「いじわるなのでしょうか?」という分析好きのお父さんを持つお嬢さんの質問や、「本が大好きな13歳です」の女の子など、興味深い質問が村上のもとに届きます。
村上はいつも読者の質問に丁寧に答えます。もちろん期間を区切ってですが、質問にはすべて答えるのが彼の姿勢のようです。
このブログでも、時々その一部(質問は少しだけ省略)を紹介しております。
「出版社の面接」
質問:
現在就職活動中なのですが、なかなか内定がでません。先日とある出版社の面接で、好きな作家を聞かれ「村上春樹さんです」と答えると、人事のひとに「ふん」と笑われてしまいました。あれは一体どういう意味だったんだろう・・・・・。
なんにせよ村上さんに対する思いを「ふん」で一蹴するような所なんてこっちから願い下げたい!と強がってはみたものの、お給料よかったんだよなあ。残念。責任取って下さい!うそです。
回答:
僕は世間では「ろくでもないやつ」みたいに思われていることが多いようです。だから僕だって、自分が村上春樹であることをできるだけ隠して、こそこそと生きています。あなたなんかまだ他人だからいいですが、本人としては随分大変なのです。隠れキリシタンどころか、天草四郎が山の中を逃げ回っているようなものです。「ふん」と馬鹿にされるぐらいで傷ついていてはいけません。がんばってください。でも人前であまり「村上春樹が好き」とか言わない方がいいかもしれませんね。アンリ・ルソーが好きです、くらい言っておけば、むこうもそれ以上追及してこないと思います(たぶん)。
「本が大好きな13歳です」
質問:
私は13歳の学生です。
春樹さんの本は6年生の春、図書館で『ノルウェイの森』を読んだのがきっかけで、ほとんどの作品を読破しました。そして今は、フランツ・カフカやドストエフスキーの作品も全部読もうとしています。
ところで私のクラスには、「春樹さんの本を読んだことがあるっ!」っていう友達が1人もいないのです(シクシク)。 なので今はお母さんに『ねじまき鳥クロニクル』をすすめています。早く感想が聞きたいなぁ。
春樹さんが小中学生の時は、どんな本を読んでいたのですか? オススメがあれば教えてください。おねがいします。
回答:
ふうん、13歳ですでに『ねじまき鳥クロニクル』を読み終わっているんだ。すごいねえ。でも僕も、13歳のころからドストエフスキーとかカフカとか、やはり読んでいました。そういうところでは早熟だったんです。まわりの人がやってないことを一人でどんどん勝手にやるのって、すごく楽しいですよね。僕の場合、そういう生活をこの歳になってもまだしつこく続けていて、おかげでまわりからいくぶん うとまれて嫌われていますが。
本を読むことは、心の貯金をするようなものです。いろんな本を読んでください。
「いじわるなのでしょうか?」
質問:
父は本を大量に読む人なのですが、村上さんの小説はまだ読んだことがありません。
最近しきりに「村上春樹ってのは面白いみたいだなぁ」「どんなんだろうなぁ」「英語も達者な人らしいなぁ( ←父は仕事で翻訳とかしているので・・・・)」と言ってきます。
素直に貸してくれと言えばいいのに・・・・と思います。
「読みたいから貸して」と言うまでは「うん面白いよ――」としか返事をしないことに決めたのですが、この父にしてこの娘か――、と少しうんざりしてしまいました。私がいじわるなのでしょうか?
