いろいろな賞をもらった際の村上の挨拶:毎日出版文化賞、全国書店‐新風賞 受賞、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」いずれもインパクトがあります。 

・・・・と RADWIMPS:野田洋次郎『正解』

 

 

 まずは朝食・・・・でも。

 

 

『まだまわりにたくさんあるはず』―――毎日出版文化賞・ 受賞のあいさつ。

 

『1Q84』の「BOOK1」「BOOK2」での受賞。

 

 

 

このたびは「毎日出版文化賞」をいただき、ありがたく思っています。選んでいただいた皆さん深く感謝いたします。

 

小説家というのは時間を相手に戦うものだと、常々考えて仕事をしてきました。もっと年若い頃には、それは僕にとって

 

「時間の洗礼を受けても、できるだけ風化しない作品を書くことだ」

 

というような、わりに単純な意味合いしか持ちませんでした。

 

しかし年齢を重ねるにつれて、そこには「残された人生で、あとどれくらいの作品が書けるか」という、カウント・ダウン的な要素も加わってくるのだと知りました。

 

あとどれくらいの数の作品が―――とりわけ長編小説が―――書けるのか、自分でもよくわかりません。

一冊の長編小説を書き上げるには、何年かの仕込み期間と、何年かの執筆期間が必要ですし、大量のエネルギーも必要です。

 

ですから、そうして完成したひとつの長編小説が多くの読者の手に取られ、それなりに評価されるというのは、僕にとって何よりの励ましになり、新しい意欲の源泉にもなります

 

 

現在、小説はむずかしい時期を迎えているとよく言われます。 人は本を読まなくなった。

 

特に、「小説を読まなくなった」ということが世間の通説になっています。

 

 しかし僕はそのようには思いません。

 

考えてみれば我々は二千年以上にわたって、世界のあらゆる場所で、物語という炎を絶やすことなく守り続けてきたのです。

 

その光は、いつの時代にあっても、どのような状況にあっても、

 

その光にしか照らし出せない固有の場所を持っているはずです。

 

 

我々小説家のなすべきは、それぞれの視点から、その固有の場所をひとつでも多く見つけ出すことです。 

 

我々にできることは、我々にしかできないことは、まだまわりにたくさんあるはずです。僕はそう信じています。

 

 

現在は『1Q84』の「BOOK3」を書き進めているところです。おそらく来年には発表できると思うのですが、来年になって本が出て、「やれやれ、もう一年待てばよかった。そうすれば賞なんかやらなくて済んだのに」と皆さんに言われないように、精一杯頑張りたいと思います。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

『枝葉が激しく揺れようと』―――新風賞 受賞のあいさつ。

 

『1Q84』が全国書店の売り上げに貢献した、ということで新風賞に選出された。書店の経営者が集まって選ぶ賞。この賞も『1Q84』「BOOK2」までで、いただいた賞です。 その受賞の挨拶。

 

 

 

このたびは二〇〇九年度「新風賞」に選出していただき、深く感謝しております。僕は二十一年前の、一九八八年にも『ノルウェイの森』でこの賞をいただき、これで2度目ということになります。こんなことが一生のうちに二度もあることは、まったく予想もしませんでしたが、何はともあれ、実際に本を売っていただいている方々に、作品の存在意義を認めていただけたことを、ものを書く人間として何よりも嬉しく思っております。

 

 

書物というものは、数が売れたからそれでいいというものではもちろんありません。しかしこれだけ多くの数の人々が書店に足を運び、お金を払い本を買って、おそらくはに取って読んでくださったということは、それなりに大きな達成であると僕は考えています

 

 

それは書物というものがいまだに、私たちの存在にとって大切な情報を伝達するための、実際的で有効な手段であり続けているという事実の、紛れもない証だからです。それは作者にとっても、喜ぶべき事実であるはずです。

 

 

書籍をめぐる状況は昨今大きく変わりつつありますし、その変化の多くは一見して、書籍に携わるものにとってあまり喜ばしいものではないように見えます。

 

以前の時代とは違って私たちは、実に多様な新しいメディアと競合していかなくてはなりません。一種の情報の産業革命の真っただ中に私たちは置かれているように見えます。そこには思いもよらぬ価値の組み換えがあり、地盤の変化があります。

