読んでいない方は「そんなもの、村上は、むかし自分で書いた文章を思い出し、原作と殆ど同じ文章を書いてしまうんじゃないの!?」と言うかもしれない。 私はその返答に対しては、「それは違うんじゃないかな?」 という、かなり強い推定をします ()。

 

※:最近TVでよく耳にする絶対に 勝ちたいと思います!と同じくらい 少し変な言い回しかな?

 

 もちろん、最も大切な物語の骨子は殆ど同じでしょうが、センテンス毎の意味は、英文翻訳をされた方(Mr. Phillip Gabriel )の都合でしょうが、原作とは少し異なっています。従って、村上が英文を日本語に翻訳したとしても、自身の原作とは違う文章にならざるを得ない、のではと。そんな理由で、いかに村上本人が英文翻訳したとしても、文章の持つ空気感は原作とはかなり異なってしまうのでは、と私は考えます。

 ここに取り上げた、4か所の村上原作の文章と、私のそれは、どう見ても、村上原作との空気感は勿論、文章の持っている力が違っております。一個一個は非常に小さな違いに見えるのですが、それが積み重なると結構恐ろしい結果になるのです。これはPhillip Gabrielの翻訳の不完全さと、私の文章の癖・不適切さ、そして小説を組み上げる能力が違う故でしょう(破いてしまいたくなるような、つまらない文言ですね)。

 当然の感想なのですが、村上は、文章の組み上げ・適切な言葉選び、の達人なのです。村上は、あるところで発言しております、「誰にも翻訳されないよりは、たとえそれが不十分であったとしても、いくつかの言語に翻訳されることの方が100倍良い」と、そんな骨子です。村上は、自作の、他言語翻訳については、非常に優しいまなざしなのです。

 

追加:[考察のセカンド・バージョン]

【わたしは、これまでの作業についてもう一つの考察も書いてみました。先行する考察と重複もあるのですが、まあ読んでみて下さい。こちらの方が、(いわゆる)考察らしい内容かもしれません。】

 

[考察]

この 2-ステップ翻訳(2-step translation): 村上オリジナル ⇒ Phillip Gabrielの和文英訳 ⇒ 私の英文和訳、は伝言ゲームに少し似ている。私は村上氏に忖度することなしに日本語を書くことができる、という良点がある。これが例えば、村上氏の書いた小説を私ならどう描きますか、などと言われたら、ことはそう単純ではない(ただの読者ですから、ホントは何でもできるのですが、あくまで仮想のお話です)。他人の書いた文章に手を入れるのは結構難しいものです。 経験のある方は分かると思いますが、逆に、自分の文章に手を入れられるのも、自身の明らかな間違いでないかぎり、微妙な感情のゆらぎがあることでしょう。もっと正直に言えば、けっこう不快なものです。 もちろん、この場は“お遊び”ですので、どうでも良いのですが。誰も見てないブログですし。

  このお遊びで、私は、【意訳】はしましたが、【異訳】はしませんでした。センテンスの内容を交叉させたり、語順の変更、意味の拡張なども一切しませんでした。従って、私の訳文を指さして、「この文章に相当する英文は?単語は?」と、問われれば、単語の意味を含めて(ほぼ、すべて)99%説明できます。

  村上の原文と私の和訳全体(わずか4箇所ですが)を比較してみると、当然のことですが、小説のプロフェッショナルの描く世界が、いかに素晴らしいかが良く分かります。私の訳はニュートラル(中間的)で、プレイン(平板)で面白みがない。長年の習慣なのか、私個人の性向、あるいは資質(能力)によるのかはわかりませんが、・・・やっぱり資質かな?

Mr. Phillip Gabrielの英文を みなさんも是非和訳して遊びましょう。

 

 

[使用小説]

1.Phillip Gabriel (フィリップ・ガブリエル 翻訳):Blind Willow, Sleeping Woman.

出版社: Vintage (2007/7/5)

2.村上春樹 :『めくらやなぎと、眠る女』 in 「レキシントンの幽霊」 (文春文庫)

3.『めくらやなぎと眠る女』 in 「螢・納屋を焼く・その他の短編 」(新潮文庫) 文庫 – 1987/9/25

村上 春樹 (著)