回答:
そういう意地悪は楽しいですね。
てきとうにじらすのがいいと、僕も思います。
お父さんは分析好きということですが、僕の小説を分析しだすと、かなりつらいことになるのではないかと思います。 少なくとも僕の知る限りにおいては、僕の小説を分析して、どこかまともな地点にたどりついた人はほとんどいません。
もちろん、僕自身にも分析なんてできません。あなたのような自然な読み方がいちばん正しいのでと思います。
だって論理ですぐ分析できるような小説を書いたって、書く方もつまらないし、書き手がつまらないと思っている小説を読んでも、読む人だって面白くないですよね。分析なんてことはひょいとその辺に放りだして、難しい言葉も引き出しの奥にしまいこんで、物語りを自然に楽しみましょう。
その小説を読み始める前と、 読み終えたあとで、自分の居場所が少しでも移動しているように感じられたとしたら、それは優れた小説 なので、というのが小説についての僕の個人的基準です。
僕はこれまでずっと、そのような規準のもとに小説を書いてきました。お父さんによろしくね。
「英語をどうしたら話せるようになる?」
質問:
大学生のころからかれこれ10年以上のファンです。新刊がでると夫に内緒で購入して、春樹の本が並んでいる棚にこっそりと置いています。たくさんあるのでばれていないはずです。
ところで、2歳の息子があるのですが、英語教材のCDを聞かせるとすぐに覚えて歌いだし、しかも「L」の発音なんか、なかなかいいんじゃない?と思うほど(親バカですね)なのです。私は、さっぱり英語が話せないし、何度もラジオ英会話にチャレンジしていますが、長続きしません(今年も4月号を2冊買いました)。
春樹さんおすすめの英語訓練法があったぜひ教えてください。息子に英語で負けるのはごめんなのです。
回答:
年をとってから英語を話始めると、発音がきついです。僕はときどき英語で朗読をするんですが、どうしてもうまく発音できない言葉が中にあります。たとえば、“a pillar of ice”(氷の柱)というのが出てきて、これがどうしてもうまく発音できないんです。練習していると、あごがどんどん痛くなってきます。 だからしょうがねえやと思い、適当に“a column of ice” とか変更しちゃいます。でもそれでもちょっとしんどいので、“a block of ice” にしちゃうか、とかどんどん ひよってしまいます。
自分の小説とはいえ、こんなことをしていていいのだろうか?
ある時期が過ぎると、あごの形が固まってしまって、自国語以外の発音をすることがむずかしくなってくるようです。十代 ※ のうちだとまだオーケーみたいですけど、僕はあまり小さいときから子供に英語を勉強させても、ほとんど意味ないと思っています。
もっとほかに覚えなくてはならないことがたくさんあるはずだし、親が何となく満足するだけ、ということが多いようです。でも、もっと大きくなって、まだアゴの柔らかい 十代のうちに、外国語をたっぷり話す環境に身を置く機会があると、それはいいかもしれませんね。
※:「十代」という単語が出てくると、わたしは自動的に『美しい十代』という三田明さんの映像と歌 が浮かんできます。
歌詞:美しい十代
白い野ばらを 捧げる僕に
君の瞳があかるく笑う
いつもこころに二人の胸に
夢を飾ろうきれいな夢を
美しい十代 あゝ十代
抱いて生きよう幸福の花
昨日習ったノートを君に
貸してあげようやさしい君に
つらい日もある泣きたいことも
あるさそれでも励ましあって
美しい十代 あゝ十代
抱いて咲かそう幸福の花
遅くなるからさよならしよう
話あったらつきない二人
「明日またね」と手を振りあえば
丘の木立に夕陽が赤い
美しい十代 あゝ十代
抱いて生きよう幸福の花
メロディ・ラインは表記できませんが、歌詞を読めばどの程度シンプルであったかが推定できます。事実、一度聞けば、だれもが曲の殆どを再現できたのです。
この歌詞を見れば、あるいはこの歌を聞けば ほとんどの若い人は笑うか、 少なくとも苦笑するのでは・・・・・?
でもしばらく経って、あるいは自分の部屋に帰って (心のどこかでは)こんな歌詞が成立した時代を少しだけ羨ましく思うかもしれない。
わたしは、思うのです。人間の心なんて、現在も この歌の流行った六十年前も・・・・あるいは千年前も、そんなに大きく偏移していないのではと。 誤解?
このブログをどなたが見ているのかはわかりませんが、あなたのお父さんか お母さんに この歌詞をみせてみて、彼らがすぐに歌い出せば・・・・・次の世界はそんなに遠くない??
使用書籍
「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問 (アサヒオリジナル) ムック – 2006/11/1