 

 

しかし、

何がどのように変化しようと、この世界には書物という形でしか、伝えることのかなわない思いや情報が、変わることなくあります。 

 

活字になった物語という形でしか、表すことのできない魂の動きや震えが、変わることなくあります。

 

僕はそのことを信じてこの三十年間、小説を書き続けてきました。そして『ノルウェイの森』と『1Q84』という二つの作品で、このような評価をいただいたことは、僕の確信にとっての、ひとつの大きな裏付けになるかもしれません。「書き続ける」ということの大切さを、今はなによりも痛感しております。

 

どれだけ枝葉が激しく揺れようと、根幹の確かさを信じる気持ちが、僕を支えてきてくれたように思います。

 

4月の半ばに『1Q84』の「BOOK3」が出版される予定になっています。品切れにならない程度に元気よく売れることを祈っております。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

『自分の内側の未知の場所を探索できた』

 

『海辺のカフカ』が朝日新聞の「ゼロ年代の50冊(2000-2009)」の内の一冊(第2位)に選ばれ、新聞の求めに応じてコメントを書いた。

 

 

小説を書いているときは、そこに今日的なテーマがあるかどうかというようなことはまず考えません。考えてもよくわからないし、だからこの時代の中で自分の作品がどう読まれるかは、僕の想像を超えた問題になります。 それが次の時代となると、ますますわからない。

 

でも人間が基本的に考えることは、時代時代でそんなに変わらないのかもしれない。

 

『海辺のカフカ』に関して記憶しているのは、これまで取り上げなかったようないくつかの人物像を、その中で描くことができたということです。そういう人々に物語の中を自由に歩き回らせることによって、

 

自分の内側にある いくつかの未知の場所を探索できた。

 

そんな実感があります。

 

そういう個人的な探索が、普遍的な(あるいは同時代的な)探索にうまく有機的に結びついていくことが、僕の理想とする物語のあり方ではないかと感じています。

 

簡単なことではないけれど。

 

 

 

 

おまけ:

一周 (?) 廻って 1960年代の香りがする?

人間って、そんなに変わってないし変われるものでもない!?

 

RADWIMPS:野田洋次郎

『正解』

 

野田洋次郎 作詞・作曲 

 

この先に出会うどんな友とも分かち合えない秘密を共にした
それなのにたったひと言の「ごめんね」だけ やけに遠くて言えなかったり

明日も会うのになぜか僕らは眠い眼こすり夜通しバカ話
明くる日 案の定 机並べて居眠りして怒られてるのに笑えてきて

理屈に合わないことをどれだけやれるかが青春だとでも
どこかで僕ら 思っていたのかな


あぁ 答えがある問いばかりを教わってきたよ. そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない
一番大切な君と仲直りの仕方
大好きなあの子の心の振り向かせ方
なに一つ見えない僕らの未来だから
答えがすでにある問いなんかに 用などはない


これまで出逢ったどんな友とも違う君に見つけてもらった
自分をはじめて好きになれたの 分かるはずない君に 分かるはずもないでしょう

並んで歩けど どこかで追い続けていた君の背中
明日からは もうそこにはない

あぁ 答えがある問いばかりを教わってきたよ. そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解など大人も知らない
喜びが溢れて止まらない夜の眠り方
悔しさで滲んだ心の傷の治し方
傷ついた友の励まし方

あなたとはじめて怒鳴り合った日.  あとで聞いたよ君は笑っていたと
想いの伝え方がわからない僕の心 君は無理矢理こじ開けたの

あぁ 答えがある問いばかりを教わってきたよ. だけど明日からは
僕だけの正解をいざ探しにゆくんだ. また逢う日まで

次の空欄に当てはまる言葉を
書き入れなさい. ここでの最後の問い

「君のいない 明日からの日々を
僕は/私は きっと きっと □□□□□□□□□□□□□□□□□□」


制限時間は あなたのこれからの人生
解答用紙は あなたのこれからの人生
答え合わせの時に 私はもういない
だから採点基準は あなたのこれからの人生


「よーい、はじめ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

使用書籍

村上春樹 雑文集 (新潮文庫) 文庫 – 2015/10/28

村上 春樹 (著)