『僕の出会った有名人』 について。 藤圭子さんに関するエピソード。

 

 

 

学生時代、新宿の小さなレコード店でアルバイトをしていた。たしか、一九七〇年のことではなかったかと思う。とにかく グランド・ファンク・レイルロード が来日して後楽園でコンサートをやった年であるなつかしいね

 

このレコード屋は武蔵野館の向かいにあって、今はファンシー小物の店になっている。当時はまだ武蔵野館はなかった。隣のビルの地下にはOLD BLIND CATというジャズ・バーがあって、仕事のあいまによくそこで酒を飲んだ。

 

 

一度僕の働いているレコード店に 藤圭子さん が来たことがあった。

 

でもその時はその人が藤圭子さんだなんて、僕にはぜんぜんわからなかった。あまり目立たない黒いコートを着て、化粧気もなく、小柄で、なんだかコソッとした感じだった。

 

今の若い人にはわからないと思うけれど、当時の藤圭子といえば流星のごとく現れ、ヒット曲をたて続けに出し、ひとつの時代を画したスーパー・スターである。今の山口百恵ほどではないにしても、一人で気楽に新宿の街を歩けるといった存在ではない。

 

 

でも彼女は、マネージャーも連れずに一人でふらっと僕の働いているレコード屋に入ってきて、すごくすまなそうな感じで

 

「あの、売れてますか?」

 

とニコッと笑って僕にたずねた。とても感じの良い笑顔だったけれど、僕にはなんのことなのかよくわからなかったので、奥にいって店長をつれてきた。

 

 

そんなわけで、僕はまるで演歌は聴かないけれど、今に至るまで藤圭子という人のことをとても感じの良い人だと思っている。

 

ただ、この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないかなという印象を、その時僕は持った。

 

あれから、離婚したり改名したりという話だけれど、がんばってほしいと思います。

 

 

 

ここでの藤圭子さんについては、若い方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、わたしにとっては、ど真ん中なのですけどね・・・・

 

すこしだけ、紹介してみます。

彼女には、たくさんのヒット曲がありますが、最もポピュラーな曲のひとつ、その歌詞を紹介してみます。

 

 

 

『圭子の夢は夜ひらく』

作詞:石坂まさを/編曲:原田良

作曲:曽根幸明

 

 

赤く咲くのは けしの花(

白く咲くのは 百合の花

 

どうさきゃいいのさ この私

夢は夜ひらく

 

 

 

十五、十六、十七と

私の人生暗かった

過去はどんなに暗くとも

夢は夜ひらく

 

昨日マー坊 今日トミー

明日はジョージかケン坊か

恋ははかなく過ぎて行き

夢は夜ひらく

 

夜咲くネオンは 嘘の花

夜飛ぶ蝶々も 嘘の花

嘘を肴に 酒をくみゃ

夢は夜ひらく

 

前を見るよな 柄じゃない

うしろ向くよな 柄じゃない

よそ見してたら 泣きを見た

夢は夜ひらく

 

一から十まで 馬鹿でした

馬鹿にゃ未練はないけれど

忘れられない 奴ばかり

夢は夜ひらく 夢は夜ひらく

 

 

 

*:昔(60‐70年前くらい?)は田舎にいくと、どこの家の庭にもケシの花は植えられておりました(あるいは、勝手に咲いていたのです)。 ただ、その一部からアヘン・アルカロイドが抽出できることから、法律でその栽培はかたく禁止されております。

 

 

そんなわけでケシの花は、童謡の歌詞にも出てきます。

 

 

童謡『肩たたき

作詞 西條八十

作曲 中山晋平

 

 

母さん お肩をたたきましょう

タントン タントン タントントン

母さん 白髪がありますね

タントン タントン タントントン

お縁側には日がいっぱい タントン 

タントン タントントン

真っ赤な けし が笑ってる

タントン タントン タントントン

母さん そんなにいい気もち

タントン タントン タントントン

 

 

 

 

 

 

『僕の出会った有名人:その2』 について。 村上が新人作家の頃、吉行淳之介氏に関するエピソード。

 

 

吉行淳之介という人は我々若手・下っ端の作家の作家にとってはかなり畏れ多い人である。しかしなぜ吉行さんが畏れおおいかというと、これが上手く説明できないのである。他にも有名な作家や立派な作家は星の数のごとく(・・・・でもないか)いるのだけれど、特に吉行さんに限って畏れおおいという感じがあって、これは不思議だ。

 

 

吉行さんは僕が文芸誌の新人賞をとった時の選考委員でまあ一応恩義のある人でもあり、どこかで会ったりするときちんと挨拶をする。

 

すると「あ、このあいだ君の書いたものはなかなか面白かった」とか言われる。 

 

しかし、いつもそういう風にやさしいかというとそんなこともなく、他の人がちょっと余計な事を口にしたりすると「それは君、つまらないことだよ」とか「ま、野暮はよそうよ」というような事を軽々と言って向こうに行ってしまったりする。この辺の間合いの絶妙さが畏れ多いというか、こちらが勝手にかしこまっちゃう所以である。

 

だから、吉行さんのそばにいる時は僕は自分からほとんど何もしゃべらないことにしている。だいたいが人前にでると無口になるほうなので、こういうのは全然苦痛ではない。むしろ楽である。だから僕はこれまで四回くらい酒場で吉行さんと同席したことがあるのだけれど、何か話を交わしたという覚えがほとんどないのである。

 

 

それでは吉行さんがそういう場所で何を話すかというと、それが本当にどうでもいいような、無益な話をエンエンとやっているのである。

 

無益な話が無益な曲折を経て、より無益な方向へと流れ、そして夜が更けていく。

 

僕もかなり無益な方だけど、まだ若いのでなかなかあそこまでは無益になれない。いつも感心してしまう。そういう話をエンエンとやりながらホステスのおっぱいをさりげなくさわっちゃうところも偉い。やはりなんといっても畏れおおいのである。

 

 

 

使用書籍

村上朝日堂 (新潮文庫) 文庫 – 1987/2/27

村上 春樹 (著), 安西 水丸 (著)